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手帳の文化史

第12回 ストーリーの中の手帳

・手帳を開けばストーリーがはじまる

 テレビや映画などに登場する小道具が、ストーリーを左右する重要なアイテムになることがある。そこには個人の情報が蓄積されており、第三者に明らかになったときには波紋を広げ事件が起きる。大きな秘密が含まれ奪い合いの的になることもある。
 本連載の過去の回では、それを持つ人間が所属する共同体の役に立つものとしての手帳を取り上げた。ビジネスマンの手帳もそうだし、警察手帳や船員手帳も、発行元によって保証されているからこそ、身分証明書的な役割を果たす。ひいてはそれが共同体がシステムとして円滑に機能することにつながっている。
 テレビなどの劇中に登場する手帳は、こういう例とはまったく違う。
 今回は手帳が映画やテレビドラマのストーリーの中でどんな役目を果たしてきたのかを見てみよう。まずは映画から。
 手帳の映画としてもっとも初期のものは、「舞踏会の手帖」だろう。内容は、36歳になった未亡人が16歳のときに出席した舞踏会で求愛された男性たちを一人一人訪ねていくというストーリーだ。
 ここには、手帳が映画に登場するときの一つの典型がある。
 それは、本人の過去の交流や私的な情報を蓄積したアイテムであることだ。
 ストーリーの中の手帳は、あることをきっかけに、思い出されたり、持ち主が変わったり(奪われる/紛失する)することで、スクリーンや薄型テレビの中のストーリーの核となっていく。
 ハリソン・フォード主演の人気シリーズの3作目「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」もその一つだろう。考古学者のジョーンズ博士は、キリストの血を受けた聖杯を探しに出る。手がかりはやはり聖杯を探しに出た父親から届いた聖杯手帳だった・・・。
 そのページの中には、聖杯の場所をめぐるさまざまな手がかりのスケッチやメモが残されており、ジョーンズ博士はやがて聖杯を巡ってナチスと奪い合いを演じることになるのだった・・・。
 ここで描かれる手帳とは、正確にはメモ帳と言うべきだろう。
 横にバンドを巻いたタイプで、今も人気のメモ帳「モールスキン」によく似ている。役回りとしては昔の海賊映画の「宝の地図」といったところだ。やはり考古学者であるジョーンズ博士の父親が情報を丹念に蓄積した結果として、手帳の形が選ばれているのだろう。

・システム手帳がトラブルのもと

 システム手帳が流行していた1990年のアメリカ映画「ファイロファクス・トラブル手帳で大逆転」になると、手帳には鍵やクレジットカードまで入っている。
 広告代理店に勤めるスペンサー(チャールズ・グローディン)は、休日をキャンセルして仕事で到着した空港の公衆電話(!)でシステム手帳を忘れてしまう。これを拾ったのが脱獄中の自動車窃盗犯ジミー(ジェームス・ベルーシ)だった。ジミーは手帳の中の情報を利用してスペンサーになりすまし、クライアントとの打ち合わせに出席したり、キーを手に入れて別荘を勝手に使ったりとやりたい放題を繰り広げる。
 これはシステム手帳ならではの演出だと言える。薄っぺらい普通の手帳では、キーやクレジットカードなどはとうてい収めきれないからだ。

・手帳には秘密が詰まっている

 放映中のテレビ朝日系ドラマ「四つの嘘」は、もっと扇情的だ。
 原詩文(永作博美)をはじめとする主人公4人はかつて高校の同級生だった。その一人、戸倉美波(羽田美智子)はカナダで事故死する。友人の死を弔うために現地に飛んだ西尾満希子(寺島しのぶ)は、美波の夫から、手帳を渡される。そこには、浮気していたらしい美波の秘密が書かれていたのだった・・・。
 この第二回で面白かったのは、帰国途上の飛行機の中で何回も手帳を読んだのに、書かれていた暗号を解読できなかった寺島しのぶと、一目見るなりあざやかに理解してみせる永作博美の対比だ。
 その人にしかわからないはずの略号を、永作博美は何の迷いもなく解読していく。よほどのことがない限り他には漏れないはずの知らない秘密が、持ち主の死をきっかけに公にされ、波紋を広げていくのだ。手帳を巡って、キャラクターの違いとともに、手帳の、個人の秘密を記録するアイテムとしての性格が明確に描写されている。
 思えば、松本清張原作のテレビドラマ「黒革の手帳」も、元OLの原口元子が手帳に書かれた秘密をもとにのし上がっていく話だった。
 映像作品におけるキーアイテムとしての手帳は、秘密が詰め込まれた道具なのである。

・なぜシステム手帳が多いのか

 さて、最近の映像作品では、システム手帳が登場する機会が多い。木村拓哉が総理大臣になるフジテレビ系ドラマ「CHANGE」でも、深津絵里演じる秘書がA5のシステム手帳を持っていた。米倉涼子が演じたリメイク版「黒革の手帳」も凝った革表紙のバイブルサイズだった。
 これはなぜか。
 答えは簡単で、映像に映る小道具はある程度大きくなければならないからだ。
 指輪のような、最初から特別な意味合いを持たされている道具をのぞけば、小道具は、あまり小さいとクローズアップにする必要が出てくる。映画文法的な面でそれが必要なプロセスでなければ、これはむだな演出となる。
 ところがシステム手帳は、ある程度大きく分厚い。登場人物がそれを持っていることがはっきりわかる。だから、クローズアップしなくても小道具としての役目を果たす。
 アップにしなくてもそれを持っていることがはっきりわかるシステム手帳は、映像作品に登場させるには非常に都合のいいアイテムなのだ。

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