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手帳の文化史

第7回 年玉手帳を考える その1

・「年玉手帳」とは

 手帳は文具店などで購入する例が多い。そして30年ほど前には買うものではなかった。勤め先や取引先の企業から配られてもらうものが普通だった。
 それが年玉手帳である。これは企業が年末年始に配る「としだま」としての手帳である。「お年玉」と同じような意味あいの存在だった。
 今回は年玉手帳について考えてみたい。
 年玉手帳には次の二つの形態があった。一つは、会社の社員用の手帳。そしてもう一つは顧客への贈答用としての手帳だ。
 日本の歴史に登場するのが早かったのは前者である。
 具体的には、明治12年(1879)に大蔵省印刷局が発行した「懐中日記」だ。団体がその構成員に対して発行する手帳としてもっとも古い例であり、現在の一般的な手帳の原型がこの時点で完成している。一例は便覧で、現在の年玉手帳や市販の手帳に見られるような年齢早見表や度量衡、印紙税一覧などが含まれていた。
 明治期以降で年玉手帳が記録に登場するのは昭和のはじめ。この時期に年玉手帳はサラリーマンのステータスだったらしい。それは本当にポケットサイズで、いわば備忘録的なものだったようだ。

・会員向けに配布する手帳

 (株)日本能率協会マネジメントセンターは、この種の手帳を法人向けに作っているメーカーのひとつだ。綴じ手帳の代名詞として語られることも多い能率手帳は、年玉手帳としても利用される。市販品をベースにカスタマイズされ、企業に納品される。その企業の社員向け手帳や贈答用手帳として利用されることも多い。
 これには、同社の出自も大きく関わっている。もともと同社は経営コンサルタント会社である。もともと能率手帳は会員の企業向けに配布されていたものだった。
 同社の手帳を例に年玉手帳の変遷を考えてみよう。
 現在は、手帳と言えばビニールの表紙の安価な製品というイメージが強い。だが、昭和20年代当時の手帳は貴重品だった。前述の能率手帳の場合、昭和25(1950)年に会員企業に配布されたのは、3000冊。1社あたり1、2冊の割り当て。ごく一部の幹部社員のみが使うものだった(※1)。物自体として高級であると同時にステータス性があったのだ。
 この能率手帳は、その後どんどん普及していく。昭和26(1951)年には法人企業に直販開始。さらに昭和34(1959)年には、店頭で販売されるようになった。このように能率手帳は、本来年玉手帳だったものが市販化された例だ。

・年玉手帳の役割

 手帳を重視する企業にはいくつかのパターンがある。もっとも多い例は、石油、鉄鋼などのいわゆる重厚長大産業や基幹産業と呼ばれる企業だ。銀行や鉄鋼などがそれにあたる。
 国営企業の民営化に際して作ったり、IT企業のような新しい会社でも自社の手帳を作る要望があるという。
 古くから手帳を作り、社員に配布して使わせている企業が主眼としているのは、自社の価値観を浸透させ、社員に帰属意識を持たせることにある。
 能率協会への手帳のカスタマイズの要望でも、表紙を開いた見返しの部分に社訓や経営理念を入れる例が多い。これはこの部分の加工がコスト的に安くつくことでオーダーしやすいことが理由の一つだろう。また、それ以上に手帳を自社の目的達成のツールとして使おうとすることの現れだと見ることができるだろう。
 それは、本連載の第2回「手帳における精神的支柱の存在を考える」でも取り上げたように、軍隊手牒以来の伝統とも言える。特定の目的を共有する団体に所属するメンバーが所持するものには、その目的を文章として明示しておく。これは明治期以降の日本の共同体においては普遍性のある方法だったのだろう。
 年玉手帳は、平成不況による経費削減のために、廃止する企業が多かった。
 2008年現在、能率協会への年玉手帳のオーダーは、全盛期ほどではないが増えてきているという。年玉手帳独特の、社訓、社歌などを入れるカスタマイズの要望も依然として多い。そして、かつての手帳には望めなかった、だが年玉手帳ならではの要望が新しく出てきているという。

(次回に続く)
※1
2008年現在は1400万冊。「能率手帳」は、同社の理事であった大野商事の大野社長の発案によるもの。日本で初めて日付記入欄に時間軸を入れた手帳だ。当初は1時間刻み、1990年からはこれに30分の細かな目盛りが加えられている。
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