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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第39回 『ファンタジウム』 杉本亜未 (講談社)

ファンタジウム 表紙

(C)杉本亜未/講談社

 手品師の祖父に憧れていたサラリーマン・北條英明は、ある日、偶然出会った風変わりな少年・長見良のマジックの技術に魅せられる。亡くなった祖父の弟子だったという良は、難読症というハンデを抱えた少年だった・・・。良の才能を埋もれさせずプロのマジシャンにしたい、と、北條は良をひきとり、ふたりはともに歩み始める。

 マジックに関しては天才的だが、中学2年生ながら小柄で歳より幼く見える良。マジックを見るときには手放しにはしゃぐ子どもらしさと、ときどき飛び出す老成した口調や考え方には大人びた面もあわせもつことをかいま見せる。中学の同級生の話題についていけず「ナウなヤングと合わねーーっ」と内心思ったり、オッサンのような上から口調と死語を、童顔の良が連発するギャップには思わず笑ってしまう。だが、難読症という障害のために字がほとんど読めず、学校に居場所がなかった良の年齢離れした語彙が、マジックの師匠だった英明の祖父・北條龍五郎から受け継がれたものだと思うと、それが良と世界との数少ない接点だったことが感じられて、少し切ない。

 日本では理解の進んでいない難読症という障害のせいで、学校では教師にも理解されず激しいいじめにあい、「この子をなんとか人並みに」と良の将来を案じる父に家業を手伝わされても、うまくできないために暴力をふるわれてしまう。そんな状況のなかでマジックだけを心の支えにしてきた良は、「俺と世界を目指そう」と両親を説得して良をひきとりプロマジシャンへの道をサポートしようとする北條を「信じたい」と言う。「読み書きができないとダメな奴だって・・・・・・すぐ見下されるから」「小さい時から 見下さない人がいたら俺はずっとその人を信じるって決めてたんだ」「おじさんはバカにしなかった」「だから・・・・・・信じたい・・・・・・」

 だが、障害を理解してくれ通える学校を見つけようと奔走する北條に対し、学校には行きたくない、と抵抗する良。都内をしらみつぶしにあたり、ようやく受け入れてくれそうな学校があっても、結局は拒否されてしまう。良が、あきらめることにどこか慣れてしまっているのは、それに類する無数の体験の繰り返しからきているのだろう。
 そして、「信じたい」北條とも、決定的にわかりあえない点があることにも良は気づいてしまう。一流大学を出て大きな会社のサラリーマンをしている体育会系の北條は、悪気はないけれど、無意識に自分の体験を基準に、学校で友達とのびのび楽しい生活を送って欲しい、と、良に通学をすすめてくる。難読症の良にとっては授業は苦痛でしかないことがいまひとつ北條には実感として伝わらず、北條からは、「良にも・・・・・・のびのび育ってほしいんだけど・・・・・・」と言われてしまうのだ。
 北條にとっての学校と、自分にとっての学校のあまりの違いに、良はこう尋ねる。
 「おじさんてさ もしかして今まで どう苦しんでも 手の届かないことやできないことがあって 徹底的にコケにされたり 人間性問われたりしたことない?」
 北條の答えは
 「ないな・・・・・・」「正直――ない!」。
 だが、その答えに、良は、なぜわかってもらえない?と感情的になるわけでもなく、ただただ驚き感心する。
 そして、「自分が心から信じた相手でも理解してくれないってことはあるんだな」と、その苦さをひとり、静かに受け止めるのだ。

 このほろ苦い人間観は、まちがいなく、「大人」のものだろう。たくさんの苦しい体験が、ある面においては年齢的には大人の北條よりも、良を「大人」にしてしまっている。でも、そんなノーテンキなほど前向きで明るい北條だからこそ、「俺もおじさんといるうちに安心して子供になってたな」と良は思えるのかもしれない。のちに、北條は良のマネージメントに夢中になるあまりに左遷されてしまうのだが、周囲の心配をよそに、まったく暗くならず頑張れる北條の明るさは、傷つくことの少ない人生を送ったある種の人のもつ楽天性だ。だからこそ北條は、つらい体験から屈託を抱えざるをえない良の、よき「相棒」なのかもしれない。

 『ファンタジウム』は、良の障害や周囲の人々のさまざまな思惑という抑圧感のある部分のていねいな描写があるからこそ、良のみごとなマジックに観客が思わず息をのみ、魅了され、やがて惜しみない喝采を送る場面では、すばらしい解放感が味わえるのだろう。周囲に見下されいじめられても、信じると決めた相棒にさえ理解してもらえない部分があっても、マジックをしているときだけは、良の技が見る人を夢中にさせ、笑顔にするし、そのことで良自身も解放される。そしてそれは、たしかに選ばれた少数の人間にしかできないことなのだ。
 そんな良は、一貫して競争をいやがる。コンテストで賞金とトロフィーをとって一流を目指せ、という北條は、「少年漫画だってそうだろ 男は努力して強くなって敵を倒して上に立つもんだ!!」と力説するが、良は「えっ」「何で!? どうして!!」「そういう攻撃的な発想はどっから来るんだろうね?」と心底不思議そうなのだ。
 実際、卓越した技術とユニークなキャラクターでだんだんマジシャンとして注目されていくにつれ、良は本人の思惑とはうらはらに、自分が脚光をあびることが結果的に人をおしのけたり傷つけたりする事態に直面していく。まして難読症の良はその結果に気づくのが遅くなることも多々あり、「傷つけることに気がつけない自分」に傷つき、いらだってしまうのだ。
 考えてみれば、ときに、世の中はなんだか、大きさのきまったパイをとりあってるような、席の数が決まっている椅子取りゲームのような気がしてくることがある。さらにパイの大きさや椅子の数自体も縮小していくような焦燥感と閉塞感が、いまという時代の気分なのかもしれない。
 そんな時代のなかで、良の、勝つためでも人をねじふせるためでもなくただマジックをしたい、という気持ちは、作品のなかで、いったいどういう形で着地するのだろう。
 「マジックしかない」良が、マジックを通じてやりとげようとしているのは、誰かに勝つためではなく、自分が心から楽しみ、見る人を心底酔わせて楽しませること。
 「不可能を可能にする神秘の力」「だれにも閉じこめることができない永遠に自由な人間――」(4巻、p.109)、マジシャンもお客も、みんなで一緒にそんな「夢」を見る。それが、マジック。
 それは、マンガが読者に見せてくれる「夢」とも似ている。
 ほろ苦い現実を含みながらも、これから先、どこまでの「夢」を見せてくれるのか。
 わがままな観客のひとりとして、作者が見せてくれるマジックの展開を、ドキドキしながら楽しみにしているのだ。(川原和子)

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