おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』
第105回 『アンモラル・カスタマイズZ』カレー沢薫(太田出版)
(c)カレー沢薫/太田出版
舞台は男だけの編集部。社長命令で女性誌を創刊することになるが、迷走に迷走を重ねて売り上げは上向かない。女性誌『カスタマイズ』の明日はどっちだ……!? という設定の、短編(1話が6〜10ページ)のいたってシンプルな絵柄のギャグマンガが本作だ。1回のページ数は少ないが、切れ味鋭い会話に引き込まれ、心にある種の傷を残してくれる快作(怪作?)である。では、その傷とはいったいどんな傷なのか?言うまでもなく女性誌とは、つきつめれば女の欲望(「憧れ」という美しい言葉を使ってもいい)をくすぐってナンボ、という存在だろう。なのに、元風俗誌の編集者とゲイの社長(そしてマスコットキャラのムササビ)、という「女の欲望」とかなり遠いところにいる人だけで女性誌を作ろう、という時点で無理がありすぎる。そもそもここは風俗誌以外は『週刊デコトラ野郎』とか『月刊牛丼』とか、男くさい雑誌ばかりを作っている出版社であり、つまり女性誌創刊は「男の欲望」から「女の欲望」へとシフトしたといえる。編集会議では男ばかりで女という「他者」の欲望を追求するうちに、どんどんミもフタもない方向へ走っていってしまうのだが、その辛辣さがいちいち核心をついていて面白い。どの女性誌でも大人気である洋服の着回し特集も、月給がぶっ飛ぶ高価な服が買えるわけないだろ!とある意味読者に寄りそおうとしすぎて、気づけば「安くて無難なアイテムを猫背の女が着こなす30日!」というリアリズムあふれるタイトルになってしまい「わざわざ雑誌で見なくても!」ともう一人の編集者がもっともなツッコミをすることになる。憧れと実用の両立をどうチューニングして見せるのか、という女性誌の「肝」を、絶妙のバランスのボケとつっこみでテンポ良く表現し、そしてそのことで雑誌空間で描かれる提案の虚実まであらわにしてしまうのだ。
笑いつつ思わず身につまされたのはダイエットをめぐる会話だ。毒舌編集者の小池瑛太(30代)は「どいつもこいつも好きでやってるくせになんだその被害者面!」と手厳しい。たしかにダイエットは自主的にやることが大半だが、楽しいというよりは仕方なしにやる人がほとんどだろうし、美味しいものはたいがい高カロリーなので、目の前で無邪気に大量の食事をとる人たちに無意識に恨みがましい態度をとりがちかもしれない(反省)。マスコットキャラのムササビは「細い=キレイだけはずっと変わってないから仕方ないビー」と理解を示してくれていたが、いやなにせダイエットというのは「食欲」という本能の充足を、美や健康という観念的なものへの志向で押さえつけてるという不自然きわまりない状況なわけで、そりゃ機嫌ぐらいは悪くなるわ!悪くなるわ! ……と、気づくとさらにキレている自分を発見する殺伐っぷりである(……アレ?)。
男だけで女性誌を作ることに限界を感じて途中で採用する女性社員・小雪ちゃんは、あかぬけず自信のない20歳の女の子。
この小雪ちゃんを変身させる過程を記事にしていくことになるが、不器用でオシャレもお化粧もできない素朴な小雪ちゃんはきっと、30年前の少女マンガなら素敵な男子から「そのままの君が好きだよ」と言ってもらえハッピーエンドになれるタイプだ。でも21世紀も10年以上たった現代では、編集者・瑛太から「決してブスじゃないのにこのダメな感じ!」と1ページまるまる使ってそのダメさを列挙される。現代においてなんの手入れも努力もせず外を歩く女はもはや自然体以前のハダカも同然、「まずは見られるようになって出直せ」と言わんばかりのせちがらさ。だが、これも化粧の技術自体の向上や、メイクをはじめる年齢の早期化(高校生のメイクも珍しくない)、雑誌のみならずテレビでも美容に関する情報がたえず流されるという世間の外見への要求水準の底上げを、歯に衣着せず表現しているのだろうな、と感じる。
誌上企画として周囲の指導で、ダイエットと美容的努力でそれなりに美しくなる小雪ちゃんの前にイケメンにしてアンニュイな大学生男子が現れる。この彼が自信のなさ故にがっついていない小雪ちゃんに好意をもつ……という「少女マンガ的展開」となるのだが、これも一筋縄ではいかず、自然体の君が好き、と言う彼に「私が無理してないとでも思ってんのー!」と小雪ちゃんはぶち切れてしまう。
