おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』
第98回 天堂きりん『きみが心に棲みついた』(講談社)
(c)天堂きりん/講談社
人の心とは不思議なものだ。楽しくポジティブな方向をむいて生きた方が自分にも周囲にもよい、とわかっていながら、ときに自分や周囲を傷つける関係を自ら選択したりする。自分自身も含めて、そんな面倒くさいことをする心の動きを、「何故?」とじっと見つめていくと、自分でも目をそらしていたい恐ろしい本心や欲望が浮かび上がってきてぎょっとしたりする。本作は、そんな一見「なぜそんな関係を続けるの?」と非合理的に感じられる人間関係に焦点をあてた作品だ。下着メーカーに勤める小川今日子はいつもおどおどと挙動不審で、学生時代は「キョドコ」というあだ名で呼ばれていた女性。耳に痛いことを言ってくれた吉崎という男性に、初対面で「私とつき合ってください!!」と迫って気味悪がられたりする。そんな今日子は、以前酷いことをされた男のことをひきずっていたが、暗い過去を断ち切ろうと決意。だがその断ち切りたい相手である星名が、なんと今日子の職場に異動してきた…!!
一見爽やかな星名だが、彼には裏の顔があった。大学時代、まわりにとけこめない今日子を、サークルの先輩だった星名だけが「そのままでいろよ」とやさしく受け入れてくれたのだ。今日子にとって、自分を認めてくれる唯一の人として星名の存在は日増しに大きくなっていったが、近しい関係になると一転、今日子は星名にさんざん酷い目にあわされ、しかも星名は今日子が傷つくことを楽しんでいるかのようだった。
過去の呪縛である星名を断ち切り仕事に打ち込もうと必死に頑張る今日子。でも、やっとメールアドレスを教えてもらった吉崎に、ものすごい数のメールを次々と送ってしまい仲良くなるどころか相手にドン引きされたりする。今日子は一生懸命ではあるのだが、暴走する自分を止められない性格で、読んでいて思わず「この人は大丈夫?」と心配になるようなあぶなっかしいヒロインなのだ。
一方、星名は今日子とは仕事上のライバルでもある飯田という女子に接近。二人の仲を今日子に見せつけるようなふるまいに、星名を断ち切ると決めていた今日子の決心は大きくゆらぎ始める…!
「私なんて」が口癖の自信のない今日子の心をさんざんもてあそぶ「冷たいクセに、いざというときは突き放さない」星名の手口。それは自分を思ってのことではなく彼のエゴのために利用されているのだ、とわかっていながら、星名から離れられない今日子。
そう、これはかなりドロドロとした、陰惨ともいえるお話だ。なのに絵柄はとってもかわいらしく、邪悪な星名も、ある種の女子が逆らえない魅力をもった男性としてうまく描かれている。かわいらしい絵柄でドロドロの人間関係を描くというギャップが、人の心のひとすじなわでは行かない部分を描いていながらも、ある種の「黒い寓話」としてつらくなりすぎず読ませてくれる秘訣だろう。
それにしても、何故今日子は、自分を傷つけるとわかっている星名に惹かれ、離れられないのだろう?
幼い頃から母親にもうとまれ学校でも身の置き所のなかった今日子にとって、初めて自分を受け入れてくれた星名の存在は、とてつもなく大きかっただろう。その相手に突き放されれば大きな苦痛だろうし、一転して優しくされれば、いったん気分がどん底に落ちているだけに、落差で喜びもより大きくなるだろう。気分の乱高下には、その関係を続ければ自分の傷を深くするだけだとわかっていてもやめられないほどの目もくらむような陶酔感があるのではないか。
あるいは今日子にとっては、「キョドコ」と呼ばれて遠巻きにされ、自分が誰にも求められず何にもつながっていない、という寒々とした不安感に耐え続けるよりは、たとえ傷つけられるにしろ「ある種の力をもった相手からの強烈な刺激」を受けるほうが、まだましなのかもしれない。自分という存在のぼんやりしたいつ果てるともわからぬ不安に身をさらし続けるより、「痛み」という強烈な刺激で上書きしたほうが、むしろ逆ベクトルの「生きている実感」が得られるのかも…とさえ思わされた。
だが、その関係ははたから見てもひどくグロテスクで、その暗い陶酔感が今日子をどこへ運んでいくのか見当もつかない。
ちなみに、本作1巻の表紙には、傘をさして泣いている今日子の背景に涙を流す動物やどんぐりなどが描かれてたデザインで、とてもかわいらしい。が、カバー折り返しの部分に描かれた太陽は、目にあたる部分がボタン状になっていて、ずっと見ているとちょっとコワくて、ぞくりとくる「奇妙なかんじ」がある。さらにカバーを外すと、カバーと同じ絵のなかに、邪悪に笑う黒い人影がひそんでいる…という構造になっているのだ。
続く2巻の表紙の今日子は、上半身はバラとフリルで過剰にオトメっぽいのに、下半身はショーツ、という姿で、「ぱっと見はかわいいのによく見ると欲望があからさまにむき出し」というデザインになっているのも、本作の内容を象徴しているようで興味深い(もちろん、カバーをめくると、1巻同様、黒い人影が!)。
向上心も能力もあるのに、心がぐらぐらしていて大暴走しがちな不安定なヒロイン・「キョドコ」と、妖しい魅力をはなちつつも人を傷つけることを楽しんでいるかのような邪悪な男・星名、そして関わりたくないと思いつつ、まきこまれてしまう吉崎。彼ら・彼女らの関係は、これからいったいどうなってしまうのだろうか?
とてもかわいい絵柄で、のぞき込むのがこわいようなディープな依存関係のドラマを描いて見せてくれる本作の終着点はどんな場所なのだろうか。この意欲作から、目が離せない。
(川原和子)