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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第85回 磯谷友紀『本屋の森のあかり』(講談社Kiss)

磯谷友紀『本屋の森のあかり』

(c)磯谷友紀/本屋の森のあかり 既刊10巻

 学生の頃、ほんの数ヶ月だが本屋でアルバイトしたことがある。誰もがお気づきと思うが、本や雑誌は紙でできているので、1冊は軽くても数冊になるととても重い。その重い本を運んだり並べたりするわけで、本屋の仕事は、「本」という扱う商品内容の知的イメージと裏腹に、かなりの肉体労働である。おまけに私はなまじ本が嫌いじゃないために、日々目にすることで「あっ、こんな本が出てたんだ……欲しい!」とつい買ってしまうことになり、気がつくと稼いだ分と同じくらいお金が出て行ってしまう。この時期、「自分の足を食べるタコ」というフレーズが何度も頭をかすめた。本屋で働いて稼いだお金が、またもや本屋に吸い込まれていくのは、お金のない学生にとっては自業自得とはいえ、悲しいことであった。

 そして本屋に勤めていたとき驚いたのが、社員の人の商品知識である。バイトは日々いろんな売り場で仕事をしたのだが、私は当時からマンガ好きだったので、コミック売り場でなら教わらなくてもタイトルや作者名をきけばなんとなく置き場所の予測がついた。でも一方で、興味が薄いジャンルや知らない作品には手も足も出ない。マンガ好きなつもりでも、いざ書店に入ると自分の知らない作品の多さに改めて愕然とした。だが社員さんはお客さんに何を尋ねられても、ものすごく早く正確に「こちらですね」と案内しているのだ。とにかく、その知識の量に驚嘆し、頭の中はいったいどうなっているんだ! と思った。しかも、休み時間に社員さんとお話ししてさらに驚いたのは、その人は特にマンガが好きなわけではなかった。好きでもないのにものすごく大量の(半端なマンガ好きでは及びもつかないくらいの)マンガのタイトルを覚えて置き場所を把握し、なめらかに接客しているのを目の当たりにして、プロとはすごいものだ、と心底思った。

 『本屋の森のあかり』は、大型書店で働く高野あかりが主人公。愛知の岡崎から東京の本店に転勤になり、知り合いもいなくて勝手もわからないあかりは、新しい職場で失敗続き。おまけに同期男子の緑くんはかっこよくて仕事はできるけど、口が悪くてあたりがキツい。でも、姉御肌の先輩や、ものすごい読書家(1日10冊以上読む!)の副店長の存在に励まされつつ、あかりはたくましくガンバっていく……というストーリーだ。

 この作品は「お仕事マンガ」であり「本マンガ」でもある。「本マンガ」の側面は、本屋が舞台だけあって、毎回のようにさまざまな本が内容とシンクロする形で引用される部分だ。あまりなじみのない名作も、登場人物の心情と重ねて語られることで「へぇ、そういう話なのか……」と感じる構成なのだ。

 「お仕事マンガ」として面白いのは、「いろんなタイプの人がいていい」と思わせてくれるところだ。主人公のあかりは、なにか特別な知識があるわけではないし失敗もするけれど、基本的に素直で真面目、向上心と意欲がある。つまりあかりは、少し本好きでわりと仕事熱心な「普通の人」なのだ。でも、失敗して落ち込んでも浮上も早いし、優秀だがキツい緑くんのイヤミには、言われっぱなしじゃなくてはっきり言い返したりもする。そして、長年努力してきたスペシャリストでさえ苦労しているのに、特別な知識がない自分に何ができる? と、とまどっても、店長から「ふつーの感覚だからできることもあるだろー」と言われ、スペシャリストじゃなくジェネラリストになればいい、と言われたりもする。
 そう、きっと本屋さんに来る大部分の人は、あまりマニアックじゃない「普通の人」なのだ。そういう人の視点を忘れてしまうととても偏ったお店になるだろうし、でも一部の特別な需要にも応えてこその大型店でもある。両方のバランスが大事なのだが、そのことをドラマとしてうまく描いてくれているのがこの作品なのだと思う。
 2巻に、すごく仕事ができるけど本を読まないバイトの男子が登場する。彼は、本は読まないけれど本屋が好きだと言う。彼のエピソードを読んで、自分のバイト時代に出会った、マンガ好きじゃないけど商品知識が素晴らしかった凄腕店員さんを思い出した。いろんな人に支えられて、本屋はまわっていくのだと思う。

