おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』 タイトル画像

おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第106回 『ワカコ酒』 新久千映(徳間書店)

『ワカコ酒』新久千映(徳間書店)(c)新久千映/徳間書店 既刊1巻

 かつて自分が若い娘さん(具体的には20代)だったとき、自分が「若い娘扱い」されることがニガテだった。「若い娘」に期待される華やかさやかわいさを自分が備えておらず、ただ若いだけ、ということに「なんか、すみません……」と後ろめたいような気持ちがあった。

『ワカコ酒』を読んで、ふとそんなことを思い出した。


 村崎ワカコ、26歳。酒好きな彼女は、一人で美味しい酒と肴を楽しむべく、さまざまな店に出没する。もともとはWebでの連載のようで、1話あたり4〜6ページでひたすらワカコさんが一人酒する様子が描かれたものが、1巻あたり26編収録されている(特別裏メニューとして、12ページとやや長めのものも2編ほど収録)。


 本作の主人公・ワカコさんは「この食べ物には、このお酒!」という組み合わせに美学ともいえるこだわりをもっているようだ。といっても、こだわるのは、ときに「焼き鮭の皮」だったり、「サザエのしっぽ」だったりと、日常的・庶民的な食材だけど人によって「え、そこ食べるの?」「いやいや、そこが美味しい!」となにかひとこと言いたくなるような部位だったりする。ワカコさんの「揚げた鶏肉はずるい」(=おいしすぎて、ビールにあいすぎて…!)なんて発言には、彼女と同じく呑兵衛の私などは「そうそう」と激しくうなずきながら揚げたての鶏のから揚げとともに冷えた生ビールを飲みたくなってくるのだ。


 さて、本作では、ワカコさんがさまざまなものを味わい、「美味しいなあ〜」と感じ入る表現として、口から「ぷしゅー」とため息ともつかぬ音声(?)を発している。が、その際の顔の描写は、かなり記号的というか、多少のバリエーションはありつつもほぼ「無表情」に描かれているといっていい。「食」をテーマにしたマンガでは、味わうシーンはいわばクライマックスのはず。なのに、ヒロインが思いきり無表情。だが、その前後の一見さりげないが巧みで自然な流れと、「ぷしゅー」という擬音とモノローグで、食べたものの美味しさは充分に伝わってくる。そして、この無表情こそが本作のすぐれた「発明」だ、と私は思うのだ。


 人間の基本欲求である食欲と性欲は案外近いところにあるかも、ということに気づいている人は多いだろう。食をテーマにしたマンガ作品では、以前、この連載でもとりあげた「花のズボラ飯」のように、「妙齢の女の人が食べ物を口に含み、美味しさに恍惚とした表情を浮かべる」という描写を、確信犯的に「色っぽく」描く、という方法がある(現在ドラマ放映中の高田サンコ「たべるダケ」も、その系譜だろう)。娯楽の一形態として「なるほど!」「その手があったか!」と思わされるやり方で、私はそれはそれで好きなのだが、本作の「ヒロインの、美味しい! 場面での無表情」描写は、あえてそれを封印することで、作品のトーンが濃厚になりすぎることを防ぐ効果をあげていると思うのだ。

 つまり、「若い女の人」が半ば自動的に背負わされてしまう「華やかさ、色っぽさ」を、もっと露骨な言い方をするなら「若い女性」が、ただご飯を食べるだけで発生してしまう「性的な娯楽性」を、「ま、それはひとまずおいときましょう」という形にできている、と思うのだ。


 冒頭でもふれたが、私自身は若いときにイマイチ果たせず後ろめたかった「若い娘としての(見る人にとっての)娯楽性」(=華やかさ、美しさ)だが、本作では、「ワカコさんが食を味わうときの無表情」という形で「食べるときくらいは、それ、一旦休みにしていいですか」と「味わう主体」に徹してしまうのである。

 でも思いっきり味わってますよ〜という表現としての「ぷしゅー」という擬音。この「無表情」+「ぷしゅー」の組み合わせが、ワカコさんが「味わう」シーンに余計な意味を発生させず、読者をただただ食と酒を楽しむことに集中させてくれるのだと思う。実際、ワカコさんにはつきあっている相手もいるようなのだが、「ひとり酒」は侵すべからざる孤高な行為らしく、突然の「飯一緒していい?」というメールにもダメ出しする厳しさだ。でも、ワカコさんの味わい方の繊細さを見ていると、それもむべなるかな、という気がする。そこまでの集中はたしかに、ひとりでないと無理かもね、と説得されてしまうのだ。

 私自身は食べることもお酒も大好きだが、どちらかというと組み合わせの妙を楽しむと言うより「コレ、ご飯がススむな〜」となんにでもご飯をあわせて「勝手に定食」状態にしてしまい、ワカコさんの眉をくもらせるであろうガサツなタイプなので、「なるほど、鮭の皮と冷酒か……」とか「かにみそと熱燗! ほぉぉ、勉強になるなあ」などと、ワカコさんチョイスの組み合わせを心に激しくメモっている次第である。


 そして……こんなこと書いていいのかなとも思うのだが(でも書く)、なんといっても、読んでいて「この料理、作ってみよう」と「思わせない」のが、本作の素晴らしいところなのだ。基本的に登場するのは外食だし、特別編の家飲みも、ワカコさんが自作したシチューやサラダは作中ではもうできていて、レシピ的な要素がほとんどない。

 私のように、料理が大嫌いで、でも本当はやったほうがいいんだろうな……と己の料理下手に激しい劣等感をもつ人間は、レシピなどが親切に載っている作品を読むと、作品として楽しむというよりは「ああ、こういう風にしなきゃいけないのにできない自分……」と、やってない宿題をつきつけられたかのように勝手に暗くなってしまうことがあるのだ。そんな自分としては、味わうことにほぼ徹している本作は、「料理することへの強迫」を感じることなく、食べる描写のみを心置きなく楽しめる解放区的な作品なのだ。

 なんだか言えば言うほど、自分のなにもできなさ加減を露呈していくようでブルーな気分になってきたが、気を取り直して語らせてもらえば、「若い女子の一人酒」というのはつまり、サラダのとりわけとか、会計はいったん男性に払ってもらってあとで割り勘するとか、はたまたそもそも自分で料理を作るべし、といった、やるにせよやらないにせよいろいろメンドくさい食まわりの「役割」からつかの間解放されて、ただただ「味わう」ことに集中できる環境、ってことなのだと思うのだ。色っぽさをわざと発生させない無表情+「ぷしゅー」という擬音、という表現が、それをきちんと成立させている。26歳という設定も、職場ではそれなりに責任をもつ立場ながら、まだモラトリアムが許される、という絶妙なものだと思う。

 かなりデフォルメの効いた人物の絵と、写実的だけど冷たくはなく「美味しそう」な食べ物描写も含め、全体のトーンがかなり周到に「ちょうどいい」形にチューニングされている本作。食べることが好きな人には、ぜひとも手にとって欲しい作品だ

(2013年9月5日)




(川原和子)  

Copyrights NTT Publishing Co., Ltd. All Rights Reserved.