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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第45回 『君に届け』 椎名軽穂 (集英社)

君に届け 表紙

(C)椎名軽穂/集英社

 少女マンガに興味のある方なら、すでによーくご存じかもしれない。なにしろ、平成20年度の講談社漫画賞少女部門受賞作でもあり、この10月からはテレビアニメもスタートした大ヒット話題作なのだ。もちろん私も大好きで、初期からずっと読んでいたけれど、最新の単行本の9巻を読んで、改めて「あ、これはすごいな」と思った。少女マンガ、ここまで来たんだ、すごいなぁ、と。

 『君に届け』のヒロイン・黒沼爽子(さわこ)は、一見陰気な風貌から「貞子」とあだ名されて、周囲に遠巻きにされ怖がられている女子高校生。ところが、暗い外見に反して実は、控えめながらも善意のかたまりの超ポジティブな性格。そんな爽子に最初からわけへだてなく接する人気者の風早翔太や、爽子のけなげな性格に気づいた少数の女子たちとの交流を通じて、爽子は少しずつ周囲に理解されはじめ、変わっていく。

 この物語の最初のクライマックスは、なんといっても爽子と、クラスメイトの女子・吉田千鶴と矢野あやねとのエピソードだと思う。これまで友人がいなかった爽子は、自分を避けずに優しく接してくれる千鶴やあやねと仲良くなっていくが、悪意ある噂やさまざまな行き違いが重なり、二人に誤解され、気まずくなってしまう。

 だが直接千鶴とあやねの悪い噂を聞いた爽子は、思わず「とりけして!」と捨て身で抗議し、千鶴とあやねに、勇気をふりしぼってこう言う。

「やのさんと吉田さんと・・・・・・ ともだちになりたい・・・・・・・・・」

そんな爽子の行動を見て、千鶴はこう言うのだ。

「・・・しってる?友達ってね 気づいたら もうなってんの!」
「あたしらもう友達だったんだよ 貞子!」(2巻 p.171 〜 176)

 これまで世界に受け入れてもらえなかった爽子が、ほんの少しずつまわりに理解されながら、「友達」を得ていく姿。それは、あまりにもおずおずとゆっくりで不器用だけれど、だからこそ、読んでいて思わず落涙しそうになってしまうくらい感動的なのだ。


 そして、もう一つのキー的存在が、爽子を見守るクラスメイト・風早翔太。もちろん風早くんも、ただ爽やかなだけじゃなく、一本スジの通ったとても素敵な男子として描かれている。心ない噂を耳にした爽子が、自分といると風早くんの株がおちる、と彼を避けたとき、彼はこう言う。

「株とか噂とか・・・ そこに俺の意志はどこにもないじゃん!」
「それは黒沼の決める事じゃない 俺が決めることだ!」(2巻 p.91)

 周囲の評判にがんじがらめになって、よかれと思って先回りして閉じてしまおうとする爽子を「それは俺が決めること」と「叱って」くれる男子がいてくれる世界。それは、まちがいなく、「自分の領域」と「他者の領域」をきちんと分けることで、コミュニケーションを成り立たせようとする、健全な距離感のある世界だと思う。


 クラスの人気者の風早くんと、周囲になかなかとけこめなかった爽子、という一見ちぐはぐな二人はやがて、お互いに相手への好意を深めていくが、肝心のところでなかなか気持ちが通じ合わない。その根本的な理由とそれをめぐる周囲の人のさまざまな対応を描いたのが、最新の9巻だ。

 爽子は、自分がまわりにさけられていた頃から気軽に話しかけてくれた風早くんを、「クラスでういている自分を放っておけない親切な人」で、自分が彼に好かれるなんてありえない、と思っている。だから、かなりストレートに好意を示してくれる風早くんの態度を、「すきの意味が違う」(=恋愛感情ではない)、と曲解してしまうのだ。そのせいで、近しい友人たちにはバレバレなぐらい好意をもちあっている二人なのに、互いに相手に「ふられてしまった」と誤解してしまうことになる。