 この作品では、あかりは副店長の寺山杜三(もりぞう)さんに恋をする。杜三さんは、ものすごい読書家で知識も深く心優しいけれど、どこか人と深く関わることを避けているようなところがある人だ。ゾウについて、本を読んですごい知識をもっているのに、本物のゾウを一度も見たことがない、と言ってあかりたちを驚かせるようなアンバランスで風変わりなところがある人物なのだ。
 そんな彼に、あかりは直球で告白し、見事玉砕する。……が、同じ職場にいれば、それでも日々が続いていくのが辛いところだ。そして、話が進むにつれて、商品知識が深く仕事に意欲的な杜三さんの「上司としての欠点」がお話の中で語られたりもする。現場担当として限られたことをこなす立場と、人を動かす立場になったときに必要な資質の違いなど、物語の中で登場人物の成長と絡めて語られるのも、「お仕事マンガ」としての説得力になっていて、読み応えがある。

 そして、「一見普通」なヒロインあかりの美質は、なんといっても素直で率直、でも「いい子すぎない」ところだなあ……と思う。思ったことを素直に口に出しすぎて「言い過ぎた」と反省することも多いけれど、でもときに言い過ぎることがあっても、彼女はとにかくいろんなことに自然に「かかわる」ことができる人なのだ。そんな彼女は、派手さはないけれど、クールな緑くんや、本の高い塔にこもっているような(飲み会でまで「ながら読書」してる!)杜三さんにも、少しずつ影響を与えていく。
 ときにちょっと言葉が強すぎたり言い過ぎたりすると、そのことで人同士のあいだにさざ波が起こるけれど、それでも作中では、お互いに落ち着きどころを探しながら、ものごとが少しずつ前に進んでいく。
 人間関係は、言葉を選んでもめごとが起こらないように進めることが最上のように思ってしまいがちだけど、仕事となるとそうもいかない。でも、それも悪い事じゃないかもなあ……と思わせてくれる。ものすごくドラマチックな展開ではないけれど、ていねいに人と人の間のドラマを紡いでいく作品なのだ。

 そして、もどかしいくらい不器用な、大人同士の恋の行方もまた本作の楽しみのひとつである。本作の登場人物はけっこう皆年齢層が高くて20代半ばから30代なのだが、それにしてはあまりに恋の進み方がゆっくりでは……とファンゆえにじれったくもある。でも、それでもひきこまれて読んでしまう理由のひとつは、キレイなことだけじゃなく、ダークサイドも含めて人間を描こうとしているのでは? という作者の「気骨」を感じるせいだ。たとえばあかりは、寒いとハナをたらすし、緊張すると大事な場面でしゃっくりが出たり、と肝心なときに妙に生々しくカッコ悪く描かれるのだ。これは、ロマンチックであることを重んじる傾向が強い女性向けマンガのヒロインとしてはかなり珍しいことだ。嫌みのない絵柄で題材も「本」と、一見さらっとも読める作品だけど、作者はさりげなく従来のアプローチとまたちょっと違う形で人間をまるごと描こうと挑戦している気がして、この先も楽しみなのだ。

 尚、この連載をさせて頂いているNTT出版のWebサイトには、宇田智子さんの「本と本屋と」https://www.nttpub.co.jp/webnttpub/contents/bookstore/index.htmlという連載がある(現在は終了)。
 宇田さんが大型書店のジュンク堂に勤務されていたときの体験をもとにしたエッセイだ。本屋に勤めて日々たくさんの本を「さわって」いる人ならではの視点からの話がたくさんあって「なるほど」と目からうろこがたくさん落ちた。第4回の「くずれる本」を読んで、「そうか、本の表紙が積んだときくずれやすい材質かどうか、とか、考えたこともなかった……」と気がついた。『本屋の森のあかり』に、「本はただの紙の塊ではないんです」という杜三さんの言葉が出てきて、本当にそうだ、と感じたけれど、同時に本は「もの」でもあるんだよなぁ、と改めて感じるエッセイだ。
 宇田さんは現在ジュンク堂を退職され、2011年11月に、那覇に「市場の古本屋 ウララ」を開店されたそうだ。本ウェブマガジンでの新しい連載「本屋になる」も始まった。https://www.nttpub.co.jp/webnttpub/contents/book/index.html
 『本屋の森のあかり』の主人公・あかりも、大型書店勤めから、違うステージを模索している。
 ふだん本を買うことはあっても、舞台裏をかいま見ることがあまりない本屋さん。そんな本屋さんを舞台にした作品やエッセイは、見慣れていたつもりの本屋さんを新鮮な目で見直させてくれるのだ。


(川原和子)  

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