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憲法で読むアメリカ史

第15回 ケーシー事件と司法保守化の天王山

ケーシー事件の上訴

 セクハラを受けたと訴えるアニタ・ヒルの証言をかろうじて乗り越え、クラレンス・トマスが合衆国最高裁判事に就任する――その2日前の1991年10月21日、合衆国第3巡回区控訴裁判所が、南東ペンシルバニア家族計画協会対ケーシー事件の判決を下した。中絶の許可を両親から求めるのを未成年の妊婦に義務づける、中絶を望む女性にその危険性を説明する義務を医師に課すなど、妊娠中絶を一部規制するペンシルバニア州中絶規制法を、1規定を除き合憲とする内容であった。判決を下した3人の判事のなかで、同法の規定はすべて合憲であるという補足意見を著したのは、のちにブッシュ(息子)大統領によって2006年最高裁判事に任命されるサミュエル・アリト判事である。敗訴した原告の家族計画協会は11月7日、最高裁へ上訴を請願する。翌1992年1月21日上訴が許可され、口頭弁論が4月22日に行われることになった。
 連邦最高裁判所は下級審から上がってくるすべての事件を審理するわけではない。連邦控訴裁、州最高裁で敗訴した当事者がもちこむ上訴案件は、毎年8000前後の数に達する。その全てを取り上げていれば最高裁はたちまちパンクしてしまう。個々の事件を丁寧に分析し詳しい判決文を書くこともできない。
 したがって下級審からの上訴を取り上げるかどうかは、原則として最高裁が裁量で決定する仕組みになっている。上訴を希望する当事者はPetition for writ of certiorari という請願書を、一定の手続きにしたがい期日までに最高裁へ提出せねばならない。Certiorariというのは、「知らせる」という意味をもつラテン語の言葉に由来する。またWritは、「書きもの」転じて「令状」という意味で、中世以来イギリスの法廷が発してきた命令書のことである。したがって、Writ of certiorariは、下級審を行った裁判所に対して当該事件について上級の裁判所に知らせなさい、より具体的には当該事件に関わる一件書類を最高裁に移送しなさいという命令書のことなのである。日本語では、移送令状あるいは裁量上訴令状と訳すようだ。
 上訴を望む当事者はこの移送令状を発してくださいとの請願書(Petition for writ of certiorari)を最高裁に届けて上訴の意思を示し、最高裁は請願に基づいて移送令状を発するかどうか、つまり上訴を取り上げるかどうかを決める。より具体的には9人の判事のうち、4人が賛成すれば、請願が許可(Grant)され上訴が認められる。多数判決の構成に通常必要な5人より1人少ない。
 こんなことを長々書くのは、ロースクールで憲法を履修したときの思い出があるからだ。授業でいきなりこのWrit of certiorari(サーシオレイライと発音する)が出てきて面食らった。そしてその意味も読み方もさっぱりわからなかった。司法の世界ではずい分古くさい言葉を使う。そう感じた。この裁量上訴制度の活用によって、連邦最高裁が審理する案件は年間およそ80件に押さえられている。
 最高裁はどのような基準で上訴を認めるのか。強制力のあるルールはないようだ。ただしおおまかに言えば、複数の下級審で同じ法律あるいは憲法問題について異なる解釈が下されており統一した判断を示すことが必要であると考えられるとき、また下級審で扱われた憲法問題が、きわめて重要であると最高裁が判断するときに、上訴が許されることが多い。
 ケーシー事件は国論を二分する妊娠中絶に関する事件であるから、重要なことは疑いがない。ただこの事件の上訴をすぐに認めて同年の最高裁開廷期が終わる1992年6月末までに判決を下すべきかどうかについては、最高裁の内部で意見がわかれた。
 一つには次の大統領選挙が1992年11月に予定されていた。いま上訴を認め開廷期終了までに判決を下せば、その判決自体が選挙の争点になる可能性がある。請願者側の代理人は、むしろそれを狙い、第3巡回区控訴裁の判決が下されてから僅か3週間後に上訴の請願を行ったのである。
 しかも代理人は請願書冒頭に記す再審を求める争点として、「最高裁は、妊娠中絶を選択する女性の権利は合衆国憲法によって守られる基本的人権であるとするロー対ウェード事件判決を、すでに覆したのか」という問いを掲げ、最高裁はロー判決の核心部分を認め続けるのか、もはや認めないのか、と大上段から迫った。選挙の争点としてわかりやすくするためである。
 レンクイスト首席判事は、このきわめて政治的な動きを好まなかった。そのため請願書を首席判事の特権でしばらくたなざらしにし、定期的に開かれる判事会議ではケーシー事件上訴請願の審理を延期扱いにする。これに進歩派判事たちが反発した。ロー判決の起草者であるブラックマン判事は、抗議の内容を覚え書きにしたため他の判事に回覧する。さらにスティーブンス判事は請願延期の決定に対し反対意見を著し、公表すると首席判事に伝えた。
 そもそも請願審理の決定に反対意見を書く判事は、めったにいない。その異例な反対意見が出され、ケーシー事件上訴請願の審理が意図的に延期されていることが公になれば、この事件を政治的に扱っているのはレンクイスト首席判事だと受け止められかねない。最高裁が政治にまきこまれるのを嫌うレンクイストは、しかたなくケーシー事件の上訴を取り上げるべきかを次の判事会議ではかり、判事4人の賛成を得て開廷期間内に判決を下すことを決定した。

