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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第23回 『ヤンキー君とメガネちゃん』 吉河美希 (講談社)

ヤンキー君とメガネちゃん 表紙

(C) 吉河美希/講談社

 基本的には能天気というか、お気楽に過ごしている私だが、たまにはそれなりにしんどいこともあったりする。
そんな日々を過ごす中で、
「あー、今日は何にも考えないで、なんかこう、マンガらしいマンガが読みたいなぁ」
「ヘビーすぎなくて、ニヤニヤ笑えて、後味がよくて、スカッとする、そんなマンガ!」
と思うときに私が手に取るのが、『 週刊少年マガジン 』に連載中の吉河美希『 ヤンキー君とメガネちゃん 』だ。

 紋白高校1年A組のメガネ女子・足立花。学級委員としての使命に燃える花は、ヤンキー男子・品川大地につきまとい、学校行事に参加を迫ったり、泳ぎを教えてくれと懇願したりする。破天荒なまでのマイペース、かつ天然ボケの花にふりまわされ、そのたび騒動に巻き込まれてしまう問題児の品川だが、気づけばだんだん友人が増えていく。
 もちろん、タイトルの「ヤンキー君」は品川大地で、「メガネちゃん」は足立花のことだ。
通常、マンガにおいて「メガネちゃん」といえばお勉強の出来る優等生が常だが、花は一見おとなしそう、かつ賢そうな風貌にかかわらず、実はまるっきり勉強ができない。しかも、元不良で、ケンカの強さは伝説的。でも、真っ当な女の子になって社会科見学に行くのが夢だった、と品川に語る花は、暴力を封印して立派な学級委員になって、周囲の役に立とうと必死なのだ。やがて、見た目はコワモテなのに中身は気弱なヘタレメガネ男子の千葉星矢や、可憐なヤンキー娘・姫路凛風、ケンカが強く勉強もでき、負けず嫌いなのにナンバーツーに甘んじるハメになる和泉岳など、個性的な面々が彼らの周りに集まってくる。

 「これをやりたい!」ということ(だけ)は、常に異常なまでにハッキリしていて、(品川を中心に)周囲を巻き込む花だが、一方でその内面はいまひとつうかがい知れず、謎の多い人物だ。元不良、とは言うものの、言葉遣いはいつもていねいで、キレたときのケンカの強さ以外には、不良っぽさは片鱗も見られない。
一方のヤンキー君・品川は、特にやりたいこともなく、場違いな一見普通の高校に来て浮きまくっているのに、花にふりまわされるうちに学校の中にだんだんと居場所ができていき、ついには生徒会役員までやることになるのだ。
 
 速水健朗の『 ケータイ小説的。』(原書房)によると、1997年に、漫画の世界からある種の(「わかりやすい敵」に「反抗」する、ある意味で牧歌的な)ヤンキー漫画が消えていったのだという。『 ろくでなしBLUES 』、『 今日から俺は!! 』、『 特攻の拓 』などのヤンキー(ツッパリ)マンガが、どれも同じ97年に連載が終了しており、入れ替わりに台頭してくるのが、自分の内側の敵=トラウマとの闘争を描く内省的な作品群だという。いわば、反抗すべき敵が親や学校から自分自身に変わった、と速水は指摘している。
 
 そういえば、本作の第5巻で、元生徒会長の秋田が、この学校の生徒会の存在意義について、花や大地たちにこう語る。
一見フツウに見えてじつはワケありの生徒が多いのがこの紋白高校であり、そんな彼らを助けて「どんな奴にも学生生活を真っ当に送ってもらう」、それこそが生徒会の役割なのだ、と。そう言う秋田自身も、「ある言葉」を聞くとキレて凶暴化するやっかいな性格なのだが、自分も助けてもらった一人だ、と言うのだった。
 本作にはトラウマと言いたくなるほどの深刻な傷をほのめかす描写はないけれど、花や品川らの風変わりな、生徒会らしからぬ生徒会が繰り広げるドラマは、お話のなかにそのときどきの「敵」は現れたりもするけれど、敵がどんどん強大化していったりはしない。それは、このお話の本題がたぶん、相手(敵)を倒すことじゃないからなのだろう。

 ところで最近、喫茶店や電車などでふと周囲を見渡すと、うつむいてケータイの画面を見つめる人がとても多いことに気がつく。そんなとき、
「そうか、ケータイでメールを打ったりしてるこの人たちは、いままさに同じ空間にいる人(たとえば私)より、違う場所にいる『誰か』と、ずーっと強くつながってるんだろうなぁ」
と、ちょっと唖然とすることがある。
それでも喫茶店や電車などの「通りすがり」同士なら、それもさして深刻ではないけれど、たとえば高校のクラスではどうなのだろう。
イマドキのクラス空間では、たとえ同じ空間にいて時を過ごしていたとしても、気の合う仲間同士の(ある意味で礼儀正しい)「棲み分け」をきっちりとしていそうな気がするし、ケータイなどのパーソナルメディアを使えば、その傾向はますます強くなるだろう。同じ空間にいるからこそ、そのなかの誰ともつながっていないなぁ…と思うとき、強い孤独を感じることもあるのではないだろうか。
 でも本作で描かれるのは、一緒にいてケンカしたり、何かを共同でやることでなんとなーく強まっていく、ある意味で素朴で野蛮でもある「絆」の物語だ。必ずしも同類同士でつるむんじゃなくて、欠点が多くて性格も違う人物同士がギャーギャー騒ぎながら、「なんとかしてしまう」様子を描く、そんなお話なのだ。ヤンキー男子・品川とパソコン部の部員とのエピソードなどは、本来なら交わらなそうな種族同士のちょっと間抜けな友情もので、古典的だなぁ、と思いつつ心なごんでしまうのだった。

ヤンキーマンガの終焉から約10年後の2006年に始まった『 ヤンキー君とメガネちゃん 』。
中心にいるのは、ものすごく強くて、やりたいことがハッキリしているのに考えてることはいまひとつわからない、「大いなる空虚」ともいえるスーパーヒロイン、足立花。
そう、ヤンキー、とタイトルに入りつつも、同じ重さで「メガネちゃん」=女子(しかも、とっても強い!)が中心にいるのだった。本作は、そんな花に吸引されて集まる人たちが居場所を見つけていくお話である、ともいえる。
いやみのない明るい絵柄で織りなされる物語は、永遠の高校一年生を繰り返すのではなく、登場人物達が作品内できちんと進級している。無限ループではなく「限りある高校時代だからこそのなにか」を描いてくれるのでは、と期待させてくれるのだ。
一方で、恋愛に関しては、「メガネを外して髪をたらすと、同一人物と気づかない」なんて超古典的なすれちがいもあったりして、「そんなバカな!」と、思わず笑ってしまった。
いい意味で、すごーくたわいないマンガらしさがありつつ、でも、「今」のテーマも入ってる。『 ヤンキー君とメガネちゃん 』、略して『 ヤンメガ 』は、そんな作品なのだ。(川原和子)

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