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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第91回 『ねじまきカギュー』中山敦史(集英社)

(c)中山敦史/集英社

(c)中山敦史/集英社既刊5巻

 なんてイマドキ風で、しかも懐かしい作品なんだろう!
実は、表紙の絵柄を見て「うーん、すごくイマっぽい……私のような昭和時代のマンガ読みがついて行けるんだろうか?」とちょっぴり不安になった。だが読み始めるとものすごい力でぐいぐいと引き込まれ、しかもその感覚には覚えがある。「ねじまきカギュー」は私にとって、そんな作品だ。

 新人高校教師の葱沢鴨は、一見平凡なメガネ男子だが、ヤバイ系の女子に何故か好かれてしまうという究極の女難体質。そんな彼の前に、鉤生(かぎゅう)十兵衛という転校生がやってきて「先生を護る」と言う。「螺旋巻(ねじまき)拳」という拳法の使い手であるカギューは、一見男子にも見えるが、実は十年前に中国に引っ越したカモ先生の幼馴染みの女の子だった!
 生徒であるカギューからの「先生のお嫁さんになる」というストレートな愛情表現にとまどうカモ先生だったが、そんな彼にせまり来るやっかいな女子たちとカギューのバトルの日々が始まった…!

 と、おおまかにはこういうお話。つまり「バトルもの」であり「恋愛もの」なのだ。やや古い分類で言うと、「少年マンガ」要素(=バトル)と「少女マンガ」要素(=恋愛)が、両方入ったマンガともいえる。だけど、ここで描かれる恋愛のロジック(というか、カギューの恋愛観)は、なんだかとっても妙なのだ。

 カモ先生のことが大好きなカギューは、過剰なまでに単純でストレート。クセの強い女子にモテモテのカモ先生だけど、カギューはライバルに嫉妬するわけでもなく、ただただ一途に先生を思い、犬のごとき忠誠心で先生を護り続ける。そんなふうだと恋敵に負けちゃうよ? と人に言われれば「恋に敵などいるのか?」「先生を振り向かせることができなければ…それは己(おれ)の愛が足りないからだ」「足りなければ…より強靱(つよ)くより深遠(ふか)く鍛錬するだけだ」と、ブレないことこの上なし。
 客観的に見れば「いや、こっちがどんなに好きでも、相手の気持ちってものがあるから!」とツッコみたくなるが、恋愛に関するリテラシーがあがりまくったこの21世紀のヒロインとも思えないくらい、カギューは「恋愛とは自己鍛錬によって身につけた心と技の強さで相手を護りぬく武道」……とでも思っているかのような、常識はずれの超★純情戦闘少女なのだ。
 もし少女マンガだったら、先生の心を射止めるためのあれこれだとか人間関係をめぐる暗黒面も含めた繊細な心の動きをドラマとして丁寧に描くところだが、『ヤングジャンプ』に連載されている本作ではまったく違う。「先生好き、だから護る」「先生好き、だからみんなに好かれて自分も嬉しい」と、恐るべき単純さでカギューがつっぱしり、なんでも一途さと根性、そして必殺技の螺旋巻発条拳(ねじまきぜんまいけん)で突破してしまうのだ。現実的にはまずありえない展開だが、でも、ものすごい熱と勢いにみちたこの「マンガならではの嘘」に、なんだかよくわからないながらも思わず圧倒・説得されてしまうのだった(カギューが「螺旋巻発条拳」をふるうと、あまりの廻転に着ている服がビリビリに破れて半裸になってしまう、といった「サービス」設定も!)。

 さらに、カモ先生に近づく文学少女・山崎富江や、才色兼備の委員長・御門朱羽も、最初はカモ先生をめぐってカギューと戦うが、カギューの一途さに胸をうたれ、カモ先生との間を応援するようになる。この「敵が、戦いを通じて味方になっていく」形式はまさに『週刊少年ジャンプ』のバトルマンガの伝統芸ともいえる構図だ。そう、この作品、絵柄は思いっきりイマ風だし、戦うのは少女達、という最近の流行の意匠がほどこされつつも、私のようなアラフォー読者が愛読した1980年代『週刊少年ジャンプ』作品っぽい部分が、随所にちりばめられているのだ。