妊娠中絶に関するそれまでの司法判断

 これまでにも記したとおり、最高裁は1973年にロー対ウェード判決を下し、女性が中絶を行う憲法上の権利を有することを初めて認めた。法廷意見を著したブラックマン判事は、中絶を選択する自由は判例上認められてきた「プライバシーの権利」の一部であり、憲法修正第14条が保障する基本的人権の1つである、妊娠中絶をほぼ全面的に禁止するテキサス州刑法は違憲である、と判示した。ただし生まれてくる胎児の命もまた憲法上守るべき重要な利益であり、妊婦の権利は絶対ではない。したがって、両者のあいだでバランスを取るため、胎児の成長に応じて妊娠期間を医学上の知見に基づきおおよそ12週、24週、34週の3つにわける。そして胎児が母親の体外に出ても無事に育つと判断される第3期に入れば、妊婦の生命と健康を守るために必要な場合を除き、州は中絶を規制・禁止してかまわないとのルールを示した(連載第5回参照)。
 この判決をきっかけに、妊娠中絶はアメリカを二分する大きな政治的社会的問題となる。そしてロー判決の堅持を唱える「プロチョイス」派とロー判決を覆すよう求める「プロライフ」派のあいだで、激しい対立が続いた。特にプロライフ派の運動家たちは保守的な州で新たな中絶規制法を制定し、その合憲性について連邦裁判所の判断を求め、究極的には最高裁へもちこんで合憲判決を勝ち取ってロー判決を覆すという作戦をたてた。
 このためロー判決以後、妊娠中絶は各州の議会選挙、連邦議員選挙、さらに大統領選挙で大きな争点となる。プロライフの立場を取る州議会議員の選出はロー判決に挑戦する中絶規制法の制定につながり、さらにプロライフ派の大統領ならびに連邦上院議員の選出はロー判決に反対する連邦裁判所、特に連邦最高裁の判事任命の可能性を高めるからである。
 ロー判決の内容については左右の憲法学者の多くが批判的であったが、ロー事件の法廷意見に賛成する判事が多数を占めるあいだ最高裁はロー判決の基本的立場を守り続ける(連載第7回参照)。しかし1989年1月、レーガン大統領に代わってブッシュ(父)大統領が就任した直後、最高裁は妊娠中絶に関するこれまでの判決から一歩踏み出した判決を、5対4の投票で下した。ウェブスター対生殖健康組合事件の判決である。
 問題となったのはロー判決が定めた妊娠第2期の途中である20週目以降、胎児が母親の体外に出ても生存可能かどうかの検査を妊婦に対し行うのを、中絶を担当する医師に義務づけるミズーリ州法の合憲性である。同法はまた中絶の指導に州の公金を用いること、また公立の病院や診療所で中絶を行うことを、妊婦の生命に危険がある場合を除き禁じていた。いずれもロー事件判決のもとでは違憲とされる規定である。
 法廷意見を著したレンクイスト首席判事は、両方の規定を合憲であると判断した。女性が中絶を選択する権利は、中絶手術への公金支出や公立施設使用を求める権利までを包含しない。また胎児の体外生存能力検査を医師に義務づける当該州法の規定は、胎児の命の保護という州が有する強い利益と合理的関係があり、中絶の権利を不当に制限するものではない。妊娠の期間を3つにわけ、第3期になって初めて州は胎児の命を保護する利益を有するとのロー判決の内容は、憲法上まったく根拠がない。そう判示した。
 首席判事の意見に賛成したホワイト、オコナー、スカリア、ケネディーの4人のうち、オコナー判事は同意意見を著し、医師による体外生存可能性検査義務化は行き過ぎである、法廷意見はロー判決の基本的内容を覆したものではないと理解すると釘を刺した。逆に同じく同意意見を書いたスカリア判事は、法廷意見が明確にロー判決を覆すと宣言しないことに強い不満を示す。これに対してブラックマン判事は、この判決が修正第14条のデュープロセス条項が守る自由の一部である基本的なプライバシー権を実質的に否定するものだと、強く非難した。同判事の他に、ブレナン、マーシャル、スティーブンスの3人が、反対の立場を取る。
 こうしてウェブスター判決は、妊娠を3期にわけて中絶の是非を判断するロー判決の理論的構成をほぼ否定し、判決の適用範囲をかなり狭めたものの、中絶を選択する権利が憲法で保障されているというその核心を覆すには至らなかった。

