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手帳の文化史

第10回 携帯電話はどうやって手帳になったか

・システム手帳はケータイの今日を予言していた!?

 '84年に上陸したイギリス製のバインダー「ファイロファクス」は、手帳本来のスケジュール記入や住所録などの機能に加え、リフィルと呼ばれる交換用紙を加えることで、メモを増やしたり、収納力を増したりすることができる。その機能性と革のバインダーのファッション製の高さから、ファイロファクスを中心とするシステム手帳は、翌'85年に爆発的なブームになった。ビジネスマン向けの雑誌が特集したり、専門誌も登場した。以降、広く一般の人々にも使われるようになったが、'90年代初頭にはブームは終息。本連載の第五回でみたような、“成功実現のツール”として見直されるまで光が当たることはなく、イメージは陳腐化していた。
 このシステム手帳のブーム時に刊行された出版物にはその多機能性をものがたる写真が登場している。「システム手帳のアイディア術」(1987年 アスキー)の中には、その収納性を利用し、システム手帳を万能ツールにしようとする企画があった。写真の中には、撮影用の小物なのか、マイクロカセットレコーダーや電子手帳、それにポケット版の地図なども写っている。
 スケジュール管理やアドレス帳など、手帳本来の機能を満たした上で、クレジットカードはむろんのこと、電卓、ラジオ、時計、キーケースなどをカード収納用リフィルに保管。日常的に持ち歩くあらゆるものを手帳に押し込もうとする試みは、この時点では好事家の趣味の域をでなかった。
 そして現在。万能のシステム手帳以上の機能を、もっと小さなサイズの中で実現しているものがある。
 携帯電話だ。
 2008年現在の携帯電話には、前述した、システム手帳がリフィルの中に収納しようとしたツールのほとんどが入っている。筆者の手元にある携帯電話「SH705i」の例で言えば、まず手帳機能の核であるスケジュール管理機能やアドレス帳の機能がある。電卓も時計もあるし、テレビ(ワンセグ)まで備えている。短い時間ならば音声の記録も可能だ。カメラまで備えている。非接触型ICカードの一つであるFelica機能を使えばキャッシュレスで買い物ができる。クレジットカード機能を持たせることもできる。この機能を応用してマンションの鍵(建物側の対応が必要だが)として利用できる。内蔵とはいいがたいが、Web接続機能を利用すれば地図も参照できる。
 つまり現在の携帯電話の姿は、前述の書籍の中で提唱されていた生活万能ツールにかなり近いのだ。
 携帯電話は、一方で従来の機能である「通話」に加え、「Webへのアクセス」と「メール」という強力な機能を、手のひらサイズの大きさと100g程度の重さの中で実現している。ユーザーがこれほど肌身離さず持っているツールは他に例を見ず、その点でも手帳を超えてしまったと言える。
 携帯電話を手帳として使うには、文字を入力し記録するための機能が不可欠だ。それなくしてはアドレス帳もスケジュール機能もありえないからだ。

・かな漢字変換機能の搭載

 現在の携帯電話の機能と役割を規定しているのは、iモードのような、ブラウザフォンとしての機能と出自だろう。その主要な利用目的は通話よりも、Webへのアクセスと他人とのコミュニケーション=メールであったことが大きい。
 iモードのこの機能を実現するためには、携帯電話のハードウェアに以下の二つの大きな条件が整う必要があった。一つは液晶ディスプレイでの無理のないかなと漢字の表示。もう一つは、表示されるかなと漢字を入力し変換するための手段、すなわちパソコンのIMEに相当する機能である。
 それを準備したのは、ポケベルや同じ携帯電話事業者同士のメッセージ送受信サービスの隆盛という、時代の流行だった。
 NTTドコモのゲートウェイビジネス部コンテンツ担当部長だった夏野剛氏の著書「iモード・ストラテジー」(2001年 日経BP社)には次のような一文がある。

 「ポケベルの利用が減る一九九七年くらいから、携帯電話やPHSを使うメール(ドコモのサービス名は「ショートメール」)が増え始めていった。電話のテンキーを駆使して相手のポケベルにメッセージを送り合っていた世代が、徐々に携帯電話やPHSのユーザーへと移っていたのだ。この段階になると、双方向のメッセージのやりとりが可能になった。
 ただしこの時点では携帯電話機同士、PHS同士のメールのやりとりだけである。しかもやりとりできるのは同じ通信事業者の中だけ。つまり『インタラクティブ(双方向)/クローズド・サービス』の時代である。
 それに続くのが『インタラクティブ/オープンサービス』の時代ということになる。つまり別の事業者の携帯電話や、インターネットに接続したパソコンとの間でもメールを送受信できるようになる。」

 ショートメッセージサービスのころの携帯電話は、すでに漢字対応になっていた。NTTドコモの例で言えば1998年当時発売されていた206iシリーズではその機能が備わっていた。
 それがiモードの登場により、かな漢字の表示と入力の機能が標準になり洗練されていった。それ以前の機種ではアラーム機能の延長線上にあるものでしかなかったスケジュール機能は、ここに至って本格的に使えるようになる。かなや漢字の文字入力ができるようになったので、手帳の代替に十分なりうる機能が整ったのだ。
 文字入力ができる小型の電子デバイスには、PDAという先例があった。だが特にiモードはPDAとはまったく違う方向を向いて開発されていた。

(この項続く)

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