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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第87回 島本和彦『アオイホノオ』(小学館)

(c)島本和彦/小学館 既刊7巻

(c)島本和彦/小学館 既刊7巻

 う〜ん、面白い。そしてアツい!

 本作『アオイホノオ』は、熱血マンガ家として知られるベテラン・島本和彦が、自らの体験を(おそらく)下敷きとして描いた青春マンガである。これが、もうめっぽう面白いのだ。

 主人公は、大阪……じゃなかった大作家(おおさっか)芸術大学1回生、焔燃(ほのおもゆる)。ときは1980年代初め、TV・映画・アニメの講義を受けながら、近い将来マンガ家になるという野望を燃やす焔。だが、彼の前にはさまざまな試練が待ち受けていた……!!

 本作の面白さのひとつは、主人公が熱く燃えながらも、妙に客観的な視点や分析する能力ももちあわせているところだ。

 マンガ家になるという野望をもち、勢いのある新人が登場・活躍しはじめる風潮を「漫画業界全体が甘くなってきている!」と喝破し、だからこそ自分がマンガ界に登場できるチャンス!と不敵に微笑む焔。しかし、俺がマンガ界を変えてやるぜ!ってぐらいの根拠のない自信に満ちあふれているのかと思いきや、部分的に、妙に謙虚だったりするのだ。
 マンガ家とアニメーター、どちらを目指すかと問われると、
 「漫画よりアニメの方が、絵が上手い」→「でも自分は絵が下手」→「だから自分は漫画にむいている」という妙な三段論法を主張し、案の定、大学のサークルの先輩・トンコさんに、上手いマンガもある、とつっこまれる。それに対して焔は
 「上を見ないで、下を見てくださいっ、トンコさん。」
 「俺はべつに手塚治虫とかちばてつやとか、水島新司とかと戦おうっていうんじゃあないんです!!」
と、ヘンに身の程をわきまえたことを堂々と主張する。
 志は高いが、目標は低い焔なのだった……!!

 変わりつつあるマンガ界なら自分の居場所があるのでは、と己をふるい立たせる焔だが、「俺だけは認めてやろう!」と妙に上から目線で応援していたあだち充が「少年ビッグコミック」で看板作家になると「俺だけのあだち充じゃなくなった――っ!!?」とショックを受け、カッコいい絵柄でギャグをやるという新しい試みを内心温めていたら、新人マンガ家の細野不二彦がさっそうと「サンデー」誌上でそれをやってのける。「やっ、やられた!! 先に!!」とうちひしがれ、「いや――違う!! この人は完成され過ぎている! 今は、ド下手がもてはやされる時代!!」「つまり、俺のほうが有利!!」などと、折れそうな心を立て直すのに忙しいのであった。
 おまけに、同級生には、度肝を抜かれるほどアニメの才能をもった男までいる。アニメ実習の課題でパラパラマンガを描いた際、異様なハイクオリティで緻密に動きを表現する同級生の作品に驚嘆のあまり「ギャアァアアア――ッ!!!」と叫びショックを受ける焔。こんな田舎の学校にこれだけの才能がある奴がいるということは、都会に行けば30人はいるはず! と、「ゴキブリを1匹見たら30匹はいると思え」的な計算で衝撃を受けたりするのだ。
 ……実はその若者は、のちに『新世紀エヴァンゲリオン』で名をはせる庵野秀明氏の若き姿なのだが、そんなことは当時の彼にはわからない。
 マンガ家(か、アニメーター)として世に出ることを夢見ながらも、才能あるライバル(焔から見て)は次々と華々しく活躍し、一方の自分は意を決して東京の出版社に持ち込みをしてみても、なんだか手応えがない。理想と現実のギャップに苦しみつつ、とりあえずは体を鍛えてみたりと、ちょっぴり的はずれとも思える努力を熱く地道に続ける焔燃の姿。それはたぶん、自分の才能に望みをかけてこれから先の人生をやっていこう、と考える若者には、多かれ少なかれ共通する普遍的な心理なのではないだろうか。

 本作のもうひとつの楽しみは、克明な「昭和の青春の描写」だ。
 1人1台の携帯どころか、寮に電話はひとつしかなく、誰かと話したければ本人を捜して大学中を走り回るしかない時代。ビデオも普及していないから、アニメ好きの若者は、記録を残したければ音声を録音して脳内で画像を再生するか、テレビの前に座ってとにかく気合いで内容を目に焼き付けるしかなかった時代。出たばかりの高額なビデオデッキを持った人間は選ばれしエリートで、ビデオがない者は「テープがいたむ」と嫌がられながら一時停止してもらい、その絵をスケッチしたりしていた時代。……ああ、いちいちわかりすぎます!!
 作者の島本和彦氏は1961年生まれ、私は1968年生まれなので7歳の年齢差はあるものの、まさに私自身も同じような時代にマンガ・アニメに夢中になっていたので、「ああっそうそう、ビデオがない時代、私もブライガーのカッコいいオープングが見たくて、福岡では朝の放映だったからオープニング見たらダッシュで中学に行ってた! 遅刻ギリギリだったけど!」などとつぶやきつつ読んでしまうのだ。マンガに関しても、小学生時代に少年マンガと少女マンガ両方に目覚めていた私は、作中の焔燃が「マンガ界が甘くなってきている!」と言う時代をまさに読者として体験していた。私の目から見たらそれは、「少年マンガが、少女マンガのテイストを大いに取り入れ始めた」時代、つまりラブコメディが少年マンガにひとつの大きな潮流として真ん中に堂々と存在を主張するようになる時代で、その象徴が、それまで男臭い少年誌では居心地悪そうに見えたあだち充が「少年サンデー」で大ヒット作『タッチ』を連載したことだった。中学生の一読者だった私も、「時代が変わった」ことをひしひしと感じたあの時代に、(作者の分身である)焔青年はマンガ界への登場の仕方を試行錯誤していたのだろう。

