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憲法で読むアメリカ史

第14回 トマス判事任命と妊娠中絶の行方

クラレレンス・トマスの生い立ち

 1991年7月1日、ブッシュ(父)大統領はメイン州ケネンバンクポートの別荘におく夏のホワイトハウスで記者会見を行い、引退を表明したマーシャル最高裁判事の後任としてコロンビア特別区連邦控訴裁判所判事のクラレンス・トマス判事を紹介した。全米のメディアはトマス判事について、一斉に報道しはじめた。
 クラレンス・トマスは、1948年ジョージア州大西洋沿岸、サバンナの南に位置する小さな町、ピンポイントで生まれた。もともと南北戦争のあと奴隷の身分から解放された黒人たちが19世紀末に築いたコミュニティーで、トマス自身奴隷の子孫である。その後も20世紀半ばまで続いた南部の厳しい人種差別、白人と黒人を完全に分離した社会構造ゆえに、ピンポイントはアメリカの発展から完全に取り残されたままであった。住民は南部大西洋岸の湿地帯や島に今でも残る、西アフリカの言葉と英語がまざったグラーという独特の言葉を使う。トマスもこの言葉を話して成長したため、高校と大学で標準的な英語を改めて習得するのに苦労したという。
 トマスとその家族が暮した一部屋しかない掘っ立て小屋は土間で便所もなく、用を足すには外へ出ねばならなかった。農場労働者であった父親は、トマスが2歳のとき家を出る。トマスとその姉、弟の3人は母親の女手ひとつで育てられた。家事手伝いで生計を立てる彼女の収入は安定せず、慈善団体に頼らねば子供たちを食べさせられないほど貧しかった。トマスが7歳のとき火事で小屋が焼け進退きわまり、弟と共にサバンナに住む母方の祖父母に引き取られる。トマスの持ち物はスーパーの紙袋一つにすべて入ったという。祖父母の家で、生まれて初めて水洗トイレを経験し、定期的に食事を取るようになった。
 祖父は、正規の教育こそほとんど受けていないものの非常に勤勉な商人で、トマスに「日が昇ってまだベッドにいるのは許されない」と、勤労の大切さを教えた。また熱心なカトリック教徒で、トマスを尼僧が教える黒人の教区学校へ入れる。そして1964年に公民権法が成立し差別が緩和すると、さらにサバンナ市内にあるカトリックの白人寄宿高校へ移した。黒人生徒は他に誰もいなかった。
 サバンナは1733年に国王ジョージ2世の勅許を受けてイギリスの貴族オグルビーの一統が入植した、その名もジョージア植民地最古の都市である。文化の香り高い南部でも有数の美しい町であるが、南部の他地域と同様、白人と黒人はまったく別の世界で住んでいた。1950年代半ば以降、最高裁の判例や連邦法により、ようやく公立学校が黒人を受入れはじめたとはいえ、グラーを話して田舎で育ったトマスが白人の学校でやっていくのは容易でなかった。差別を受けながらも、トマスは努力してよい成績を残す。
 カトリックの神父や尼僧は、差別があるため満足な教育を受けにくい南部の多くの黒人に熱心に教育を施した。祖父の影響でカトリック教徒として育ったトマスは神父になろうと考え、高校卒業後ミズーリ州の神学校に進む。しかし将来聖職につくはずの白人学生がキング牧師暗殺を喜ぶのを見て、神父になるのをやめた。代わりにマサチューセッツ州のホリークロス大学に進み、英文学を専攻。さらにイェール・ロースクールへ進学し、1974年に中位以上の成績で卒業する。

