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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第54回 『ヌイグルメン!』 唐沢なをき (講談社 既刊3巻)

ヌイグルメン! 唐沢なをき 表紙

(C)唐沢なをき/講談社 既刊3巻

 『ヌイグルメン!』は、特撮ヒーロー番組の舞台裏を描いたコメディである。
 「ぬいぐるみ」とは、ヒーローや怪人の衣装のこと。全身を覆ってしまうため、こう呼ばれる。「着ぐるみ」という呼び名のほうが一般的だが、「ヌイグルミ」と呼ぶのがこだわりだと、作中でも説明されている。番組ヒーローである「きなこマン」に扮するスーツアクターの青年、名神イリヒト(なかみ・いりひと)が主人公である。

 ヒーロー番組といっても、零細プロダクションが極端な低予算でむりやり製作している深夜番組である。必然的に、描かれる舞台裏は貧乏くさく、いつも綱渡りで、なんとか急場をしのぐB級感覚にあふれている。また、特撮など昭和のオタクカルチャーに造詣が深い作者ならではのコネタが散りばめられているのも特徴のひとつだろう。そしてなにより、手作りでものを作っている小さな集団の様子がなんとも好ましい。「みんなでものを作っている現場」の雰囲気がいいなあ、と思ってしまうのだ。どこか抜けた登場人物たちの、どうにも間の抜けたエピソードに笑いながら、ではあるけれど。

 主人公のイリヒトは、到底ハタチ前とは思えないような、自我とか内面とかなさそうにみえる幼児的なやつだし、彼の相棒できなこマンに変身する「きな五郎」の役を演じる赤瀬川ヒロは、役者志望の癖にひどく大根で、小心な男だったりする。またこのヒロは、同級生のイリに対して秘めた恋心(もちろん、ゲイ的なそれだ)を持っていて、彼を役者の道に誘っている。一方、とくに目的があったわけではないイリは、 行きがかり上きなこマンスーツを着用し、やはりひそかに持っていたボンデージ趣味から、スーツアクターの仕事にハマっていく。何にせよ、フェティッシュが根底にある。

 ほかの登場人物たちも、ユニークというか、いちいち癖がある。
 そもそも「きなこマン」という番組の企画自体が、プロダクションの社長の、何とか一作だけでも特撮ヒーロー番組を作りたいという、オタク的な悲願の産物だし、テレビ局のプロデューサーも、怪獣「麩饅獣(ふまんじゅう)」の中に入る往年のスーツアクターの熱いファンであるがゆえに、この企画を通している。加えて悪のヒロイン役のグラビアアイドルも、事務所の倒産によってAV出演を強要されようとしている。このへん、深夜帯のB級ドラマ、という設定を面白く誇張しているというわけだ。

 とまあ、大枠の設定をつらつら書き並べたところで、ちっとも面白さは伝わらない。
 「きなこマン」だの「きな五郎」だの「麩饅獣」だのといった、いかにもおふざけめいたネーミングからうかがえるように、お話の基本的な骨格は、ギャグである。キャラたちのリアクションが、いちいちおかしく、笑える。
 ギャグマンガであるからには、日常的にとらえられている現実に、違った方向から光を当てて、おかしみを出すような、一歩引いた視線がある。「きなこマン」のネーミングもそうだし、登場人物にとっては、相当シリアスな出来事が起こっているのだが、それもわははと笑って読んでしまうような演出がされている。またそのため、全体のトーンは明るく、カラッとしている。

 もとより、作者・唐沢なをきはギャグマンガ家である。丸っこく、かわいい絵柄で、ブラックなネタや、身もフタもないシモネタをやる作風で知られてきた。しかも、日本では数少ない、〈純粋な〉ギャグマンガを志向してきた作家だ。
 〈純粋な〉というのは、登場人物たちへの感情移入に頼らず読者を笑わせるというほどの意味だ。さらに、90年代には『怪奇!版画男』をはじめ、マンガをマンガたらしめている表現の約束事そのものをいじるような、たいへん批評性の高い仕事もしてきた。たとえば、『版画男』であれば、「マンガをわざわざ手間のかかる木版画で仕上げていること」と、「そんなアーティスティックな手法で、ひどく馬鹿馬鹿しいネタをやる」ことがギャグになっていた。

 一方、この『ヌイグルメン!』は、登場人物たちにじゅうぶん感情移入のできる、良質なシチュエーション・コメディとなっている。唐沢なをきのキャリアにあって、おそらくはじめてのことだろう。
 天真爛漫ではあるが、どう考えても社会不適合者であるイリをいつも心配するヒロの姿や、彼らをしょっちゅう叱り飛ばしながら、自分なりの仕事を全うしようとする女性殺陣師・姉子マキたちのやりとりを見ていると、なにやら「青春」の匂いが感じられるのだ。
 作者独自の絵柄も、それこそぬいぐるみのように、ころころとかわいいものに感じられる。いままで発揮してこなかった魅力が、あらためて前に出てきたようだ。イリもヒロも、マキも、中に爺さんが入っている麩饅獣も、いろいろ問題のある社長も、みんなかわいい。
 などと語りだすのは、ひどく照れくさい。

 かわいいものをかわいいとストレートに言うのは、実に照れくさいものだと知ってはいたが、まさか唐沢なをきのマンガで、こんなに照れくさい思いをするとは考えていなかった。だが、本作に感じる「かわいさ」は、たぶん現在進行形の「青春」を「かわいい」と思う心理と重なっている。これは中年になってはじめて得た感覚だ。

 いま、自分が現在進行形の二十歳だったとしたら、きっと別の感想を抱いていたに違いない。「ものを作る」現場を愉快に描いた面に反応して、たぶんこの作品を好きになっていたとは思う。だが、自分と同じ目線の高さにいる登場人物たちを「かわいい」とは思えなかっただろう。
 『ヌイグルメン!』には、女性ファンが多いと聞く。そこにも、やはりイリたちを「かわいい」存在ととらえる視線があるに違いない。それも納得できるな、と思うのである。(伊藤剛)

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