 青春ものとしての普遍的な苦悩(と、ちょっぴり的はずれな努力)、そして昭和のディテール描写や、主人公の目を通した昭和50年代のマンガ史の追体験も楽しいが、作品としての本作の面白さのひとつは、登場人物達のキャラクターの濃さだ。雑誌を読んでは全身全霊で一喜一憂する熱血マンガ青年の焔をはじめとして、さすが芸術大学というべきか、同級生も個性派ぞろい。特に、のちにアニメ制作会社ガイナックスを設立する庵野秀明、山賀博之、赤井孝美、そして(学校は違うが)武田康廣、岡田斗司夫各氏は、それぞれの行動が(作者の脚色はあるだろうが)ものすごく面白い。方向性は微妙に違っても、「やるとなったらリミッター解除」的な、情熱や能力の絶対値が大きい人特有の(「普通」の人から見たら常軌を逸した、と感じかねないほどの)パワーと行動が、マンガ的にうまく表現されていて、大笑いしながら感心してしまうのだった。
 実は私自身、(1997〜2000年という短い期間だが)ガイナックスに(主に広報の部署などに)在籍させてもらっていたことがある。とはいえ在職中に、本作に登場する方たち全員とみっちり接点があった、というわけでもないのだが、会社の雰囲気などには『アオイホノオ』に描かれたような空気が多々残っていた。たとえば、特撮やアニメ・映画のことは「基礎教養」とされていて、村松さんという綺麗な女性が「キャップ」と呼ばれていたので、「どうして村松さんはキャップなんですか?」などと尋ねようものなら、上司に「君、そんなことも知らんのか!」「ムラマツといえば、ウルトラマンの科学特捜隊の隊長(キャップ)やろ!」と「日本の総理って誰なんですか?」と口走ったかのごとく、ものすごく驚かれてしまうのだった。そのたびに自分の無知無教養を激しく恥じたものだったが、本作でも焔が、仮面ライダーなどの東映系には詳しいが、東宝特撮にはうとくて友人にものすごく驚かれるシーンが出てきて「あっ、あんなに情熱の塊みたいな焔くんも、苦手分野があるんだ……」「私だけじゃなかった……」と、仲間意識(?)でひそかにほっとしてしまった。

 作中で女の子を上手く描けないと悩む焔に、友人が、巨匠たち(手塚治虫、ちばてつや、石森章太郎、赤塚不二夫など)は皆、初期に少女マンガを描いて力をつけてきてる、「少女漫画はな……力がつくんや!!」と言うシーンがある。熱血漢でそれまで少女マンガにはなじみが薄かった焔は、それを聞いてなんと、こう言い出すのだ。
 「俺だって……食っていくために…イヤイヤでも少女漫画を描かされる、そんな境遇におかれたら、女の子を描く力がついたのに……」
 「俺も!! 昔に生まれればよかった!!!!!」
 「でももう今からじゃ遅い!」
 この(屁)理屈には爆笑した。「いや、別に今からでも描けばいいのでは」というつっこみはともかく、でも、この発言にひそむ<自分の大先輩達が生きた、ジャンル創生期ゆえにありえたちょっと無茶な苦労への羨望>とでもいうか、<その苦労がすこし羨ましい>みたいな、(もちろんその時代ゆえの生活苦とかマンガ自体の社会的認知度の低さとか諸々あることをあえて無視して)無責任ではあるけど、その乱暴で混沌とした時代の苦労にちょっと本気で憧れてしまう……みたいな気持ちは、なんとなくわかるなあ……という気がしたのだ。
 21世紀のマンガ家を主題としたマンガである「バクマン。」などを読んでいると、「アオイホノオ」から30年近く経ると「これが大ヒットの王道」という実例の蓄積が膨大にあるだけに、それがある種の「システム」として、考えて描くタイプの描き手にはすごく意識されちゃうんだなあ、それはそれで大変だ、……という気分になることがある。
 もちろん昭和を生きる焔燃だって、(新人賞の賞金額から「ここはデビューしやすい!」と踏んでみたり)いろんな計算をめぐらせるけれど、それとて、マンガの作画の緻密さのレベルが格段にあがり、マンガを描こうとするとパソコン等さまざまな複雑な手段を駆使しようと思えば駆使「できてしまう」、そんな現代を生きるイマドキのマンガ家志望の若者から見ると、ひょっとしたら、
 「俺も!!昭和に生まれればよかった!!!!!」
と叫ばれてしまうような面が、ひょっとしたらあるのかもしれないなあ、……ともふと、思ったのだ。
 昭和に生まれた私には、それが何なのかはわからないけれど(あるいは、「ケータイもビデオも普及してない上に寮の上下関係も厳しい、そんなウザい昭和に生まれなくてよかった」と思われるのかもしれないけど)、もはや歴史となった1980年代の青春を活写する本作は、私にとっては、単に読んで面白いのみならず、いろんな世代の人に「どう思いましたか?」「どこが面白かったですか?」などと根掘り葉掘り感想を聞いてみたくなる、そんな作品なのだ。



(川原和子)  

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