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手帳の文化史

第3回 手帳はいつから習慣を作るツールになったのか

 手帳に求められる役割のひとつに、“習慣” がある。
 実は手帳を使うこと自体も一種の習慣である。その意味では、手帳を手段として何らかの習慣を身につけるのはいささかトートロジーに近い。
 だがそういったこととは別に、手帳にはそのような役割が期待されているし、それを目的とした手帳も発売されている。
 そういった「習慣形成」をコンセプトの中核として発売されている製品のひとつ「フランクリン・プランナー」はアメリカで生まれ、'90年代には日本にも登場した。
 この手帳の名は、ベンジャミン・フランクリン(1706−1790)に由来する。そしてフランクリンこそが、手帳を習慣形成のツールとして利用したおそらく最初の例だと考えられる。ベンジャミン・フランクリンは、またアメリカ合衆国の独立宣言起草者の一人として知られている。同時に政治家、事業家、科学者でもあり、それぞれの分野でも功績を残した。
 そのフランクリンが提唱したのが有名な「十三の徳目」である。『フランクリン自伝』(中公クラシックス 渡邊利雄訳)にはフランクリンがこれを考えた動機として、以下のような説明がある。
 「私はいついかなるときでも、まったくあやまちを犯すことのない生活を送り、生まれつきの性癖や習慣、あるいは交友によって、陥りがちなあやまちを一つ残らず克服してしまいたいと思ったのだ。」
 つづく一文には、このような徳目を考えた理由として以下のことが挙げられている。
 「それに注意を怠っていると、そこへ習慣がつけこんでくるし、ときには性癖のほうが理性よりずっと強いこともあったりするので、最後に私は道徳的に完璧であることが、同時に自分の利益にもかなうことであると言った程度の単なる理屈のうえでの信念では、自分の過失を防ぐことが不十分であること、そしてまた、自分はいかなるときでも正しい行動が確実にできるという自信をもつためには、まず第一にそれに反する習慣を打破し、つづいてよい習慣をつくって、しっかりそれを身につけなければならないという結論に達したのだった。」

(前掲書 pp190-191)

 道徳的な成熟を、単に自制心とか信念のみによってではなく、簡単に実行できる原理原則の形にまとめて、優先順位を設定。日々意識して実行し、チェック機構を設けるようにしたもの。それが十三の徳目。以下にその具体的な項目と内容を引用する。
  1. 節制
    頭が鈍るほど食べないこと。酔って浮かれだすほど飲まないこと。
  2. 沈黙
    他人または自分自身の利益にならないことはしゃべらないこと。つまらぬ話は避けること。
  3. 規律
    自分の持ちものはすべて置くべき場所をきめておくこと。自分の仕事はそれぞれ時間をきめてやること。
  4. 決断
    やるべきことを実行する決心をすること。決心したことは必ず実行すること。
  5. 節約
    他人または自分のためにならないことに金を使わないこと。すなわち、むだな金は使わないこと。
  6. 勤勉
    時間をむだにしないこと。有益な仕事につねに従事すること。必要のない行為はすべて切りすてること。
  7. 誠実
    策略をもちいて人を傷つけないこと。悪意をもたず、公正な判断を下すこと。発言する際も同様。
  8. 正義
    他人の利益をそこなったり、あたえるべきものをあたえないで、他人に損害をおよぼさないこと。
  9. 中庸
    両極端を避けること。激怒するに値する屈辱をたとえ受けたにせよ、一歩その手前でこらえて激怒は抑えること。
  10. 清潔
    身体、衣服、住居の不潔を黙認しないこと。
  11. 平静
    小さなこと、つまり、日常茶飯事や、避けがたい出来事で心を乱さないこと。
  12. 純潔
    性の営みは健康、または子孫のためにのみこれを行なって、決してそれにふけって頭の働きを鈍らせたり、身体を衰弱させたり、自分自身、または他人の平和な生活や信用をそこなわないこと。
  13. 謙虚
    キリストとソクラテスにみならうこと。
  14. (前掲書 pp191-193)

 フランクリンは、これら十三の項目について、手帳にチェック欄を作り、それぞれ毎日実行できたかどうかを記録した。縦軸には各徳目を、横軸には曜日を配した7つの欄を井桁に配置した表のページを用意していた。そして毎日、それぞれの徳目に関して、自分があやまちを犯した場合は、該当する欄に小さな黒点をつけるようにしたという。
 自らのふるまいを、複数のポイントをあげて検討・検証することで、フランクリンは当時の価値観に沿った道徳的な向上、人間的な成長を目指した。
 十三の徳目が持つある種の禁欲性のようなものは、フランクリン・プランナーに影響を与えている。また、特定の目的を達するために行動を定点観測的に捉えてその結果を記録する方法は、十三の徳目を実行するための手帳=フランクリンのこの方法をもって嚆矢とすると言えるのではないか。現在、文具店の店頭にはいろいろな手帳が並んでいるが、その中にはスケジュール欄以外のチェック項目を持つものも少なくない。そして、自らの振る舞いや仕事ぶりを日常的に観察し、それを記録するためのツールとしての手帳は、「十三の徳目」について自らの行動を検証し、記入していくフランクリンのこのスタイルにルーツがあると考えられる。
 フランクリンは、これ以外にも現在の手帳に大きな影響を与えている。それについては次回以降に触れたい。

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