憲法で読むアメリカ史 タイトル画像

憲法で読むアメリカ史

第19回 ロペズ事件と、変わらぬ憲法解釈、変わる憲法解釈

1937年の憲法革命

 合衆国憲法の歴史には、何度か大きな転換点があった。国の形が大きく変化し、憲法の内容や解釈が変わった。そもそも王政を否定して始まった宗主国との戦争ならびに13州の独立は、英国王を戴く立憲君主体制からの離脱という意味でアメリカ最初の「憲法革命」に他ならない。独立した13州のあいだで結ばれた連合規約を廃し、合衆国憲法制定により新しい連邦政府を樹立したのもまた、憲法革命と呼んでよい。さらに南部諸州の連邦脱退によって勃発した南北戦争は憲政の一大危機であったし、戦後行われた3つの憲法修正は連邦と州の関係を大きく変えた。
 1937年に起きた憲政上の危機もまた、憲法史上の大事件である。戦争はなく正式の憲法修正もなく、変更されたのは憲法解釈だけであったけれども、将来の国の形に大きな影響を与えた。
 前回述べたとおり、合衆国憲法第1条8節3項のいわゆる通商条項は、国内の経済活動を直接規制する権限を連邦政府に与えるほとんど唯一の規定である。これによってアメリカ合衆国は単一市場として機能するようになった。ただし19世紀を通じて規制の対象は原則として通商活動そのものに限られる。しかも連邦政府は州と州のあいだの通商(いわゆる州際通商)をごく稀にしか直接規制しなかった。19世紀後半から20世紀初頭にかけ、州境をまたぐ経済活動は急速に活発化し、企業の活動を全国規模で規制する必要が増大したが、通商条項の解釈はほとんど変わらず、その拡大解釈による企業活動一般の規制は許されなかった。
 1929年に発生した大恐慌は、この解釈に大きな挑戦状をつきつける。5千もの銀行が破綻し、工業生産が半分以下となり、国民の4分の1が失業するなど、アメリカ合衆国の経済はきわめて深刻な状況に陥った。この危機は連邦政府による経済活動への徹底的介入によって乗り切るしかない。1933年3月に就任したフランクリン・ローズベルト新大統領は、そう確信して「ニューディール」と呼ばれる一連の大胆な政策を打ち出す。
 これらの政策実施のため民主党が多数をにぎる連邦議会がしばしば法律制定の根拠として用いたのが、憲法の通商条項である。たとえば1933年6月の全国産業復興法(NIRA)は、本条項をゆるやかに解釈して、それまでの連邦法とは比較にならないほど広範かつ強大な権限を連邦政府に与えた。本法のもとで、政府は企業に対し生産量や製品価格の統制を行い、さらに最長労働時間や最低労働賃金など労働環境を規制できる。また大統領には法執行にあたってほとんど無制限の裁量権が与えられた。連邦政府が私人や私企業の生産活動に直接介入するのは、アメリカの伝統的な自由市場経済思想に反している。しかし大恐慌という国難にあたって、この国の経済政策は社会主義国家に見られる計画経済的色彩をもちはじめた。
 ニューディールに対しては反発も強かった。これらの法律は違憲だとして、いくつもの訴訟が提起される。上訴を受け合衆国最高裁は1935年から1936年にかけ、ニューディール政策の根幹となる重要な法律を次々に違憲無効と判断する。法律の合憲性が問われた10件の事件中、実に8件で違憲判決が下された。
 たとえば全員一致でNIRAを違憲とした1935年のシェクター対合衆国事件の判決で、最高裁は次のように判断する。連邦政府が行使できるのは憲法に列挙された権限に限られる。それ以外の権限行使は許されない。NIRAはその制定根拠を通商条項に求めているが、本条項の規制対象は外国、インディアン諸部族との通商以外は州際通商のみであり、本事件で規制の対象とされる1州内での鶏肉処理や販売は州際通商ではない。したがって違憲である。他の判決でも、いくつかの連邦法や州法が、通商条項や憲法のいわゆるデュープロセス条項に反するという理由で違憲とされた。