 たとえば、話が進むにつれて登場する怪しげな風紀委員会との理事長公認バトルの名前が「理事長御前死合」。「試合」に「“死”合」の漢字をあててしまうとは! 絵柄はかわいいけれど、これは1985年から「週刊少年ジャンプ」で連載された男達のバンカラバトルマンガ、宮下あきら『魁!!男塾』を思い出させるセンスではないか。
 風紀四天王の一人・山田織笛(オルフェ)の繰り出す技につけられた絢爛たる名前「牽牛と織女の散乱打!!!」(と書いて「ミルキーウェイ」の読み仮名が!)、「聖巨人の三連星!!!!」(オリオンソォォード)、「聖巨人の七連星!!!!!!」(オリオンソード・ペテルギウス)等々、「!」の数も華々しい素敵な技のハッタリ感も、車田正美『聖闘士星矢』(1985〜1990年)などのジャンプバトルマンガの伝統を感じさせてくれる。

 いい意味でハッタリがききまくったキャラクターとその必殺技(&ネーミング)、極端で目をひく奇抜な構図、バトルで戦った相手が味方になっていくところなどなど、本作は『週刊少年ジャンプ』の歴史のうえに誕生した作品だと感じる。

 まあでも、それも当然かもしれない。なにしろ、カギューたちが通う学園の名前は「花は桜木学園」で、掲げる唯一の校訓は「絶対個性主義(キャライズム)」なのだ。個性を競い合い一等賞をとった方が正義、というのがルールのこの学園自体が、ストーリーの細かい整合性より、キャラクターの個性と勢いを重視する、と聞く『少年ジャンプ』そのものみたいにも思えてくる(もちろん、その一面を極端に誇張したものではあるだろうが)。教育機関としてはいささか問題があるとは思うが、この現実とは切れた思い切った設定も、本作では「ありえねー!」「でも面白い!」という「マンガとしての面白さ」のドライブ感を後押ししているのだ。

 キャラクターの描かれ方も面白い。たとえば、一見男の子に見えるカギューが、恥じらうと、すご〜く可愛い女の子に描かれるところだ。そのギャップにドキッとするカモ先生。「いつもと違う女の子の様子に、思わずときめく男子」という黄金パターンなのだが、本作ではその「いつも」と「かわいい瞬間」との振り幅の表現が、とにかく極端なのだ。
 極端なのはかわいさ方面だけではない。カモ先生に近づく文学少女・山崎富江や、才色兼備の委員長・御門朱羽もすごい。おとなしげな富江も自分の思いが裏切られたと感じるや、般若のごとき形相に変貌するし、優等生の朱羽にいたってはすごい美少女なのに、カギューを陥れようと嘘をつくシーンでは、ページをめくった瞬間「アレ?これホラーマンガだったの!?」と驚愕するほどにものすごい邪悪な表情を見せてしまうのだ(あまりの変貌ぶりに、笑うシーンじゃないのに思わず声をあげて笑ってしまったほどだ。1巻に収録されてるので、ぜひ見て確かめて欲しい)。
 同じ登場人物の色んな面を描く、というのはマンガのセオリーだが、「可愛い女の子にもこんな邪悪な面が」というのを、可愛らしさは思いっ切りかわいく、しかしドロドロしたたくらみを口にするときは「違うマンガ!?」と言いたくなるくらい怖〜い絵柄で表現してしまう、ほとんど「デジタルな切り替わり」と言いたくなるほどの思い切りのいい「ふり幅の大きさ」が、作者独自の特徴であり、大きな魅力だ。
 ヒロインのカギューは、ふだんは見た目少年、でも恋心を口にするときは見た目が美少女に……という表現も、いい意味での「マンガっぽさ」を感じて楽しい。バトルマンガの法則をふまえて読み手が無意識に「すわ攻撃!?」と思うタイミングで、ヒロインが意表をつく恥じらいをみせる、という読み手のリズムを「外し」てくる手腕も冴えている。

 そして、思うのだ。「これ、週刊連載で読んだら楽しいだろうなぁ〜」と。「とにかくまずは今週、読者をあっと言わせてみせる!」と言わんばかりの派手な展開に息をのみワクワクとページをめくり、作者の意のままにドキドキさせられる快感。本作にはそれがあふれている。それは、私がかつて1980年代の「週刊少年ジャンプ」を愛読していた頃に感じていた興奮の質に、とても似ている。
 表紙だけだと、一見「イマ風ラブコメ」に見える本作だが、かつて「少年ジャンプ」に心ときめかせた同世代(や、それ以上の世代)のマンガ読みにも、絵柄のギャップをこえて是非勧めたい作品なのだ。



(川原和子)  

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