ケーシー事件の口頭弁論と最高裁内部の審理

 ウェブスター事件判決から約3年、冒頭で述べたとおりケーシー事件の口頭弁論は1992年4月22日に行われた。最初に口頭弁論を行ったのは、請願人(第1審原告)の代理人でアメリカ自由人権協会(American Civil Liberties Union 通称ACLU)のロイヤー、キャスリン・コルバートである。彼女は弁論の冒頭、ロー判決をそのまま維持し、中絶の権利を憲法上の基本的人権として守り、ペンシルバニア州中絶規制法をすべて違憲とするよう求める。
 いつもなら代理人の弁論が始まると間髪をおかず判事の一人が質問をはさみ、代理人の必死の応答が続く。ところがこの日は最初だれも口をはさまず、8分が過ぎたころ、ようやくオコナー判事が質問した。
 「コルバートさん、あなたは、当法廷がすべきことは、先例としてのロー判決を全部認めるかどうかだけだと論じているようですが、当法廷はペンシルバニア州法の個々の条項の合憲性を審理するために上訴を取り上げたのですよ。あなたはその点については何も主張しないのですか」
 コルバート代理人はこれに対し、はっきり「ノー」と答えた。ペンシルバニア法の個々の規定が合憲か違憲かについての判断は求めない。ロー判決をそのまま認めるか、それとも覆すか。それだけを求めると言い切った。ケネディー判事も個々の条項について論ずるよう促したが、彼女は譲らなかった。
 首席判事は口頭弁論終了後ほどなく判事会議を開き、当該事件について各判事の意見を聴く。そのうえで決をとって判決の方向をある程度定め、だれが法廷意見を書くかを決めるのが慣わしである。ケーシー事件については、9人の判事のうちレンクイスト、ホワイト、オコナー、スカリア、ケネディー、スーター、そして新しく加わったトマスが、ペンシルバニア法の大部分の条項を合憲とする意思を示した。これに対し、スティーブンスとブラックマン判事が、同法のすべての条項を違憲にすべきだとの立場を取る。合憲派の優勢は明らかであった。しかし多数のなかでレンクイスト、ホワイト、スカリアの3人がロー判決を明確に覆すべきだと主張したのに対し、オコナー、ケネディー、スーターの3人はそこまでの決意ができていなかった。そこでレンクイスト首席判事は、法廷意見起草を自分自身で引き受ける。
 法廷意見起草を任された判事は自室にもどり、助手の力を借りながら仕事を始める。そして完成した法廷意見草案は判事全員に回覧され、他判事のコメントや修正の提案を受けたうえで、その内容を反映するように手を加える。ときにはこの過程において判事会議で最初に決を取った際の多数と少数が入れ替わり、法廷意見として起草された草案が反対意見に、反対意見が法廷意見になることもある。この一連の作業が終わると、完成した法廷意見と同意意見、反対意見が、法廷で読み上げられる。
 ケーシー事件の審理も同じ手順を踏んだ。仕事が速いレンクイスト首席判事は、5月27日には早くも法廷意見草案を回覧に回した。ペンシルバニア州法のすべての規定を合憲とし、女性が妊娠中絶を選択する自由を基本的人権の一部だと当法廷がロー判決で判じたのは間違いだったと明記する内容であった。しかしスーター、オコナー、ケネディーの3判事はこれに同意せず、共同で執筆したロー判決の基本的部分を維持する別の草案を6月3日に回覧する。この2つの草案をめぐってさらなる修正が提案され、両者間でいろいろな駆け引きや説得があり、ついに判決の日を迎える。もちろんこうしたやりとりは一切表に出ない。

