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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第43回 『町でうわさの天狗の子』 岩本ナオ (小学館)

町でうわさの天狗の子 表紙

(C)岩本ナオ/小学館

 主人公の刑部秋姫(おさかべ・あきひめ)は、天狗の父と人間の母のハーフ。脱輪したトラックをひょいと持ち上げることができるくらい力持ちでちょっと大食いなのをのぞけば、ごく普通の女の子。山のふもと町で母と暮らしている秋姫は、片想いのタケル君と同じ高校に進学してウキウキ。でも、幼なじみの瞬ちゃんには修行して天狗になれ、と口うるさく言われ、新しいクラスメイトからは「天狗の子」といやみを言われたりとちょっぴり憂鬱だったが、少しずつ仲良しも増えて、憧れのタケル君とも急接近!だけどタケル君は女子だけじゃなくて、妖(あやかし)たちにもモテモテで・・・・・・。
 そう、『町でうわさの天狗の子』は、ある地方のお山に天狗がいて、天狗の眷属(けんぞく)をめざして修行する動物たち(かわいい!!)が、人型に変身したりしゃべったりもする世界が舞台なのだ。だけどそんなファンタジック設定と同時に、デートで海に行こうとするとドピンク横町(歓楽街!)がどーんと存在していたり、女子同士でケータイ小説らしき本を回し読みしてたりするいまの現実ワールドとが、地続きで混在しているのだ。だから、ときに禍々しいかんじのモコモコした妖(あやかし)が、秋姫の恋話(コイバナ)トークにナチュラルに「鬼の仕業(しわざ)であろう・・・・・・」などと口をはさんできたり、神々しいはずの秋姫の父の天狗・康徳坊が疎外感を感じて「我が家(ホーム)なのにアウェイではないか・・・・・・」なんて微妙に横文字でぼやいたりするのが、なんともいえずおかしい。

 岩本ナオの絵柄は素朴だが、ニュアンスの芯をしっかり伝えるうまい絵だなあと思う。特に、本作の秋姫のクラスメイトの女子の描写に、それを強く感じた。
 そもそも基本的に、少女マンガに登場する女子たちは、みんなそこそこかわいいのが普通だ(それは多分、いろんなルックスを描きわけるのが意外と難しいせいもあるだろう)。
 でも、本作に登場する秋姫のクラスメイト女子は、かわいい子もいればビミョーな子もいる。さらに、そのビミョーさが実にうまく描き分けられているのだ。私が感心してしまったのは、金ちゃんこと金田一麗華の描かれ方。彼女の髪型は、なんとおかっぱのてっぺんに、リボンでまとめた髪がまるでネギみたいに直立している、という、私が41年間生きてきて現実には見たことのないシュールなスタイルだ(後頭部はかりあげ!)。でも、そんな「マンガの中にしかありえない」ルックスのキャラなのに、彼女の言動を見てると「あ、金ちゃんって、けっしてかわいいとか美人とかではない個性派だけど、本人的にはそれを別に気にしてなくて、恋愛にもオシャレにも興味ある(スカート、短くしてる!)タイプなのね」ってことが、ちゃーーんとわかるのだ。他にも、お裁縫が上手なまっつん(不健康っぽい見た目だけど、すごく親切)とか、いつもばっちりメイクの壇ノ浦さん(ぽっちゃりだけど色っぽい・・・・・・)とか、「わー、いそう!」「いるいる!こういう子」というニュアンスを、少ない線で実にうまく描き分けているのだ。