トマス都へ行く

 極貧の境遇から努力を重ねイェールで法律を修めたトマスの前途は、洋々たるものであるように思えた。ところが名門中の名門ロースクールで十分よい成績を得て卒業したにもかかわらず、有名法律事務所に就職できない。当時珍しかったこの黒人弁護士の卵は、アファーマティブ・アクション(人種優遇策)のおかげでイェールへ進学し卒業できたのだろうと、採用担当者が勝手に決めつけたのである。
 後にトマスが人種優遇政策に反対の立場を取るのは、この経験が大きかったようだ。アファーマティブ・アクションは、長年の人種差別の結果、教育や人的ネットワークなどでハンディを背負った少数民族、特に黒人を早く社会に送り出し活躍させるため、大学や企業が優先的に入学させ採用する仕組みである。当初は暫定的な措置と考えられていたが、既得権益化し未だに続いている。
 こうした事情により、一流大学や大手企業の黒人はアファーマティブ・アクションのおかげでその地位を得たとみなされがちだ。その裏には黒人は白人とまともに競争しても勝てないという、白人側の口に出さない偏見がある。祖父から自助の精神をたたき込まれ努力を重ねたトマスには、それが我慢できなかった。この制度は黒人差別をかえって固定化すると信じるようになり、従来の進歩的な黒人運動家とは異なる保守思想を抱く若き黒人の一人となった。
 ロースクールを出たトマスはミズーリ州ダンフォース司法長官のもとで検察官の職を得、ロイヤーとして最初の実務経験を得る。1976年ダンフォースが連邦上院議員に当選しワシントンに移ったあとしばらく民間で働くが、1979年同議員のオフィスで立法補佐官として働きはじめた。自らが聖公会の牧師であるダンフォース議員は、一時神父になることを考えたトマスを可愛がった。彼が最高裁判事に指名されたときには、全面的に支持している。
 この若い黒人ロイヤーに目をつけたのが、1981年に発足したレーガン政権である。第2次大戦後黒人は伝統的に民主党を支持してきた。人種隔離政策を支持し続けた多くの南部民主党員は別として、民主党は人種差別撤廃に意欲的であった。ケネディー大統領の遺志をついで1964年公民権法を成立させたのも、テキサス州出身の民主党ジョンソン大統領である。投票者としての黒人が次第に影響力を増すにつれ共和党も黒人の支持獲得につとめるが、大きな政府や福祉政策に冷たくアファーマティブ・アクションに反対する共和党の人気は低い。したがって能力が高く、保守思想の持ち主で、共和党を支持する黒人は珍しい。
 この条件を十分に満たすトマスは、1981年レーガン政権の教育省で公民権担当の次官補に任命され、翌1982年には、独立行政委員会の一つ雇用機会均等委員会(EEOC)の委員長に抜擢される。さらに1989年10月末ブッシュ大統領によってコロンビア地区連邦控訴裁判所判事に指名された。最高裁判事に指名されながら議会上院の承認を得られず、同控訴裁判事の職を辞したボーク判事の後任であった。上院の承認を問題なく得て、1990年3月就任する。この裁判所からはしばしば最高裁判事が選ばれる。時の政権がこれはと思う人物には、まずここで裁判官としての経験を積ませる。トマスの人事は近い将来最高裁判事に任命する布石であろうと多くの人が感じた。トマスはまだ42歳だった。

トマス最高裁判事に指名される

 1990年7月ブレナン判事が引退を表明したとき、ブッシュ大統領はトマスの最高裁判事指名を真剣に検討する。しかし彼は控訴裁判事になってまだ数ヵ月しか経っていなかった。判事としての経験が浅すぎるという政権内の意見が通ってスーター判事が任命された。しかし1年後、マーシャル判事が引退を発表するや、後継者はトマス以外に考えられなかった。
 第1に、1964年に任命されたマーシャルは、最高裁で唯一の黒人判事であった。白人を後継者として任命すれば、黒人判事が一人もいなくなってしまう。ただでさえ黒人支持層の基盤が弱い共和党政権としては、それは避けたい。であれば黒人の候補者から選ぶしかない。
 第2に、黒人であればだれでもいいというわけではない。最高裁判事をつとめうる知的能力を有し、ロイヤーとしての実績があり、共和党の支持者であり保守主義者であること。すでに記したとおり、そのような黒人はきわめて少なく、能力経歴ともトマスを超える人物はいなかった。
 そして第3に、1年前任命されたスーター判事が、実際にはそれほど保守的でないことに、保守派の批判が強かった。ホワイトハウスのスヌヌ筆頭補佐官は、次の機会に必ず正真正銘の保守派判事を選ぶと公約していた。その点、妊娠中絶に関しての立場が明らかでないものの、アファーマティブ・アクションに反対するトマスであれば、ほぼ心配ない。
 こうして冒頭に記したとおりブッシュ大統領がマーシャル判事の後任として指名するや、トマスは一挙に時の人となる。進歩派、特にアファーマティブ・アクションの堅持をめざす公民権運動のグループと、憲法上の妊娠中絶の権利を守りたいプロライフの人々は、トマス指名に強く反対する。トマスが加入した最高裁が、女性は妊娠中絶を行う憲法上の権利を有すると判じた1973年のロー対ウェード判決をくつがえすのを何よりも恐れた。
 ブッシュ大統領は指名発表の際、トマスが「黒人であるかどうかは、この選択にまったく関係ない。現時点でもっとも優れた最高裁判事候補である」と述べた。アファーマティブ・アクションに反対し、黒人も能力と努力によってのみ評価されるべきだと説くトマスの指名にあたってそう述べるのは、当然であろう。しかしトマスが黒人でなければ、法曹としての目立った実績がないまま43歳の若さで最高裁判事に指名されることはなかった。彼は優秀なロイヤーではあろうが、能力だけで判断するのであれば他にもっと優れた法律家や法律学者が大勢いた。
 しかし指名に反対する陣営も、トマスが能力不足であることをその理由にはしにくい。ボークのように彼を引きずりおろせば、代わりの最高裁判事候補が黒人である保証もなかった。

