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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第46回 『銀塩少年』 後藤準平 (小学館)

後藤準平 銀塩少年 表紙

(C)後藤準平/小学館

 銀塩少年、と書いて、ゼラチンボーイとルビを振る。
 サブタイトルなのかもしれないが、軟らかく壊れやすい少年の心の切なさを感じさせる、良い響きの言葉だ。そこはかとなく、エロティックな感じもする。
 小学館「少年サンデー」のウェブ版「クラブサンデー」に掲載の、新人マンガ家による初連載作品だ。マタタキ、という名の写真少年の淡い恋愛を描く、ラブコメである。

 別の場所で、二巻以降の刊行を待ってからレビューすべきかも、と言い訳をしながらそれでも取り上げることにした。なぜなら、このマンガの「初々しさ」にやられたからだ。登場人物である少年少女たちの姿も初々しければ、マンガとしても初々しい。だから、いいと思った。勧めようと思った。

 ストーリーはいたってシンプルだ。
 マタタキと、おさななじみの少女・ミライとの恋の物語だ。
 大人しいマタタキと対照的に、ミライはとても元気な、いつも動かずにはいられない闊達な少女だ。当然のことながら恋のライバルも登場する。彼女が通うテニスクラブのコーチ、幸田である。マタタキに陰で「テニス」といくぶん憎憎しげに呼ばれる彼は、高校生から見た「大人の男性」の役を振られている。
 マタタキはミライにひたむきな恋心を寄せる。関係を前に進めるときに意気地なく立ちすくむような、少年らしい逡巡がある。一方のミライは、そんな彼の心を知ってか知らずか、関係を「おさななじみ」という距離からなかなか縮めない。だがミライは彼の傍にいてくれはする。かくもいかにも、な甘酸っぱいラブコメである。
 そして、マタタキが所属する写真部の同級生・鷹村や、マタタキを振り回す写真部部長、モモ先輩といった面々によって、高校の「部活もの」という側面も見せていくあたりも、定石どおりと言っていいだろう。

 忘れてはいけないのは、重要なギミックに「銀塩写真」がある。
 マタタキは時にカメラのファインダー越しに、未来が見えてしまう。
 そして彼が幻視した「未来」は、彼が撮った写真にも焼き付けられる。
 ここで、いま一般に使われているデジカメではなく、趣味的なものかプロの芸術写真かでしか使われなくなった銀塩写真であるところがまず興味深い。なるほど、データでしかないデジカメの写真よりも、物体として手元に残る銀塩写真のほうが、こうしたギミックには向いている。私たちの物語的な想像力の向く先が、デジタル写真と銀塩では異なっていることを示している。そのことは、作中でも「銀塩写真は想いの強さに呼応する」と言われている通りだろう。ただ、いったん印画紙に焼きつけられた「未来」の像は、マタタキのその後の行動によって変化してしまうところがちょっと面白い。いったん「定着」されてしまったはずの「未来」が、書き換えられてしまうのだ。だがその「未来=写真」が、マタタキ自身の手のうちにあり、彼の行動によってしか書き換えられないところがミソなのだろう。

 淡彩な印象の作品である。作画も、作劇も、洗練されていない。たとえばせっかく銀塩写真をモチーフに使っているのに、ホビーとしての銀塩写真のたのしさや、表現としての深さなどにほとんど言及されていない。ほんの少しもったいないと思うものの、でもこれでいいかなと思い直す。

 この作品には、とくに目新しい意匠が出てくるわけでも、とりたてて複雑な構造があるわけでもない。それでも、ぼくはこの作品を「初々しい」と思う。マタタキというキャラの「草食系少年」ぶりとも呼応してそう思うのだろうが(そういえば、この子の、いかにもこなれていない名前のわずかな異様さには、かすかに過剰を感じる)、目新しさがあるわけでもなく、濃い個性を感じさせるのでもないことが、この作品の初々しさを際立たせているようだ。
 これはいまのマンガ界にとって、意外に得がたいことと思うのだ。(伊藤剛)

◆ クラブサンデー
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