そもそも本作は「2時間かけた全然ナチュラルじゃないナチュラルメイク」や「本能に逆らうダイエットへの執念」などなど、終始「『女の自然体』が、いかに不自然な努力で成り立っているか」を暴き続けるのだ。非情な男・瑛太は、女優に自然体を提唱させ、一方で美容の努力の特集を組む女性誌の構造は「自然体」と「努力してキメキメ」の無限ループだろ、と冷徹に言い切るのだ(もう一人の編集者・めぐむの「新種の地獄ですね…」というコメントが本質をついている)。
もっともなんでそんなに女子が自然体を装うかというと、男がキメ過ぎな女にはひき、だがイモ女ともつきあいたくないからそれにあわせているんだ、ということをムササビが解説してくれ、めぐむは男子として「なんか申し訳なくなってきますね…」とコメントするのには笑った。食物連鎖の如き現代日本の男女の負の(?)スパイラルは、まさにぬるま湯につかるうち徐々に温度があがっていき気づけば致死温度に達するような、一見ぬるいのに脱出しづらい「新種の地獄」かもしれない。
作者は青年誌『モーニング・ツー』であまりにもあっさりした描線とキレのよい言語センスを駆使した猫ちゃんマンガ「クレムリン」で衝撃的なデビューを飾ったが、これも3匹のロシアンブルーの名前が全員「関羽」(お互い「関羽」を譲らなかったため)、飼い主は徹底的に成功者とサッカーを憎悪する青年……というなんだか階段を数段踏み外したかのような違和感を感じざるを得ない設定の作品だ(だが読むと癖になる、独特の面白さなのである)。
「クレムリン」もそうだが、本作は更に「負の感情」をバリエーション豊かに描いていて恐るべき「上から目線」ならぬ「下から目線」っぷりなのである。だが作者の、世の中で「良い」とされているものに対しての独特の距離感と容赦ない批評の精神、そしてシンプルきわまりない描線によるキャラクターたちの織りなす物語は、毒々しくなりかねないそんな行為をみごとに娯楽へと変えてしまうのだ。
本作で瑛太が、小雪ちゃんに接近するイケメンに激しい敵意を示すことに、周囲は「自分がモテないわけじゃないのに何がそんなに憎い」と問うのだが、その問いに瑛太はこう言い放つ。
「こういうのは自分の被害妄想との戦いなんだよ!」
……私も日頃「川原さんのリア充(※)への妬みっぷりはすごい」と周囲をざわめかせているのだが、その本質(=敵は自分の中の被害妄想!)をズバリ言い当てられ、単行本を持つ手が震える思いである。
「そこまでわかってるならやめましょうよ」とめぐむに言われてもいっこう改まらぬ瑛太とともに、私も自分の脳内のリア充像への妬み、うらやみは止まらない予感でいっぱいだ。よしながふみのマンガ作品「愛すべき娘たち」のなかに「分かってるのと許せるのと愛せるのとはみんな違うよ」という名言があるのだが、本作はその「分かっていても許せない」という人間の業を、ネガティブな側面からきわめてドライに描いた作品といえるのではないか。
それにしても、これほどまでに「ブス」という言葉が頻出するのは、最近話題のNHK朝ドラ「あまちゃん」の初期と、マンガでは本作ぐらいではないだろうか。編集者めぐむの彼女は女性誌的価値観を嫌悪・軽蔑するアート系女子だが、彼女のことを「個性派ブス」「世界にひとつだけのブス」「シャレオツブス」とブスよばわりするボキャブラリーの豊かさもなんだか凄い。
本作の「毒」を中和し娯楽として楽しむためか、マンガの編集者の方から作品に「カワイイキャラを出して欲しい」という要望があったらしい。で、登場した雑誌のマスコットキャラのムササビは、見た目はかわいいが名前は「ビッチ」。女性誌にふさわしくないことこの上ない。この調子でときに鋭すぎると感じるほど辛辣に真実をつく、言葉に対するずば抜けたセンスを感じさせる作者の、マンガではなく文章での連載コラムのタイトルはその名も「負ける技術」。
冒頭に述べた、本作を読むことによって負う心の傷とは、いわば魂のレーシック手術のようなものだ。読者は鋭すぎる指摘に魂に微量の傷を負うことで、妙に良くなった視力でものごとの真実を直視してしまうことになる。ちょっぴりリスキーでもあるが、体質があえば他の作品では味わえない刺激がくせになること請け合いだ。
そしてちょっと先だが11月にはなんと3冊同時に単行本が発売予定とのこと。絵柄は超あっさり、内容は切れ味抜群なカレー沢ワールドにすっかりなじんでしまった私は、11月をいまから心待ちにしているのである。
※リア充=リアル、つまり現実生活が充実している人々を指す言葉。
(2013年8月5日)
(川原和子)