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手帳の文化史

第9回 船員手帳について

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「明治時代の船員手帳」
(浅草橋 日本文具資料館所蔵)
 手帳と名がついていても、日付入りの記入欄を持たないものはある。公的機関によって発行され、身分証明書的な性格が強いものも、“手帳”と呼ばれる例があるからだ。その一つが以前とりあげた警察手帳だ。
 船員手帳もここに分類されるだろう。やはり日付もメモ欄もないが、身分証明書や公文書的な性格を強く持っている。その発行が法律によって規定され、公共またはそれに準ずる機関(※1)によって発行される点は警察手帳とよく似ている。
 この船員手帳は、船上労働の特殊性を補完するために存在する。持ち主個人のためであると同時に、それを雇用する船や会社、あるいは船員と海運システム全般のために存在する記録簿的な性格の手帳だと言える。

・船員法による規定

 船員手帳に関する規定があるのは船員法である。
 船員法に定める船員とは「日本船舶又は日本船舶以外の国土交通省令の定める船舶に乗り組む船長及び海員並びに予備船員」(同法による)である。船員法には、その適用される船舶が規定されている(※2)。つまり、外洋に出る一定以上の大きさの船に乗り組んで労働する人がその対象である。
 この船員法(最終改正平成20年)の第四章第五十条には以下の記述がある。
第五十条 船員は、船員手帳を受有しなければならない。
・ 2
船長は、海員の乗船中その船員手帳を保管しなければならない。
・ 3
船員手帳の交付、訂正、書換及び返還に関し必要な事項は、国土交通省令でこれを定める。
 船員手帳の直接の目的は、船員の労働の保護である。具体的にはまず雇入契約が適法かつ有効に成立していることの証明が記載される。
 陸から隔絶された船舶上という特殊な条件は、陸上の労働環境と異なる。船舶は数十日から数ヶ月は洋上にある。工場などと違い、第三者がいつでも労働条件を確認するわけにはいかない。そのために、雇用契約が記されているのだ。

・健康を証明する手帳

 これ以外の資格証明、健康状態なども、洋上の労働の特殊性を鑑みて記される。
 まず資格証明だ。一例を挙げると、タンカーには、危険物取り扱い責任者の乗船が不可欠だとされている。これは、STCW条約(※3)で定められている。資格証明書とは別に船員手帳にその記述があることで、有資格者の乗船の事実が認められるというわけだ。
 次に健康状態の記述である。これは船員法の規定による指定医師によって診断され、X線、心電図、血糖検査などをひととおり検査。健康を認められた証明となる。これも海上労働の特殊性に由来する。海上で病気が発症した場合、隔絶されている海上ゆえ、救助はむずかしい。だから乗船の時点で病気でないことを証明する必要があり、問題がなければ健康証明が出される。それを満たしている者でないと船員として雇われることができないのだ。

・乗船履歴の記録

 船員手帳のもう一つの大きな機能は、乗船履歴の記録である。乗船履歴は船員の資格取得に重要な役割を果たす。たとえば航海当直という役目には一定以上の経験が必要である。そのときに船員手帳の乗船履歴が乗船経験を証明するものとして役立てられるのだ。
 船員手帳はこのように、いったん発行されると乗船履歴の積み重ねとともに、どんどん記入され発行される。古いものはパスポートなどと同じように、穴を開けられて効力を失う。
 以上に見たように、船員手帳はその持ち主である船員自身というよりは、船員を雇用する船長(または船が属する会社)や海運に関する法を定める国または国相互の取り決めのために存在しているとも言える。
 その特異性が端的に表れているのが、記入のしくみである。これは単なる記録というより対外的な効力が重視される。
 だからたとえば雇い入れと雇い止め、つまり雇用の開始と終了の期日は船長が行い、運輸局に届け出る。問題がなければ官公庁の印が押され、公的な認定を受けることになる。
 資格についても同様で、運輸局に申請して不備がなければ認められ、証印が押される。
 あくまでも、本人よりは本人が属する船やそれを取り巻くシステムのためのものなのである。
 パスポート的な役割を果たすこともある。出入国に関しては、寄港する国の制度がまちまちなので一概には言えないが、韓国などのように船員手帳による出入国を認めている国もある。またそうでない国ではパスポートも別途必要になる。
 船員手帳はこのように、船舶の運航に不可欠な船員自体をサポートすると同時に、船員の労働条件や健康を管理することで、船舶の円滑な運行を支えていると言えるだろう。
 平成20年3月末現在、日本国籍を有する者への船員手帳(※4)は12万1303件、日本国籍を有しない者への船員手帳(※5)は1万8799件、それぞれ発行されているという。

※1
地方運輸局と指定市町村が発給。海外では各領事館も発給する場合がある。
※2
「5トン以上の一般の船舶、30トン以上の漁船で、湖川港内以外の水域を航行するもの」
※3
船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約。日本は昭和57年に批准
※4
紺色の表紙で有効期限10年
※5
橙色の表紙で有効期限5年
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