アニタ・ヒルの公聴会証言

 トマス判事最高裁判事任命の是非を審議する連邦議会上院司法委員会の公聴会は、1991年9月10日に始まった。ボーク判事の公聴会のとき、ボークが自らの憲法思想を語れば語るほど反対が強くなったのが念頭にあったのだろう。トマスは彼の憲法観について上院議員たちの質問に明確には答えなかった。特に妊娠中絶の問題については、まだ考えを固めていないという立場を貫く。公聴会は淡々と進み、9月27日司法委員会は7対7の投票でトマスを推薦せぬまま上院本会議へ上申。本会議でのトマス承認がほぼ確実と思われた10月6日、全国公共ラジオ(PBS)の有名な司法記者ニーナ・トッテンバーグが、アニタ・ヒルという黒人女性を聴取したFBIの秘密記録を入手し、そのなかでヒルがトマスのいかがわしい行動につき陳述したと報じた。ヒルは記者会見を開き、公聴会が急遽再開された。彼女は10月11日、証言者の席に座る。
 ヒルはイェール・ロースクール出身の黒人女性ロイヤーである。教育省でトマスの部下だった。トマスがEEOCの委員長になると彼女も同じ職場に移る。証言によれば、トマスは彼女をデートに何回か誘い、断られると職場で性的な発言をするようになった。自分の性器の大きさを自慢したり、見たばかりのポルノビデオのシーンを描写したり、ヒルの説明はきわめて具体的であった。この証言は全米に生中継され、大騒ぎになる。
 トマスはプライバシーに関わるとして個々の疑惑について一切弁明せず、ヒルの証言を全面的に否定した。そして公聴会の審問を人種差別が激しかった時代の南部における黒人迫害になぞらえ、「生意気な黒人を、恐れさせ、だまらせ、言うことを聞かせるために、(昔南部で行われたリンチのような)保守派の黒人に対して進歩派白人が仕組んだハイテク時代のリンチ」だと述べる。
 トマスのセクハラ嫌疑については、他にも複数の女性が職場で似たような経験をしたと書面で回答した。一方同時期トマスのオフィスで働いたが、一切そのような事実はなかったという女性の証言もあった。結局あらゆる証拠を並べても、真相ははっきりしない。ただ公聴会の焦点がセクハラという女性がもっとも嫌う行為の有無に移り、黒人としてではなく男性としてのトマスの適格性に移ったのは、政治的な意味が大きかった。公聴会委員は全員男である。セクハラ嫌疑にもかかわらずトマスを次の最高裁判事として承認すれば、女性票を失う恐れがある。かといって申し立てに根拠がないまま承認を与えなければ、トマスを政治的に葬りさる結果となる。ヒルによるセクハラ申し立てをきっかけに、職場のセクハラ問題に全米で大きな焦点が当たるようになった。
 10月14日の明け方2時、ようやく審問が終わる。翌10月15日上院本会議は52対48の投票によりトマスの最高裁判事任命を承認した。それまでの100年間でもっとも僅差の承認であった。しかし僅差であっても、承認は承認である。あとは憲法の規定にしたがってトマスが宣誓を行えば、最高裁判事任命手続きがすべて完了する。
 ところが上院承認の2日後の17日、レンクイスト首席判事の妻ナンが長年戦った癌との戦いの末、亡くなった。悲しみのなか、首席判事に宣誓の司式を頼める状況ではなかった。一方上院で承認が得られたあとも、トマスのプラバシーを暴こうとマスコミは取材を続けていた。一刻も早く宣誓を終らせ、最高裁判事就任を既成事実にせねばならない。悲しみのなかにある首席判事にホワイトハウスが無理を承知で頼み、正式の宣誓は10月23日最高裁の会議室で静かに行われた。マスコミは報道を止め、トマスのプライバシーはそれ以上明かされなかった。

最高裁の保守化完成と妊娠中絶の行方

 トマス判事のセクハラ疑惑が本当であったのかどうか、真相は未だにわからない。わからないものの、進歩派にとってアニタ・ヒルの証言がトマス判事任命を阻止する最後の望みであったのは事実である。彼らには何としてでも任命を防ぎたい理由があった。トマスの最高裁判事任命は、ロー判決がくつがえされる可能性を格段に高めるのである。
 マーシャル判事の引退によって、ロー判決を明確に支持するのはブラックマンとスティーブンスの2判事だけになっていた。残り7人のうち、レンクイストとホワイトは同事件判決の反対意見を著していたし、あとから加入したスカリア判事も、同判決はくつがえすべきとの立場である。共和党の大統領が任命したあとの3人、オコナー、ケネディー、スーターのうち、オコナーとケネディーはロー判決に批判的であった。3人が保守派に同調し、これにトマスが加われば7対2となり、確実にロー判決は否定される。万が一3人のうち2人がロー判決支持に回っても、トマスがいれば5対4で保守派が勝つ。最高裁におけるロー判決支持派と否定派のバランスを少しでも有利に保とうと進歩派が必死で努力したのは、よくわかる。
 一方レーガン大統領当選以来、最高裁の保守化とロー判決破棄を目指してきた共和党保守派の人々にとって、トマス判事任命はその努力がいよいよ完成に近づいたことを意味した。今こそロー判決をくつがえすときである、彼らはそう信じた。実際、ブッシュ大統領にその後最高裁判事指名の機会がなく、次の選挙でクリントンに敗れるので、保守派判事任命最後のチャンスでもあった。
 折も折、久方ぶりで妊娠中絶に関する事件が、下級裁判所から最高裁へ上がってくる。この事件をトマスが加わった最高裁がどう裁くか、注目が集まった。南東ペンシルバニア家族計画協会対ケーシー事件である。






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