おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』
第94回 『マスタード・チョコレート』冬川智子(イースト・プレス)全1巻
(c)冬川智子/イースト・プレス 既刊1巻
同じ大きさのコマが1ページに、4コマ。だけど、4コママンガではなくて、ストーリーマンガ。ちょっと珍しい形式だ。
その理由は、連載時の媒体と関係している。本作は、1コマずつクリックしてめくっていく形式のケータイサイトでの連載が本になったそうなのだ。だから、本になってもコマのサイズがすべて同じだ。
最初こそとまどったが、読み始めるとぐいぐい引き込まれ、その自由度の低さが不思議と「制約」に感じられない。むしろ同じ大きさのコマが続く形が独自のリズムを作っていて、内容とあっているかも……と思えてくる。そんな作品だ。
主人公は高校3年生の女の子、つぐみ。友人がいなくて高校で浮いているつぐみは、美大をめざして美術予備校へ通い始める。世界とうまくなじめない不器用な女子の、大学受験という節目をはさんだ日々をていねいに描いた物語だ。
美術予備校に高3の夏に入ってきて「今から始めて現役で美大に入れますか」と強い調子で言うつぐみに、講師の矢口は「大丈夫!」と励まし、周囲になじめないつぐみをなにかと気にかけてくれる。だがその親切をわずらわしく思うつぐみは、わざと嫌われるような質問を矢口にしたりもする。つぐみは好きなミュージシャン、イグルーが、インタビューで「孤独だった自分が大学で初めて居場所を見つけた」という内容を語っているのを読んで、同じように孤独な自分も美大に現役合格して「ひとりでいても何も言われない」場所に行きたいと思っていたのだ。だが、偶然同じイグルーのファンとわかった予備校の男子・浅野と話すうちに、彼とは少しずつ距離を縮めていく。また、つぐみの無愛想さにもめげず話しかけてくるフレンドリーな女子・マリとも、とまどいながらもだんだんうちとけていくのだ。
かなりシンプルな線で描かれている本作だが、講師の矢口や浅野たち男子は、簡略な線ながらもそれぞれかっこよく描かれているし、女子たちも、マリは「美人じゃないけど、おしゃれで工夫してかわいく見せてるタイプ」なんだな、とか、のちに登場する美桜は「素材的にはかなり美人、でも不器用でツンデレなせいで恋には墓穴を掘るタイプ」といったニュアンスまで、みごとに描き分けられている。
そんななか、ヒロイン・つぐみは、まん丸い顔にまつげ1本もなく(描かれず)、おかっぱ頭。最初はほとんど笑わず、見た目も言動もかなりそっけない。その一方で、胸がかなり大きかったり(そのせいで高校の同じクラスの女子に反感をかったりする)、足クセが悪くて制服の短いスカートでも無意識に足を広げてデッサンしていたりする。まさに「頭」と「身体」がちぐはぐな女の子として描かれているのだ。「つぐみ」というのも名前ではなく名字で、フルネームは「津組倫子(つぐみ・りんこ)」。「つぐみ」という名前みたいな名字(しかもかわいい)なんてかなり素敵な設定なのだが、本作の中ではそういう部分も、つぐみのちぐはぐな面の象徴に感じられてしまう。
そして、つぐみの横顔だけが常に、「まんまるに三角をのっけたような顔」という、あたかも丸と三角の積み木をつぎたしたような形で描かれる点も特徴的だ。他の人物はちゃんと「人の横顔」として凹凸を描かれているのに、なのだ。それがユーモラスでもあるし、つぐみの、大きな胸という「過剰な肉体」をもっていながらも、頭(心)や対人関係には恋を含めてとっても奥手、というギャップをあらわしているようにも思える。
