ビートン夫人の教え タイトル画像

ビートン夫人の教え

5 <後編>

 ビートン夫人が、ここに言葉を尽して台所の衛生に意を用いるべきことを説くのは、そういう風潮にしたがっているのであろう。
 彼女は言っている。
 「健康ばかりでなく、ひいて生命にまで関わるのが調理器具の清潔さということである。したがって、その衛生状態全体に気をつけなくてはいけない。なかんずく、ソースパン、シチュー鍋については、特に注意する必要がある。鍋の内側を完全に清潔にしておくことはもちろん、直接炎で調理するような場合には、鍋の外側もまた同様に清潔にしなくてはいけない」
 ここで、「直接炎で調理するような場合には」と断っているのは、たとえば当時すでにレミントン・レンジという炎を内部に閉じこめたストーブ式の近代的調理台が一般化していたからで、夫人はもし、レミントン・レンジなどを使う場合は鍋の外に煤が付く恐れがないので、使用人たちの省力化に大いに役立つといって、これらの新機軸のレンジ使用を勧めている。しかし、特に田舎のほうにでも行くと、まだまだ昔ながらの大きな暖炉のような設備で煮炊きをしたりする家も多かったらしいことが、こういう記述から想像されもするのである。
 またこんな注意もしている。
 「また蓋はきっちりと閉まって、ソースや肉汁が蒸発してしまわないようなものでなくてはならぬ。そうして、蒸気は中に保ち、煙は中に入らぬようにすること。また直接火に当たらない鍋の上のほうはつねにぴかぴかに光っているようでなくてはいけない。スープ鍋ややかんは使った後すぐに洗い、火のそばで乾かし、錆びて傷まないように乾燥した場所に保管すること。銅の器具は、錫メッキが内側に施されていないものは台所では使ってはいけない。そして、錫メッキが施されているものは、こすり過ぎて剥がさぬように気をつけて洗わなければならない。もし鍋の錫メッキが剥げてしまったら、次に使う前に必ずメッキをし直してもらうことが肝要である。スープや肉汁のようなものは、それが今必要だという時以上の長時間に亙って、決して、いつなんどきでも、鍋のなかに放置しておくことは禁物である。油脂分や酸が金属と反応して、食物に毒物が浸潤するからである。したがって、すぐに食べないスープや肉汁は、石や陶器の容器に保存するのが望ましい」
 こういう注意は、食品衛生というよりは食品の安全性に対する注意というに近く、食品のなかに含まれている酸などが銅のような金属と反応したり、あるいはこのすぐあとのところでは、redwareと言われる種類の、赤土を低温で焼いた質の悪いイギリス民俗陶器の釉薬(亜鉛や鉛などが含まれる)と反応したりして有害な物質となることなどを注意している。それも茹でた野菜などをそういう粗悪な焼き物の器に入れて放置すると野菜がすぐに腐って酸が発生し、あるいはピクルスの酸等も同様で、それらの酸が陶器の釉薬の金属と反応して有害な物質となるということを注意しているのだから、夫人はなかなか化学的な素養も深かったように思われる。
 それとは別にまた、雑菌の繁殖による危険性にも留意を促している。
 「漉し器やゼリーバッグ(ゼラチンを漉し取るためのフランネルの袋)、内側に芯の入った布容器の紐などは、みな必ず熱湯消毒し、乾燥した場所に保管しておかないと、次に使うときに悪臭を発するようになる。
 叙上のすべての事柄について、料理人たるもの十全な注意を払うことが大切であり、女主人も当然こうしたことに不注意であってはならない。台所の清潔さが家族の幸せをもたらすと同時に、器具類をキチンと保管することがすなわち、経済的にも資するところが大きいということを忘れてはならない」
 と、こう述べている。まことに至れり尽くせりの教諭ぶりであるが、これが、まだ二十歳そこそこの若い主婦であったイザベラ・ビートンによって書かれたというのは、なんだか不思議な気さえしてくるのである。

Copyrights NTT Publishing Co., Ltd. All Rights Reserved.