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手帳の文化史

第6回 身分証としての手帳

・TVドラマにも登場

 やや疲れた印象の、だが眼光だけは鋭い中年の男が、神妙な面持ちで民家の前に立つ。チャイムをならし、ドアをあけて中の住人に挨拶する。そして地味なスーツの内ポケットから、黒い小型の手帳を取り出ながらこう言う。「私、こういうものですが、○○の事件の件で捜査にご協力いただきたいと思いまして」。 刑事ドラマには、よくこんなシーンが出てくる。
 次のようなパターンもある。
 湖畔の殺人現場。地元県警によって張られたロープの脇には、野次馬やマスコミを寄せ付けないように青い制服を着た若い巡査が立っている。
 そこに警視庁から派遣された、ラフなスタイルの若手刑事が到着。私服の自分の身分がわかるように小型の手帳を胸元から取り出して見せる。すると巡査は、若手刑事が入りやすいように、「ごくろうさまです」と挨拶してロープを軽く持ち上げる。
 手帳には身分証としての役割も持たされている。典型的なケースがこれら警察手帳の例だろう。上記のドラマのシーンは、いずれもフィクションではあるが、現実にもこれに近い実態はあったのではないかと推察される。
 さてでは、なぜ手帳は身分証の代わりになるのだろうか。警察手帳を例にこの問題を考えてみたい。
 警察手帳は、平成14年にパスポート型と呼ばれる上下に開くスタイルになるまでは、冊子型の黒い手帳だった。
 実物は、東京・京橋の警察博物館で見ることができる。この建物には、警察官の装備が展示されたフロアがあり、各時代の制服や、拳銃のホルスターなどとともに見学できる。 ここに警察手帳も展示されている。サイズは名刺よりも一回りほど大きい。冊子で表紙には、旭日(きょくじつ)章とともに「警視庁」(※1)の金文字が真鍮の型で刻印されている。表紙を開いた扉ページには、持ち主の写真が貼られ、その下に「警視庁 警部補 山田太郎」のような形で、所属と身分、氏名が記載されている。
 警察手帳が身分証代わりになるのは、特定の機関が特定の個人に対して発行し、またそのことが手帳の内部に明示されている事実があるからだと解釈できる。

・国家から貸与されたもの

 警察手帳に関しては、国家公安委員会が発布した「警察手帳規則」という文書がある。昭和29年7月1日に発布されたこの文書の第一条は、次のような一文である。

(目的)
第一条 この規則は、警察法 (昭和二十九年法律第百六十二号)第六十八条 の規定により警察官に貸与する警察手帳、同法第六十九条第四項 において準用する同法第六十八条第一項の規定により皇宮護衛官に貸与する警察手帳及び道路交通法 (昭和三十五年法律第百五号)第百十四条の四第四項 の規定により交通巡視員に貸与する警察手帳に関し必要な事項を定めることを目的とする。

 警察手帳規則による警察手帳の保持の対象となっているのは、上記のように警察法規定による警察官、皇宮護衛官、交通巡視員である。そしてこの3種類の警官に対しては、いずれも“貸与”されるものであることが明記されている。
 また、前述の警察博物館の手帳にも、氏名の下には、「昭和四十八年四月十三日 貸与」と書かれており「警視庁総務部装備課長」の印が押されている。
 つまり手帳は、警察官に対して、貸し与えられているものであり、所有権は発行母体である総務庁(当時。現在は総務省)にあるのだ。
 警察手帳に限らず、手帳が身分証明書的に認知され、通用する例はある。個別のケースを検証することはできないが、警察手帳のように法的に規定されている例は決して多くはないだろう。
 ただ、手帳が身分証的に扱われる理由としてもっとも大きなものは、警察手帳のような国家またはそれに準ずる機関が、特定の権利の行使のために、その成員に持たせたからではないかと考えられる。それに範をとって、企業や学校などが発行する手帳が、IDカード的な役割を持たされるようになったのだろう。
 あるいはまた、何らかの組織/団体から発行された手帳を持った人が、ドラマで見た冒頭のシーンを意識、無意識に真似したとも考えられる。第三者に対して自らの身分を明かすための方法として手帳を利用するのは、こういう映像からの学習だったわけだ。
 ちなみに、筆者はある大手新聞社の記者から、新聞社の手帳をそんなふうに使った旨の話も聞いたことがある。
 身分証として通用する/利用される手帳の中でも、警察手帳はやはり特別だ。
 官製の手帳を偽造し悪用すると、刑法166条の(公記号偽造及び不正使用等)及び軽犯罪法違反(官名詐称)の罪に問われる。
 法律によるこういう“裏付け”も身分証としての警察手帳のイメージを補強することになっていると言えるだろう。
※1
東京都の警察官の場合
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