 ふられたと思いこんで、風早くんに気をつかわせていい気になってた、と泣く爽子。風早くんの告白を爽子がきちんと「特別な好意」「恋愛感情」として受け止められないのは、周囲に無視され続けた悲しい過去からくる、爽子の低い自己評価のせいだ。だが、それを重々わかっている友人の千鶴は、「・・・・・・ 気に入らないな」とキレて、爽子にこう言うのだ。

「・・・ あたしらだっているのに・・・・・・
あんた いつまで自分のこと下げて生きていくつもり」
「鈍さに慣れるな!!」(9巻 p.82 〜 84)

 千鶴が「あたしらだっているのに ・・・・・・」と怒るのは、「今はあんたを大好きなあたしたちがいるのに、どうしてそんなに自分をおとしめるんだよ」という気持ちからだろう。そしてそれは、「あんたを大好きなあたしたち」のこともおとしめてることになるんだよ、と。
 一旦は風早の気持ちを爽子に伝えようとしたあやねも、それを聞いて「結局ちづの言ったことが全てだと思ったのよ」「そこがねじれてるから きっと何かいろいろねじれんでしょ」と同意し、でも「きっと爽子は自分でどーにかする!」と、爽子を信じて見守る決意をするのだ。


 さらに、風早くんに片想いしていた美少女・胡桃沢梅(くるみ)ちゃんが、とてもカッコいい。風早くんにふられた、と思いこむ爽子に、くるみちゃんはこう言い放つ。

「あんた風早の何を見てんのよ!!」

 そう、最初から風早くんは、爽子が「かわいそうだから」じゃなくて、自分が関わりたいから関わっていたのだ。中学時代からずっと風早くんを見てきたくるみちゃんには、それがわかってしまった。風早くんが誰を好きかも、自分の恋がかなう望みがないことも。それでも自分は、ちゃんと告白して、ちゃんとふられた。でも、爽子は自分には価値がないと思いこんでいて、風早くんの告白を曲解して、結果的に彼を傷つけている。そのことを、くるみちゃんは痛烈に叱るのだ。それが結果的に、自分の失恋をさらに決定的にしてしまうことを知っていながら。

 「自分を大切にできない人は、本当には人を大切にはできない」。
 言葉としては知っていても、「それってどういうこと?」というのがわかりづらい、だけどとても大切なことを、『君に届け』は、こんなにも鮮やかなドラマとして見せてくれた。たしかに、謙虚と卑下は一見似ているけれど別のものだし、さらに言えば、過剰な卑下は実は「自分にこだわりすぎて、まわりがちゃんと見えてない」という意味では、ほとんど傲慢ですらある。そしてこれは、実は大人だって、そこでつまづいたままの人もいっぱいいる、単純にして難しい問題だと思うのだ。

 思えばかつての少女マンガには、ヒロインがたとえ客観的には平凡であっても、そんな彼女をすてきな男子が「そのままの君が好きだよ」と言ってくれて両想いになりハッピーエンド、という一つの黄金パターンがあった。そこで描かれていたのは、「ダメな自分」を好きな男の子に肯定されることによって自己を肯定できるようになる、という物語だ。また一方で、「恋愛の成就まで」を描くことが多かった少女マンガも、「つきあい始めたその先」を描くようになり、性描写をも含めた恋愛を描く作品もいまはたくさんある。だが、『君に届け』で描かれるのは、単なる恋の成就ではなく、「本当に相手と向き合うってどういうこと?」という人の内側の課題に焦点をあてたものなのだ。だからこそ、爽子と風早くんの仲がもどかしいほどにゆっくりとしか進展しないこの物語が、私のようなもう大人になってしまった読者をもひきこんでいく力をもっているのではないか、と思うのだ。

「自己評価がちゃんとしてないと、人とちゃんと向き合えない」ということを描くところまで、少女マンガはきている。人と人との関わりをとても丁寧に描いてきたのが少女マンガというジャンルの特徴の一つだと思っている私は、長年の少女マンガ読みとして、感慨ひとしおである。
 本当の意味で気持ちが通じ合いそうな予感を感じさせてくれる爽子と風早くんの物語は、そんな大切なことを考えさせてくれる、とても素敵で、いとおしいお話なのだ。(川原和子)

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