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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第75回 竹内佐千子『おっかけ!』(ブックマン社)

竹内佐千子『おっかけ!』(ブックマン社)

(c)竹内佐千子/ブックマン社

 音楽、ドラマ、演劇、スポーツなどさまざまなジャンルの作品や舞台を見るのが好きな人は世の中にはたくさんいる。
 さらに、テレビで見るだけでは物足りなくなり、お金を払って直接会場に足を運ぶ熱心な「ファン」になる人もいる。だが、普通のファンが、「自分の都合がつく範囲で、予定があうとき」に会場に足を運ぶ人たちだとすると、逆に好きな対象の舞台や試合の方に、自分の都合をどうにかあわせてかけつけるほどの情熱をもったファンもいる。対象のステージを全て見る勢いで、時にはなんと全国を旅して追いかけてしまう。そんな熱い思いを持った人たち。それが「おっかけ」である。……らしい。

 らしい、と距離のある言い方をしてしまうのは、私自身にはその情熱、正直言って、わかるようでわからない長年の謎だからだ。それでいて気になって仕方ないのだが、それは、なにかにハマって「おっかけ」ている人たちはたいてい、とにかくもの凄〜〜く楽しそうだからだ。目がキラキラしている彼女たちの心理はいまひとつ理解しきれないけれど、あまりに楽しそうなので、「あの楽しそうな渦の中に入りたい」「私も仲間に入れてもらいたい」と思うのだが、いざ縁があって自分もコンサートや舞台へ行ってみると、いまひとつテンションがあがりきれず、結局足が遠のきがちになってしまう……。そんなことを何度か繰り返し、ノリきれない自分がひどくつまらない人間のような気がしてきてしまうのだった。
 そんな私にとっては、「その人の舞台やステージは全部見たい!」という情熱に突き動かされた女子たちの生態を描いた本書『おっかけ!』は、とても興味深いものだった。

 本書の著者は、10代からのおっかけ体験をもつ「おっかけ」のベテラン。ハマる対象が変わっても、身につけたおっかけスキルを活かして、移動手段を確認し、チケットをおさえ……とてきぱきと手配をこなしていくさまにはほれぼれしてしまう。著者のおっかけ歴は、バンギャ(ビジュアル系バンドのファンの女の子)に始まり、アイドル等を経ていまはミュージカル、という流れのようだが、その時々のおっかけ苦労話もとても面白い。
 私の印象に残ったのは、同じくバンギャだった本書の担当編集者さんの高校時代のお話。少ない予算と時間のなかでどう効率よくおっかけるか? と、授業中、時刻表(ネットもない時代……)をにらんで真剣に検討していたら、怒りを通り越してあきれる担任の先生から「お前は西村京太郎か」「十津川警部が犯人さがしてんのか」とつっこまれた、というエピソードだ。……たしかに、その真剣さは時刻表トリックを駆使するミステリー作家や、作中の警部の情熱に勝るとも劣らないのかも、といたく感銘をうけてしまった。

 その他にも韓流、宝塚、俳優にアイドル、文楽にフィギュアスケートとさまざまな「おっかけ」が登場する本書だが、一番度肝をぬかれたのは、著者の先輩であるマンガ家のえすとえむさんの「闘牛おっかけ」である。「去年は3ヶ月スペイン滞在して毎日闘牛みてた」と言う、えすとえむさん。おかしいのは「でも私毎回行ってるわけじゃないし……おっかけではないよ〜」と謙遜されているところ(だが、著者に言わせるとまさに、これこそがおっかけの特徴「私なんてまだまだ」!! 現象……なのだそうだ)。
 闘牛では、闘牛士が赤い布でどれだけうまく牛をあしらえるかを見るそうだが、なんとスペインには週刊「牛」と週刊「闘牛士」的な専門雑誌まであるそうなのだ。毎回必ず牛が死んでしまう闘牛には、同じものは絶対にない。だからこそ、「それが悲劇でも奇跡でも とにかく自分が『目撃者になりたい』からおっかけるんだと思う」(p.95)とえすとえむ氏は語っておられ、これはすべてのおっかけに言えそう、と著者も言う。

 目撃者になりたい、という欲望。
 うーん。まさに私に欠けているのは、このガッツあふれる愛情かもしれない、とここを読んで思った。私も何かにハマることはあるけれど、その対象はマンガやアニメのことが多く、そもそも二次元なので現実に「おっかけ」ようがない。そして、「生」のものに対して「目撃者になりたい」という情熱が、自分には希薄なんだなあ、と改めて気づいた。著者があとがきに記されているような「その人のことを全部知りたい。その人のやることについていきたい。応援したい、愛でたい、なんでもしたい!」という気持ちは、わかるようでやっぱり究極にはわからない……というか、そこまでのエネルギーがたぶん、私にはないのだ。おっかけ心理が、対象の「いいところも悪いところも、とにかく全部見たい、見逃したくない」という気持ちだとすると、私のは「いいとこだけ、ちょっとだけでいいや……」という腰の入ってないちょっぴりの愛なのだろう。

 おっかけの熱い愛は、多大な時間やお金、労力とひきかえに成立していて圧倒されるけれど、本書を読む限り、本人たちにとっては恋より甘い、ひたすら幸せを与えてくれる行為のようだ。
 そして、大変でも後悔はない! と主張する著者にツッコむ友人の言葉が、またすごい。

 「でもそれを武勇伝として語ってる姿はマジでキモいからね?」
 「卑下してるくせにすっげーどや顔なんだよ」

 ……暴走する愛の喜びに身を浸しながらも、同時にこういうツッコミを描けてしまうのが、著者のすごいところだ。
「卑下してるくせに、どや顔(どうだ、という顔)」と指摘されている状態の心理。
それは、
「チケット代、新幹線代、ホテル代……すごーくかかったけど、でも幸せ」
「ふふ、どう? ここまで堕ちられるかしら?」
的な、いわば背徳の喜びではないだろうか。

 墜ちてみたい……でもちょっぴり怖い……と遠巻きにしているチキンな私は、本書を読んでその喜びを想像して遠い目になるのが精一杯だ。でもでも、一生のうちに一度くらいは何かの拍子にスイッチが入って「おっかけ」てみたいかも……などと密かに思ってみたりと、中途半端にあきらめが悪い私なのである。



(川原和子)  

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