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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第57回 小花美穂 『Honey Bitter』 集英社

小花美穂『Honey Bitter』

(C)小花美穂/集英社

 私はどうも、人の内面に対する興味が強いような気がする。その人が何を好きか、どんなことに興味があるのか、といったことを知ると「ほぉ」となぜか感心しつつ、自分でもよくわからない満足感を得てしまう。その人の心の形にふれたような気がするせいかもしれない。
 だが反対に、人の外側の属性、つまり名前や顔、姿形を覚えるのはかな〜〜り苦手な方だ。記憶力に問題があって忘れっぽい、ということもあるが、たぶん人の内側ばかりに気をとられすぎでもあるのだろう。その結果、たとえば初対面の方などに、ものすごくいろんなことを根掘り葉掘り尋ねておきながら、そのあとであっさりと(!!)相手の顔や名前を忘れてしまう……ということがかなりの確率でおこることになるのだ。
なんという失礼な人間なのかと我ながらあきれかえる。同じことを自分がされたら、かなり傷つくと思うし、社会生活を送っていく上では、こういういびつな関心の持ち方は大変、問題があるなぁと感じ、改善したいのだが、なかなか直らない。
 そんなやっかいな癖をもっている私にとって、不思議な親近感を感じさせてくれたのが、本作のヒロイン、音川珠里(シュリ)だ。

 珠里は、他人の心が読めるという特殊能力をもっている。その能力を生かして叔母の調査室(もぐりの探偵事務所)で働きはじめるが、そこで出会った同僚は、かつての恋人で、自分を深く傷つけた男・虹原吏己(りき)だった……。
 調査室に持ち込まれる事件を解決するためにはとてつもなく役に立つ、珠里の人の心を読む能力。だがその力のせいで、親にはうとまれ、知りたくもない人の本音を知って苦しんできた珠里にとっては、けっして嬉しい能力とは言えない。しかし、そんな珠里に一目惚れした大学生・久保陽太が登場し、名前の通り明るく、心を読める自分の存在をあっさり受け入れる邪気のない陽太の優しさに、珠里は徐々に惹かれるようになっていく。

 普段は人の心を読まないように意識を「閉じて」いる珠里だが、仕事で群衆の意識を読んだりすると、たくさんの意識が流れ込んできて酔ったような状態になってしまう。その描写には、人の心を読めるわけではない私だが、「ん?なんかコレに似たことってあるなぁ」と感じた。そしてよーく考えてみると、最近はじめたばかりのツイッターを見ているときの感覚に似ていると気がついた。ツイッターでは、各ユーザーが140文字以内で「つぶやき」を投稿し、それが時系列の順番でパソコンや携帯の画面に表示されていくのだが、表示されるのは「この人の投稿を読みたいな」とフォローした相手のつぶやきなのに、長時間見ていると、なんだかたくさんの人の内面が、画面を通じて自分のところにダイレクトにおしよせてくるみたいで、酔ったような感覚におそわれることがあるのだ。

 まあ、これは情報処理能力が低くネットに対する接し方や距離感がうまくつかめていない、電脳音痴の私だけの現象かもしれない。
 しかし、ネットが登場する前には、こんな風に個人のもとに、複数の人の考えが直接届くようなメディアは存在していなかった。ネットには利点もたくさんあるし、そこにアップされる情報は公開を前提としているから、人の隠したい気持ちまで読めてしまう珠里とまったく同じではないにせよ、「複数の(ときには処理しきれないほどの)人の内面が、流れ込んでくる」ような感覚を、現代は皆がネットを通して体験できてしまう状況にある、と言えるのかもしれない。

 そして、私が珠里に「あ、そういうことってあるある」と共感したのは、5巻で珠里が、つきあいはじめた陽太のことをふと「陽太ってこんなカッコいい顔してたっけ…?」「私って普段はちゃんと目で人を見てないからな…」と改めて感じるシーンだ。私も人の内側を知りたい気持ちに集中するあまり、外側をかなりおおざっぱにしか把握していない傾向がある。人を見た目だけで判断しない、と言うとちょっと聞こえがいいが、やっぱり外と内を両方見てこそ、本当に人を見てることになるんだよな、と、「ちゃんと目で人を見てない」自分を大反省している今日この頃なのである。

 本作ではさまざまな事件が起きるが、解決してスカッとする、というよりは、ちょっと苦いものが残る場合が多い。
 作者の小花美穂は、少女誌『りぼん』で長く活躍し、現在は年齢層が上の女性向け漫画誌に活躍の場を移している。かわいい絵柄だが、人の心の暗い部分まで踏み込んだストーリーを描く作家だ。
 アニメ化もされ大ヒットした『こどものおもちゃ』では、元気で明るい小学生・紗南(サナ)の芸能界と学校での生活が描かれたが、一見華やかで楽しそうな舞台設定にも関わらず、学級崩壊や機能不全の家庭で育った子どもの問題など、扱われたテーマは一筋縄ではいかないものばかりだ。紗南の出生の秘密もさらりと描かれはするが、かなり重い内容だ。対象年齢が高くない『りぼん』に発表する作品であっても、人の心の暗い部分を直視する内容が多いのだ。
 その作者の姿勢には、「人の心には明るい部分と暗い部分がある(のが当たり前)」という人間観と、しかしあやういところまで踏み込みながらも、絶対に光の方へ戻ってきてかつサバイブするのだ、その方法はあるはず、という意志を感じる。かわいい絵柄で軽妙なギャグを交えつつ展開する小花ワールド。その根底には「この世界には、人の意志だけではどうにも制御できないものがあるのだ」という厳しい部分をも見据えながら、それでもなお、周囲の人たちとのふれあいのなかで、何かが変わっていくはず、という人間観がある気がする。厳しい試練を経て苦しんだとしても、人と接することをあきらめず前に進もうとすれば、なにか甘く、あたたかいものに到達することはできる、という思い。そしてもちろんそのとき、人は無傷ではいられず、そのあとには、どうしようもない苦さが残る、ということまで作者は描く。本作のタイトル、『ハニービター』はまさに、甘くて苦い作者の作風を象徴しているように思う。
 けんしょう炎で連載が中断しがち、ということで単行本が出るペースがややゆっくりなのだが、『こどものおもちゃ』ファンだった人にも、初めて小花作品にふれる人にも、かわいい絵柄からは予想外かもしれないが「ちょっとだけ苦い」作品であることを言い添えて、薦めたい。(川原和子)

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