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手帳の文化史

第14回 手帳は神社になった?

・ 手帳は特異な文房具

 ボールペンやメモ帳、万年筆などの文房具と呼ばれる一連の製品群にあって、手帳は特異な存在だ。
 紙でできているところはメモ帳と同じだが、日時が印刷されている。前回にみたような度量衡などの資料ページを持つものもめずらしくない。格言や名言が記されているタイプもある。
 その中心的な部分であるスケジュール記入欄には、日付について、曜日、暦や六曜、月齢など、歴史の中で培われてきた年月に関連したことがらが書かれている。これらに由来するバリエーションにおいては、デザインや罫線のパターンでラインナップを増やしているノートやメモ帳とは比較にならないほどの種類がありそうだ。
 今回は、手帳が他の文具とは違う、独自のオーラをまとったのかを考えてみたい。
 インダストリアルデザイナー、栄久庵憲司の著書『仏壇と自動車』のひそみにならっていうのなら、手帳は神社のようなものである。
 そう、正月にお参りしたりする神社だ。
 なかでも有名人の名前が冠された手帳は、やはり特定の人物がまつられた神社によく似ている。

・ 神社になった手帳

 一口に神社と言っても、そこにまつられている神様は一様ではない。信仰の由来や対象は神社ごとにばらばらだ。
 大和朝廷の成立に深く関わった祭神や、土地と深く結びついた神社、三種の神器の剣を御神体とする神社、豪族をまつった神社など、ばらばらなものが、神社という共通の形式を持つ宗教施設の中に同じようにまつられている。そして後述するように、神社においては祭神は単一ではない(※1)。
 人をまつるケースは人神信仰と呼ばれ、次の二つのパターンにわかれる。
 ひとつは非業の最期を遂げた人物が強力な祟り神になること。これは御霊(ごりょう)と呼ばれる。
 もうひとつのパターンが、偉業を成し遂げた人物をまつる場合だ。もっとも有名な例は、江戸幕府を開いた天下人、徳川家康をまつった日光東照宮(栃木県)だろう。家康の死後、建立されたこの神社の「東照宮」という名には、「東の天照大神」という意味が含まれているという説がある。家康に先駆けて天下を取った豊臣秀吉も豊国神社(京都府)に、また織田信長も武勲神社(京都府)にまつられている。そのほか東郷平八郎も乃木希典も、それぞれをまつった神社が存在する(※2)。
 手帳と似ているのはこの、戦功をあげた武人をまつった神社だ。それは、有名人が発案した手帳と似ている。
 有名な経営者や学者、評論家などは、自らの発案した手帳を続々と発案・発売している。彼等に共通しているのは、「ビジネス上の戦果をあげたこと」だ。
 万人にとって限りある資源であり、1日あたり24時間しかない時間。それを有効に生かすことにより、ビジネスの世界で成功した彼等にとって、手帳はそれを成し遂げたあかしである。そしてよりよい手帳≒時間を有効に活用できる手帳が欲しい消費者にとっては、それを使えば自らも時間を有効に使えるのではないかというイメージを抱かせるアイテムだ。それは同時に、発案者である彼等自身の功労がまつられた神社のようなものだと言える。「この手帳を使えば有名な経営者や評論家のように、功績が挙げられますよ」。この種の手帳が発しているのはそういうメッセージだ。
 神社は、まつられた歴史上の人物の威光によって、家内安全、商売繁盛、交通安全などの各種の御利益をうたい、その証しとしてお守(まもり)を作っている。
 評論家や経営者などの名前を冠した手帳は、「この手帳を使えば時間を有効に活用できる」というメッセージを通じて、時間の有効活用という御利益を約束している。この点はお守りとよく似ている。それゆえ彼等有名人の手帳には商品価値が生まれる。
 そして、年末年始に注目を浴びる。
 書店や文具店の手帳売り場がごった返す時期は年末年始だ。これと神社の境内が初詣客でいっぱいになる年頭の時期は微妙に重なっている。

・ 平成不況と有名人手帳

 2009年現在の手帳市場の規模は八千万冊とも一億冊とも言われている(※3)これだけの数が文具店や雑貨店、文具店の店頭で毎年買われている。この数字はここ数年のことであり、昔からこの規模だったわけではない。
 150年近い歴史があり、技術的な革新があったわけでもない手帳。その市場規模がここまで大きくなったのは、それを必要とする社会の変容による。
 ほんの三十年ほど前には、手帳は勤務する会社から支給されるものだった。年玉手帳と呼ばれるそれには、社名が大きく入っており、表紙の裏には社歌・社訓が、便覧の最後には本支店名一覧などが印刷されたものだった。年末になればその会社の社員や出入りする業者に配られていた。
 この常識は1990年代に入ると、一変する。
 平成不況と呼ばれる経済の低迷期の影響で企業でも各種の経費が削減される。それは人件費であり終身雇用制のシステムそのものも対象になった。
 手帳も例外ではなかった。年玉手帳を廃止する企業が増えた結果、時間を管理するものとして市販の手帳が求められるようになった。
 そして、有名人の名前を冠した手帳は、平成不況とよばれる1997年ごろからの不況直前からあらわれ、ここ数年どんどん増えている。
 前述の手帳市場の数字はその結果というわけだ。

