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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第78回 野村知紗『看護助手のナナちゃん』(小学館)

野村知紗『看護師のナナちゃん』

(c)野村知紗/小学館

 人は、職業をどういう基準で選ぶのだろう。

 私自身は幼い頃からぼんやりと「あの仕事ができたらいいかも…」と思うことがいくつかあったけれど(当時一番あこがれていたのはたしか、教師だったと思う)、医者や看護師には、なりたいと思ったことが一度もない。

 そもそも、病気で弱っている人を助けるという仕事は、世の中にとても必要な崇高ですらある仕事だが、現実的には、体力的にも精神的にもとても大変そうである。重労働なうえに責任も重い。血を見るのが苦手な臆病者のうえに、注意力散漫な自分にはそんな立派な仕事はできない、というとやや聞こえはいい(?)が、要するに「大変だからやりたくない」というのが私の偽らざるホンネなのだと思う。

 だが、当たり前だが世の中には、そんな大変な仕事を自ら希望し、日々淡々と、きちんとやってくれる人たちがいてくれるのだ。「ナナちゃんは看護助手です。」「看護助手は、看護師さんのサポートや、患者さんの生活をお手伝いするお仕事です。」という説明から始まる本作は、看護助手をつとめるナナちゃんのお仕事の様子を、ものすごくシンプルな線で描いた作品である。

 ナナちゃんが勤務する広島の病院にはさまざまな患者さんがやってくる。年齢も10代からお年寄りまで幅広い。入院する人、退院する人、元気になって退院する人もいれば、そうじゃない退院をする人もいる。「そうじゃない退院」は、やはりとても切ない。でも、人が生きていれば、ほとんどの人は能力的にも健康の面でも、いつまでも右肩上がりにばかりには進んでいけないのも事実だ。

 82歳の女性・はるさんは一人では歩けないのに、人に迷惑をかけまいとトイレに一人で行こうとして何度もベッドから落ちる。気兼ねなく職員の手を借りてもらおうとナースステーションのそばの部屋に移されると、ベッドからおりることはしなくなったけど、ナナちゃんがオムツを替えると「汚いとこをいつも本当にありがとう」と言って手を合わせる。患者であっても一人の人としての気遣いを忘れない人なのだ。糖尿の桃子さん(56歳)は、同室の人にも気配りできる働き者だが、しょっちゅう入院するので会社をクビになってしまったとしょんぼりしている。生活保護ももらっているようなのだが、「うちは、うちでおるために仕事が必要なん。」とまた他の仕事を探そうとするのだ。

 認知症の患者さんも複数登場する。財産家という噂の76歳のカズコさんは、あるとき財布がないと騒ぎ、ナナちゃんに盗まれたと言い出す。結局本人がしまいこんでいたのだが、このことでカズコさんの認知症が明らかになるのだ。元気なときはナナちゃんをよく働くから息子の嫁に欲しいとまで言っていたカズコさんの変貌に、ショックをうけるナナちゃん。その後も「財布がない」という妄想で騒ぐカズコさんは、経済的には豊かだったのかもしれないが、いったいどういう人生を送ってこられた人なのかなあ…と思わず考えてしまった。

 一方、軽い認知症のはなさんは、赤ちゃんをあやす幻覚をみて、それにつきあうナナちゃんたちも優しい気分になる。私が一番印象深かったのは、80歳の佐々山さんだ。認知症の妄想が「警察に捕まらんうちに、早よ逃げ。」「あんたはうちが守るけ。」と、刑事モノが多いのが佐々山さんの特徴だ。

 誰もたずねてこない佐々山さんのところに、ある日九州に嫁いだ娘さんがやってくる。楽しそうに話す間、佐々山さんの認知症は少しも出てこなかった。でも、そんな仲むつまじげな娘さんは、実は自分は父の連れ子で佐々山さんの本当の娘ではないと言うのだ。刑事だった父が亡くなってからも、継母である佐々山さんが一人で自分を育ててくれたのに、なかなか来られなくて…と泣く娘さんを見ると、佐々山さんは「あんたっ!!どしたんね!!」と自分のことはそっちのけで血のつながらない娘を心配する。妄想が入っても人の心配ばかりしている佐々山さん。誰もたずねてこない入院生活が寂しくないはずもないだろうに、いったい、こんな無限の優しさはどこからくるのか…と胸を打たれてしまった。

 そして、優しさという意味では、ナナちゃんをはじめ、看護に携わる人たちも同じだ。元バレー部の認知症の瀬戸さんは、しゃべれないので不満があると蹴ったりかみついたりする。74歳の女性だが、ビール瓶の蓋を歯であけるのが特技という丈夫な歯の持ち主なので、ものすごく痛い。53歳の寝たきりの男性・浮雲さんも、いつも怒っていて、話せないので不満があると看護する人の腕をつかんでひねったりして、アザになるのもしょっちゅうだ。でもナナちゃんは「いつか伝わる」と平常心で接し、気持ちが少しでもわかるようになりたいな、と、空が青いですよと話しかけ、「いつもどんなこと考えてますか?」と問いかけたりするのだ。

 マメさんという情緒不安定な認知症の患者さんは、祭りの妄想で自分の排泄物をベッドに塗りたくったりもする。それでも「でも今日は笑ってたから、よかった。」と世話をするナナちゃん。

 仕事とはいえ、本当にすごいなぁ…と思うのだ。不機嫌をぶつけられれば同じように不機嫌になり、自分のことで手一杯で人の世話が大嫌いな自分には考えられない偉大さだ。いや、「世話が嫌い」と言いつつ、私は20代のとき幼稚園の先生をしていたこともあったのだが、子どもは、たとえできることが少なくても日に日にできることが増えていくので、大変さもそれほどは苦にならない面がある。「成長」に向き合うか、「衰えていく」ことに向き合うかの差はとても大きい。

 本作は、つらいことも多い病院の生活を、極限までシンプルにしたほっこりした線で描いている。見開き2ページか、1ページでワンエピソードという短い繰り返しで語られるお話は、絵柄や語り口のおかげでなんだか童話みたいな趣なのだ。

 病をえたり、年を取ってくると、よりその人の本質があらわになるのだろう。悲しい姿を見せる人も多いけれど、「人間って素敵だ」と思わせてくれる人が、本書にはたくさん登場する。その人たちの姿は、素晴らしい人間性というのは、社会的な地位とは必ずしも関係ないんだな、ということも教えてくれる。ふだんは決して目立たないけれど心優しい「町の偉人」たちと出会えるお話なのだ。そしてそれは、作者の人を見る目の暖かさに支えられている。
 
 そんな本作は、人に優しくありたいと思いながらも「でもそれは、自分が不快にならない範囲まで」と利己的なラインを引いてしまう、上っ面だけの優しさしかもてない自分のような人間の心にも、じんわりとしみいる作品になっているのだ。



(川原和子)  

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