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手帳の文化史

第4回 手帳のデジタルな形を考える

 電話でアポイントを取り、電話で予定を管理する。
 携帯電話の普及と高機能化によって、こんなことが誰にでも可能になっている。電話した直後に液晶画面を見ながら、スケジュール機能を呼び出す。十字キーなどで予定の日時を選択し、アポイントとその内容をテンキーで入力していく。高校生から若手ビジネスマンに至るまで携帯電話をこんなふうに活用する人は珍しくない。
 携帯電話がこのように使われる以前にも、予定をデジタルデータとして管理する道具はあった。パソコンやPDAがそれだ。

・手帳がデジタルであることのメリット

 デジタルデータを管理する機器は、手帳の機能を代替しようとしてきた。スケジュール管理や住所録、メモなどの各種機能は、デジタル化することによるメリットがあるからだ。
 一例を挙げればスケジュールは、時間の変更にも柔軟に対応できる。ToDoリストの画面に記録した仕事もチェックされなければ、自動的に翌日に送られる。予定の時刻にアラーム音を鳴らしたり、締め切りが過ぎれば赤字で表示されたりする機能もある。これは、デジタル機器が、文字の記録だけではなく、時間の経過をきっかけとして、音声再生やディスプレイ表示の切り替えをする機能を持っているからだ。記録、そしてそれと連動する表示や音声鳴動の機能こそ、ソフトウェアとハードウェアの組み合わせであるデジタル機器に、手帳の機能を持たせる最大のメリットと言える。
 表示期間の切り替え機能もデジタル機器の大きなメリットだ。一般的な綴じ手帳には紙のサイズという物理的な制約もあり、一ヶ月の記入欄と一週間の記入欄が別々に用意されている。だが、パソコンやPDAなどでは、表示される期間を切り替えることで、特定の一日の予定を、特定の1ヶ月の中で眺め、その前後の予定と同時に見ることが可能だ(※1)。
 パソコン用のPIMソフト(※2)の代表である、マイクロソフトの個人情報管理ソフト「Outlook」には以上の機能が用意されている(※3)。
 また、PDAにも同等の機能があった。日本製PDA「ザウルス」(シャープ)には、形式こそ違うが、スケジュールやアドレスを入力・記録することが、主要な目的として作られていた。さらに、パソコンと接続してPIMソフトで入力したスケジュールやアドレス帳のデータをPDAのそれと同期する機能も提供されていた。
 パソコンでもPDAでも、紙の手帳が実現しえなかった上述のような機能が実現されていた。しかしパソコンやPDAはそれぞれ手帳の代わりになり得なかった。その理由は次のことだろう。

・PDAはなぜ手帳になれなかったのか

 パソコンは起動が遅い。MS-DOS時代であっても、Windows以降でも電源を入れてから入力できるようになるまでには数十秒から1分程度またされる。取り出してぱっと記入できる手帳とはその手軽さにおいて雲泥の差がある。大きさもネックになった。パソコンのPIMソフトが複数発売されていた'90年代後半時点では、ノートパソコンであっても、その重量は1.5Kgを切るのがやっとだった。手帳として使うには、起動が遅すぎ、大きすぎ重すぎたのだ。 起動も速く、より小型だったPDAにも問題がなかったわけではない。PDAというプロダクトが一般レベルに普及するまでに至らなかったことが大きい。
 PDAという概念は、'93年にアップル・コンピュータが「Newton」発売に際して提唱した「Personal Digital Assistant」に由来する。それが製品ジャンルとして盛り上がったのは、マイクロソフト社製の組み込み用途に作られたOS「WindowsCE」(※3)を搭載する各種PDAであり、ワープロ専用機をルーツとして持つ「オアシスポケット」(富士通)などだった。だがこれらはいずれも一般のビジネスマンに広く普及したとは言い難い。それはパソコンのような、Webや電子メール、ワープロソフトや表計算ソフトなどの明確な目的を打ち出せなかったためだろう。それは同時に辞書機能や音楽プレーヤー機能といった、PDAの副次的な機能であったはずのものが単機能のハードウェアとして発売され、一般に普及したことによる存在感の埋没でもあったはずだ。
 現在でもパソコン用のPIMソフトは利用されているし、PDAの後継的な存在としてスマートフォンがあらわれている。ただ、手帳として利用される可能性を持ちながらも、手帳に取って代わることはなかった。それはこれからも変わらないだろう。そして、デジタルツールとして唯一手帳にもっとも近い位置にあるのは、おそらく携帯電話なのである。その理由については回を改めて触れたい。

※1
一部の蛇腹式の手帳は、表示期間の切り替えを折りたたみと拡げることで実現している。ただしその場合は、一日あたりの記入欄がどうしても小さくなり、メモの記入が十分にできないなどのデメリットがある。
※2
PIMソフト → PIM (Personal Information Manager/Management) ソフト。スケジュールや住所録など、それまでは紙の手帳で記録された種類の情報を専門に入力・管理するソフト
※3
パソコン用PIMソフトとしては、これ以外にも、「ロータス・オーガナイザー」(ロータス)、「サイドキック」(ボーランド)などの製品があった。
※4
この後継OSが、現在のスマートフォンに多く搭載されているWindowsMobileである。
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