 これら一連の違憲判決にいらだつローズベルト大統領は、再選を果たして間もない1937年2月、70歳に達した最高裁判事が辞任しない場合大統領は新しい判事を6人まで任命できるとする法律の制定を、議会に要請する。当時9人の最高裁判事中6人が70歳を超えており、そのうちの5人が特に政府の権限を制限する伝統的な憲法解釈に特にこだわっていた。彼らが最高裁に残っても、通商条項やデュープロセス条項の解釈変更を是とする判事の数を増やせば違憲判決を防げる。大統領の提案は、70歳を超えた判事は耄碌して正しい判断ができないといわんばかりであった。最高裁はこの動きに強く反発し反論を試みる。大統領と最高裁が真っ向から対立し、憲政上の危機が生じた。
 ただし議会は民主党が圧倒的多数を占めるにもかかわらず、結局、同法案を可決しなかった。最高裁の定員増によって大統領が最高裁判決の行方を左右できるようになれば、司法の独立が失われ三権分立というアメリカ憲法のもっとも重要な仕組みが大きく損なわれる。大統領への過度の権限集中は独裁につながりかねない。議会はそう判断して同年7月この法律制定を拒否したのである。憲政の危機はこうして乗り越えられた。
 一方、最高裁は1937年3月突如これまでの解釈を変える。ウェストコーストホテル事件判決で、ワシントン州の最低賃金法を合憲とする判断を示し、デュープロセス条項にもとづき財産権の保護や契約の自由を重んじるそれまでの一連の判決を覆したものである。その2週間後、通商条項を根拠に制定された全国労使関係法の合憲性についても、最高裁は新たな判断を示す。ジョーンズ・ラクラン製鉄会社事件判決で、規制対象である経済活動が州際通商そのものではない場合、州際通商に「直接の影響」を及ぼさないかぎり連邦政府は規制をできないというこれまでの解釈をゆるめ、「サブスタンシャルな影響」があれば規制は許されるという大きな解釈変更がなされた。(アメリカ憲法の概説書は、「サブスタンシャル」という言葉を通常「実質的な」と訳しているが、むしろ「かなりの」というニュアンスが強い)。そして労働者の待遇改善は州と州の間の通商に「かなりの影響」を及ぼすがゆえに、全国労使関係法を通商条項にもとづき制定するのは合憲だと判示したのである。
 一体なぜ最高裁はそれまでの憲法解釈を変えて、一連のニューディール立法を合憲とするようになったのか。解釈変更を行った判決がローズベルトの最高裁定員増加提案直後に下されたため、その圧力をかわすためだとの説が当時あった。しかし実際には提案以前に、最高裁内でニューディール反対の立場を取り続けた5人の判事の1人ロバーツ判事が賛成に転じたと言われる。ローズベルト大統領が圧倒的な国民の支持を得て再選されたのを見て、考え直したらしい。この1票で、ニューディール支持派が多数を占めることになった。ちなみに残りの4人は絶対に反対の立場を崩さないこちこちの保守派であった。当時の新聞は、世界の終わりに馬に乗って現れ、人間に災禍をもたらすと新約聖書「黙示録」に記される4騎士になぞらえ、彼らを「フォー・ホースメン」と呼んだ。
 いずれにしてもその後高齢の判事が次々に引退し、ニューディール支持の判事が代わりに任命され、新しい憲法解釈が定着する。そして経済活動に関連する法律の制定にある程度の合理性があれば、最高裁は当該法を合憲とするようになった。1937年の憲法革命は、第2次大戦から戦後にかけての、さらなる連邦政府権限拡大に正統性を与える。通商条項は著しく拡大解釈されるようになり、連邦政府の規制権限に実際上制限はない。ロペズ判決が下されるまで、それが一般的な解釈だった。