タイトルは、つぐみの好きなガッシュ(アクリル絵具)の色の名前からきている。マスタードとチョコレート。この2色を使ったつぐみの色彩構成は、予備校の講評で「地味」だと酷評されるが、矢口先生はあとでつぐみを呼び止め「構成は良くなってきてるから」と励ましてくれる。ほめられてほっとするつぐみは、ふと「なんであれが私の作品だってわかったんだろ」と疑問をもち「やっぱり講師って生徒をよく見てるのかな」と思う。先生と言っても、矢口も現役大学生の若者だが、おしつけがましいところはなく、さりげなく受験でゆれ動くつぐみを見守り続けてくれるのだ(そして、この絵の具の存在は、終盤の伏線にもなっている)。
予備校でつぐみが周囲にそっけなかったのも、敵意があるというよりは、自分のことで手一杯だったからだろう。でもその態度は、周囲を拒絶するかのように見えてしまっていた。本作では、矢口先生やマリがそんな態度にもめげずつぐみに手をさしのべてくれ、つぐみも少しずつ周りを受け入れ、世界を広げていく。10代というのはつぐみのようなタイプの人にとっては、周囲とうまくかみあわなくて居心地が悪い時期だけれど、この作品ではちょっとだけ早く大人になっていたり人格的なバランスがいい人たちが、少しずつつぐみと関わりを持ち、いつのまにかつぐみの世界はいろんな色を持ったものに変わっていくのだ。
大学入学後、アパートで一人暮らしをはじめるつぐみだが、隣人は偶然にも矢口先生だった。かつての予備校仲間だった浅野への淡い気持ちをひそかに抱えながら新生活を送るつぐみ。一方、矢口先生に積極的にアプローチするマリは、つぐみに「マリを応援してほしい」と矢口と仲良くしすぎないでくれ、と言う。先生と話すのは楽しいが、マリの笑顔を失うほうが怖い、と思い、と矢口と距離をとるつぐみ。大学で知り合ったおちゃらけ男子の甲斐も、なぜかつぐみに興味をもって関わってきて、いやおうなしにつぐみは「ひとり」ではなくなっていく…。
モチーフ的には、青春ものとしてオーソドックスと言ってもいいような内容だ。でも、読後感はさわやかで、新鮮。
その理由のひとつは、ひょうひょうとしてシンプルながらも的確な描線。
そして、もうひとつが、私にとってはマリの描かれ方だった。
マリは美術予備校で周囲から浮いていたつぐみにも積極的に話しかけ続ける人なつっこい女の子だが、制服姿でも派手なピアスを身につけたり、自分のことを「私」ではなく「マリ」と名前で呼ぶ、かなり「女の子っぽい女の子」でもある。こういう女の子は、ともすれば少女マンガなどではヒロインを陥れる敵役として描かれがちだ。実際、矢口先生をめぐってつぐみがライバルであることもマリは敏感に感じ取るし、かなりはっきり予防線もはる。だが、率直なマリは、つねに直球勝負で気持ちをこじれさせない。人に対して垣根がなく、自分に正直で恋には積極的だが気のいい女の子として描かれているのだ。美術予備校でマリがつぐみにそっけなくされ、マリの友人がつぐみを「なんか感じ悪いね」と言ったときも、マリは安易に同調せず「マリはそうは言ってないよ!」ときっぱり否定した。表面的にちゃらちゃらして見えても、こういうところがマリの性格の品があるところだ。そして、どこにでもいそうな女の子・マリのことをこんなふうに肯定的に描いているのも、本作の素敵な部分だと私は思う。
自分のことにはまるっきり鈍感なつぐみも、大学で知り合った周囲の人の恋心には気づいたりと、そんなところもほほえましい。そして、テンション高い系の男子・甲斐のさりげない優しさを感じ取ったりと、まわりのことも見えてくるようになるのだ。
デリカシーをもちながらもお互いを思い合い、世界を広げていく。そんな10代後半、20代前半の世界を、タイトルどおりちょっぴり辛く、そして甘く描いている作品なのだ。
全1巻。文化庁メディア芸術祭のマンガ部門新人賞受賞作でもある。青春譚、そしてちょっと気むずかしい女の子が出会いに恵まれ、ゆるやかに成長してゆくお話として、秋の夜長に手にとってみて欲しい、そんな一作なのだ。
(川原和子)