 そして、本作の魅力といえば、なんといっても秋姫の幼なじみの瞬ちゃんの存在が大きいと思う。赤ちゃんの時にお山に捨てられていた彼は、秋姫と兄妹のように育ってきて、いまは天狗目指してお山で修行に励みつつ高校に通う日々。でもお山の序列では、修行をいやがっている秋姫が1番の「太郎坊」で、瞬ちゃんは2番目の「次郎坊」。娘が可愛くて心配でたまらない天狗の康徳坊の言いつけもあり、瞬ちゃんは秋姫には逆らえないのだ。そんな彼は、秋姫が困ったときには必ず助けてくれるナイトのような存在だ。いわば、「ベルサイユのばら」でいえば、「命令口調のアンドレ」といったところ。そして、いつも秋姫には厳しいことばかり言うくせに、秋姫が本当にダメージをうけるようなことは、しれっとそしらぬ顔をしてくれる面もある(ちょっとわかりにくいけど)心やさしい男子なのだ。うーん、瞬ちゃん、ステキすぎる。こんな幼なじみのナイトがつねに助けてくれるとは・・・・・・まったくもって秋姫、ゼータクすぎる!つい最近、お仕事で御一緒した編集者の女性(1児の母)とも、「瞬ちゃん、ステキですよね!!」「最高です!!」と盛り上がったことも付け加えておこう。

 実は以前、友人に口頭でこの作品の説明をしたら、「えっ、天狗の子が主人公の少女マンガ・・・!?」と、ものすごく引かれてしまった。いや、秋姫は、見た目はかわいい人間の女の子です。ただ、天狗の父の力を継いですごい資質をもっているため、天狗になるべく修行している瞬ちゃんには「もっとちゃんと修行しろ」といつも言われるけれど、秋姫自身はむしろ「天狗になっちゃったらどうしよう」とおびえているのだ。
 秋姫が天狗になりたくない理由。それは、見た目がかわいくないし、なにより「普通」じゃないからだと思う。秋姫にとって大事なのは、天狗という「すべての人にとって超越的な存在」になることなんかではなく、「普通」の女の子として、素敵な男の子と恋をして「たったひとりの誰かの、特別な存在」になることなのだ。それが、幼い頃から「あの子は天狗の子」と言われて、特別であることの孤独に居心地の悪い思いをしてきた秋姫の、ささやかな大望。つまんない望みだろうか? でも、「誰かのかけがえのない特別な存在」というのはきっと、家族というものの本質でもある、と思うのだ。

 そして、秋姫が、お山での修行をなるべく拒否してこだわっている「普通の生活」には、「女子にとっての死活問題」がいっぱいつまってる。お昼を一緒に食べてたわいないおしゃべりをしたり、好きな人をお互い教え合ったり、誰かが失恋したら女ともだち総出で不器用になぐさめたり。住んでいる場所が田舎だろうが都会だろうが、女子高校生の生きている範囲はきっと、そんなに広くはない。でも、物理的には狭いその世界で、女の子達は女子同士の友情と仁義と、そして恋心を大事にして、そのなかでおきるささいな事件に一喜一憂して生きている。それはやっぱり、秋姫がこだわるに足る、ものすごく豊かなことだと私は思う。

 作者の岩本ナオは、デビュー前の持ち込みのときに、編集者から「漫画家になって何が描きたいのかはっきりさせときなさい」と言われ、考えたあげくに「家族ドラマが描きたいです」「『みゆき』(あだち充)が描きたいです。近い人間関係が好きなんです」と答えたという(「私の若葉マーク時代」『月刊フラワーズ』2009年1月号452ページ)。そして、現在も、自分にとって描きやすくて情熱をささげられる分野は「家族、田舎、幼なじみ」だと語っているのだ。
 なるほど。
 たしかに岩本作品には、つねにそれらが登場している。そして、誰も「新しい!」とは言わないだろう題材(「家族」「田舎」「幼なじみ」!!)を、見事に新鮮でキュートなお話にして、21世紀の私たちの心をキュンキュンさせてくれているのだ。

 本作は、ちょっと風変わりなホームドラマでもあるし、もちろん、田舎を舞台にした「学園もの」でもある。そして、モテ男子への片想いや、幼なじみとの微妙な関係、そして、高校生なのに「お見合い」なーんて古風かつドラマティックな設定も出てくるラブ・ストーリーでもあるのだ(なにしろヒロインは、「天狗の娘」という特殊なセレブ〔?〕なのだ)。
 素朴だが品があって、懐かしいのに、ちゃんと「今」。『町でうわさの天狗の子』は、そんな作品なのだ。(川原和子)

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