・ 有名人プロデュース手帳の登場

 市販の手帳は、手帳メーカーや経営コンサルタント会社、革メーカーなどさまざまな業種の会社によって制作・販売されている。
 有名人プロデュースの手帳と 既存の手帳との違いは、以下の点だ。
 第一に作った人の名前が大きくうたわれていること。
この条件に当てはまる最初のものは、評論家・竹村健一氏の「これだけ手帳」だが、以下の条件の有無が、第一世代の有名人手帳たる「これだけ手帳」とここ十数年で続々と登場するようになったものとを区別している。
 第二に、専用の解説書が存在すること。その中では、手帳を作った有名人の、時間に関する経験と考え方、場合によっては失敗談が披露されている。そして時間に関する自分の悩みを克服するために考え出されたものとして、自身がプロデュースする手帳が登場。活用法の解説へと続く構成になっている。
 第三に、特定の効能がうたわれていることだ。曰く「夢がかなう」「時間が二倍になる」「時間を有効活用できる」「規則正しい生活ができる」・・・。本文中だったりパッケージの惹句だったりとまちまちだが、その手帳ならではの特徴としてこれらの文言が必ず登場している。
 これらの効能を一言で言えば「時間の有効活用ができる」ことだ。
 この種の手帳は、錬金術ならぬ「錬時術」の道具であることをアピールし、その具体例として名前を冠された有名人をいただいているとも言える。
 第四に市販の手帳と異なる形態や記入欄を持ち、それを大きくアピールしていること。 第五にそれをプロデュースした人は、各種マスメディアに登場したり会社を経営したりする有名人であり、ビジネス面でも業績をあげていること。特に平成不況の前後にこの種の手帳はどんどん登場し、その勢いはとどまることを知らない。この2010年にも有名人の名前を冠した手帳が新しく登場することは想像に難くない。

・ 手帳も神社も“文化のミルフィーユ”

 日本の手帳は、神社とよく似ている。
 まず、双方とも、形式を共有しながら、独自の細部を持っている。
 神社は、その敷地内に鳥居、参道、拝殿、本殿、社務所などを持つ。そして鳥居や本殿の形式は神社によってまちまちだ。
 手帳もまた、スケジュール記入欄を中心としてメモページや、便覧を共通する要素として備えている。ただスケジュール記入欄の形式は、レフト式(※5)やバーティカル式(※6)など製品によってばらばらだ。
 次に、一つの中に多様な文化を持った存在である点だ。
 双方とも、一定の共通する形式の中に、多様な文化を重ね合わせて存在している。いわば複数の異なった形式が地層のように折り重なった状態だ。フランス発祥のケーキにミルフィーユがあるが、手帳も神社もいわば「文化のミルフィーユ」とでもいうべき構造を持っている(※6)。
 我が国で製作されている手帳は、世界のほとんどの先進国が採用しているグレゴリオ歴をベースに、国民の祝日や六曜、二十四節気、月齢といった日々の各種イベントをフォローしている。
 神社もまた神道という大まかな枠組みの中に、外来の神さまや仏教などを取り入れている。もともと神社の祭神は他の宗教のように単一ではないのだ。
 山や川、森など自然の存在に対する驚嘆や賛嘆を元に、それらの自然をまつったものや、先祖の霊をまつったものもある。さらに土地の神である氏神の神社は今でも土地土地に散見される。
 8世紀ごろには、当時伝来した仏教を信仰する貴族が、それを布教するために、神社思想との融合のために、いわゆる神仏習合が行われている。これ以降の日本では、明治元年(1868年)の神仏分離令が発せられるまで、この二つの宗教概念は渾然一体となっていたわけだ。
 つまり手帳も神社も、その中に複数の文化・習俗を飲み込んで今日に至っているのだ。 そして平成不況をきっかけとして、人をまつった神社のような手帳が出てくる。
 有名人プロデュースの手帳はその意味では登場すべくして登場したのかもしれない。
※1
『神社の由来がわかる小事典』(2007年 三橋健 PHP新書)
※2
『これだけは知っておきたい神社入門』(2007年 洋泉社ムック)
※3
日本能率協会マネジメントセンターによる
※4
綴じ手帳の一形式。見開きの左ページに一週間の記入欄を縦に配置し、右ページは無地または横罫、方眼などの自由記入欄になっているもの。
※5
綴じ手帳の一形式。見開きの左右のページにわたって、月曜日から土曜日までの予定記入欄が配置されているもの。縦方向には時間軸が用意され、細かな予定を逐一記入する。
※6
http://ja.wikipedia.org/wiki/ミルフィーユ
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