合衆国対ロペズ事件の判決

 そこで改めて、1995年に下された合衆国ロペズ事件の判決である。最高裁は学校にピストルをもちこみ、「学校地域銃器追放法」に違反した容疑で起訴された少年ロペズを有罪とする下級審の判決を破棄し、同連邦法を違憲無効とした。この法律は連邦政府が有する立法権限の範囲を逸脱しているとするこの判決は、5対4の僅差であった。1937年以来変わることのなかった通商条項の解釈は変更されたのか。判決の意味について憲法学者のあいだで活発な論争がはじまった。
 多数意見を著したのはレンクイスト首席判事である。同判事はまず、憲法は連邦政府の権限を列挙している、その理由は政府の権限を制限することによって人民の自由を守るためであることを再確認する。そして憲法史をふり返り、1937年以後の憲法解釈変更によって連邦政府は州際通商に「かなりの影響」を与える経済活動を規制することができるようになったけれども、それは連邦政府が個人や企業に対する無制限の規制権限を得たことを意味しない。そう念を押した。
 まず規制の対象はあくまで経済活動であらねばならない。またそうした経済活動が「かなりの影響」を実際に州際通商へ与えねばならない。学校地域での銃器保持はいかなる意味でも経済活動でないし、そうした銃器保持が州際通商に「かなりの影響」を与えるとは言えない。
 本事件の当事者である合衆国政府は、学校での銃器保持が州際通商に「かなりの影響」を与えるかどうかは議会が判断することがらであり、司法が口を出すべきものではないと主張する。しかしそれを言うなら伝統的に州が規制してきた犯罪のみならず、結婚や離婚、教育そのものもまた、州際通商に影響を与えると言えるだろう。もしそうなら、市民のあらゆる活動を連邦政府が直接規制できるようになり、州と連邦のあいだで権限を分担する意味がなくなる。それは連邦制度を設けた憲法制定者の意図に反するものであり、したがってこの法律は違憲無効である。首席判事はこう説明した。
 レンクイスト判事の多数意見は、州際通商に対する「かなりの影響」のありなしを通商条項にもとづく立法の合憲性の基準とする1937年以降の憲法解釈を否定したものではない。実際同判事も認めているとおり、この基準のもとで規制可能な法律とそうでない法律の線を明確に引くのは難しい。ただ通商条項を根拠とした連邦政府による無制限な規制は、これ以上許すべきでない。判事はそう言いたかったようである。
 これに対し同意意見を著したトマス判事は一歩踏み込み、1937年以降の最高裁による通商条項解釈は間違っていると言い切る。そもそも憲法の文言と制定者の意図からして、憲法が想定した通商は、製品の売買、取引、輸送を行う活動の総称であり、鉱工業、農業などによる生産活動とは区別されるべき概念である。したがってどれほど「かなりの」影響を州際通商に与えようが、通商条項にもとづいて生産活動をはじめその他の通商以外の活動を規制するのはそもそも許されない。さらにもしそのような拡大解釈が憲法1条8節の「必要かつ適正」条項によって許されるなら、連邦政府はありとあらゆる活動を規制できることになり、同じ節で憲法が連邦政府に、通貨の発行、通貨偽造の禁止、度量衡の設定など、通商に大きな影響を与えるその他活動の規制権をわざわざ規定する意味がなくなる。
 したがってこの解釈にもとづく1937年以降の最高裁による通商条項解釈は憲法制定者の意図に反するものであり、こうした間違った解釈は将来正すべきものだと考える。ただし、これまで60年の間に、この解釈にもとづく多くの判決がすでに多数下されており、前例として定着し、人々がそれに依存している。したがって、これら先例をただちに無効にするのが実際的ではないことを認める。トマス判事はこう論じた。
 ちなみに多数意見に賛成したのは、オコナー、スカリア、ケネディー、トマスの4判事である。妊娠中絶の権利に関するケーシー事件判決でロー判決擁護に回ったオコナー判事とケネディー判事が、この事件では保守派のレンクイスト、スカリア、トマス判事に同調し、多数を形成した。
 一方、スティーブンス、スーター、ギンズバーグ、ブライヤーの4人で反対票を投じたが、ブライヤー判事は反対意見のなかで、この事件で最高裁が判断すべき争点は、学校における銃器保持が州際通商に「かなりの影響」を与えるかどうかではなく、銃器保持が州際通商に「かなりの影響」を与えると連邦議会が判断するのに合理的な理由があるかどうかである。もちろん議会がそう判断して制定する法律がすべて合憲であるとはいわない。しかしこの事件の場合、学校における銃器の存在は犯罪につながり、教育のありかたに大きな影響を与える。それが経済活動一般に影響し、ひいては州際通商を妨げると議会が判断するのは、合理的であるといわざるを得ない。多数意見は60年間固定していた通商条項の解釈と矛盾し、これまで安定していた憲法解釈を不安定なものにする。したがって好ましくない。ブライヤー判事はそう主張した。
 ロペズ事件判決は、1980年以来の司法保守化の運動にとって大きな意義があった。ニューディール以来の連邦政府の権限拡大、特に民主党政権の主導によって戦後弾みがついた大きな政府による福祉国家実現の動きに保守派は反発し、小さい政府の復活を目指してきた。通商条項の解釈を憲法制定時のものに戻すのは、その有力な一手段となりうる。ロペズ判決は、そうした保守派の動きに合致していたし、彼らの期待にある程度応えたものでもあった。逆に進歩派は本判決に危機感を覚える。ただしこの時点で、最高裁がロペズ事件判決の論理を用いて将来どこまで連邦政府の権限を実際に制限するかは、まだ不明であった。






NTT出版 | WEBnttpub.
Copyrights NTT Publishing Co., Ltd. All Rights Reserved.