ケーシー事件判決

 ケーシー事件判決は、1992年6月29日に下された。ウェブスター判決後に、ブレナン判事とマーシャル判事が引退した結果、最高裁判事9人のうちでロー判決維持の立場が明確なのは、もはやブラックマン判事とスティーブンス判事のみ。保守派は今度こそロー判決が覆されるものと期待した。しかしその期待は裏切られる。
 法廷意見はオコナー、ケネディー、スーター判事の共著という形を取った。同意見は最初にロー判決の基本的内容、つまり女性は憲法上妊娠中絶を選択する権利を有するという原則を再確認すると、明言した。そしてその理由を述べる。
 第1に、たとえ憲法には明確に規定されていなくても、結婚、妊娠、避妊、子育て、教育など、きわめて個人的なプライバシーに関することがらに関し、憲法は個人の自由を守ってきた。「自由の根幹をなすのは、生存の意義や意味について人が自分自身で決定する権利である。」中絶の権利もまたロー判決が示したとおり、そうした自己決定権の一部として憲法修正14条のデュープロセス条項のもとで守られるべき基本的権利である。
 第2に、ロー判決支持にわれわれが一抹の抵抗を感じるとしても、先例拘束性の原理にしたがって同判決を踏襲すべきである。連邦最高裁の憲法判決は最高裁が最終裁判所であるため、いったん下されると下級裁判所はもちろん、行政府、議会のいずれも覆すことができない。憲法改正による変更は可能だが、容易ではない。したがって明らかに間違った最高裁の憲法解釈は、最高裁自身が正すしかなく、それは許されている。先例拘束性の原理は最高裁にはそのまま当てはまらない。ただし安易に先例を覆すと法の安定性が損なわれる。社会を二分するような難しい憲法問題に関して判断する場合は、特に慎重であらねばならない。
 ロー判決の場合、判決が下されてから約20年後の今も、その基本的なルールは機能している。また憲法理論の発達によってその論拠が古くさくなったわけでも、判決の前提になった事実関係に根本的変化があったわけでもない。なによりも、この20年間、女性は中絶を可能にしたロー判決に変更がないことを前提に自分の人生を設計してきた。今それを覆すと大きな損害と混乱が生じる恐れがある。
 第3に、州は人として生まれてくる胎児の命を守る重要な利益を有し、同利益は胎児が母親の体外に出ても生存が可能となる時点で初めて母親の妊娠中絶の権利を完全に凌駕するという、ロー判決の基本的な内容もまた維持すべきである。ただし妊娠期間を3つにわけて中絶規制の是非を判断するというロー判決のルールには根拠がない。胎児の命の可能性は妊娠の最初から守るべき重要な利益である。したがって妊娠中絶の権利行使にとって「不当な障害」にならない限り、胎児が体外で生存可能となる前から、州は妊婦に対し中絶を選ばずに子供を出産することを奨励していい。
 以上の原則にしたがって3判事はペンシルバニア州法の内容を細かく分析し、中絶を希望する女性に医師が中絶の危険性を通知して同意を得る義務を課す規定、未成年の中絶に両親のいずれかまたは後見人の同意を必要とする規定、中絶を希望する女性に手術の実行まで24時間の待機を義務づける規定などを合憲と判断した。ただし、中絶を希望する既婚女性に夫への事前通知義務を課す規定は、中絶の意思を告げると夫から暴力をふるわれる恐れを感じる女性が少なからず存在し、通知の義務が事実上中絶を選択するうえでの「不当な障害」になるとして、違憲と判断した。
 以上の意見のうち、中絶の選択権を憲法上の基本的権利であるとしてロー判決を再確認する部分は、ブラックマン判事とスティーブンス判事が同意した。したがってこの意見が多数を占め、法廷意見としての拘束力をもった。ただしブラックマン判事は、ペンシルバニア州法の全ての規定を違憲とすべきであり、多数意見がロー判決の基本的枠組みを否定したのは許せないとする同意意見を別に著した。判事は自らの意見の最後に述べる。

 《今日の判決は1票差で決まった。私は83歳である。永遠に最高裁へとどまるわけにはいかない。そして私が引退するときには、後任判事の承認の過程で、当法廷が本件で審理した争点に議論が集中する可能性が高い。そしてそのとき(憲法上の中絶の権利を認めるか認めないか)二つの立場のどちらを取るかの選択がなされるだろう。》

 一方レンクイスト判事とスカリア判事はそれぞれ、ロー判決を明確に覆し、ペンシルバニア州法の規定をすべて合憲とすべきだとの強い反対意見を発表する。首席判事の意見は当初法廷意見草案として書かれたものであった。これにホワイト判事とトマス判事が加わった。保守派が目指したロー判決の完全否定には、1票足りなかったのである。
 こうしてレーガン大統領からブッシュ大統領と12年続いた共和党政権の最後になっても、妊娠中絶を選択する自由を憲法上の基本的権利であると認めるロー判決は、ついに覆らなかった。司法保守化の最大目標は達成されなかったのである。この年11月の大統領選挙でブッシュ(父)大統領が敗れ、再選はならなかった。翌年1月民主党のクリントン大統領が就任し、その後8年間保守派判事は生まれない。逆に進歩派判事2人が任命されて、最高裁はより進歩的な構成となる。
 なぜロー判決は覆されなかったのか。この判決は司法の保守化にとってどのような意味があったのか。その分析は次回行うことにしよう。






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