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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第19回 『赤髪の白雪姫』 あきづき空太 (白泉社)

赤髪の白雪姫 表紙

(C) あきづき空太/白泉社

 「少女時代に白泉社の少女マンガを読み始めた人は、マンガを <卒業> しない。おとなになっても、ずっとマンガを読み続ける」。
 ・・・以前、ある方から「川原さんと同世代のマンガ好き女性が、こんなことを言ってたんですよ」と聞き、思わず「なるほど!」とうなづいてしまった。たしかに、白泉社の少女マンガには独特のカラーがあり、そこに一度「ハマった」人は一生マンガを読み続ける、という説には、周囲を見回しても自分自身を振り返っても、一定の説得力があるのだった。

 マンガをあまり読まれない方には、「白泉社」、と言ってもピンとこないかもしれない。白泉社とは、少女マンガ誌の『花とゆめ』や『LaLa』(そして青年誌の『ヤングアニマル』)などを出している出版社のことだ。

 小学生の頃は『りぼん』(集英社)『なかよし』(講談社)『ちゃお』(小学館)を熱心に愛読したが、小学校を卒業すると共にそれらの雑誌も「卒業」して、中学に進学。さて、次になにを読もうかな・・・と私が思っていた頃。ときは80年代のはじめである。
 ボーイ・ミーツ・ガールな「男の子と女の子がくっついてめでたしめでたし」的な少女マンガをたくさん読んできたけれど、そろそろ「そうじゃない少女マンガ」で、でも「人と人との関わりを描いたお話」を読みたい、というぼんやりとした、でも切実な欲求に応えてくれたのが、当時『花とゆめ』や『LaLa』に掲載されていたような作品群だったのだと思う。つまり、たとえば『エイリアン通り(ストリート)』(成田美名子)とか『はみだしっ子』(三原順)とか『アクマくんシリーズ』(日渡早紀)とか『マルチェロ物語(ストーリア)』(樹なつみ)とか、そういった作品群である。
 舞台は外国だったり、時代物だったり、あるいはファンタジーだったりする。主人公は(「少女」マンガであるにも関わらず)少年のことも多く、ひとことで言うと「虚構性が高かった」「物語の自由度が高かった」(ある意味で、「マンガらしいマンガだった」)ということかもしれない(その「虚構性の高さ」故に、あるいは「マンガ好き御用達イメージ」も強かったかもしれない)。だけど、そこにはなにか共通の「大切にされていること」があったように感じていた。

 私がとても親密な気持ちで白泉社系の少女マンガを読んでいたのは十代の頃だが、いまでも、ちょっと距離をもちつつ、ときにとぎれつつもしつこく読み続けている。そしてときどき、私が「白泉社系少女マンガが大切にしている、と感じていたエッセンス」をいまのマンガにも発見して、「ああ、白泉社系少女マンガの遺伝子は生きてるなあ」と嬉しい気持ちになったりする。最近では、『赤髪の白雪姫』が、そんな気持ちにさせてくれた一作だ。

 『赤髪の白雪姫』は、生まれつき林檎のように赤い髪をもつ白雪という女の子が主人公。
そのめずらしい髪を、好色で有名なラジ王子に気に入られた白雪は王子からぜひ愛妾にと望まれるが、自分の人生を勝手に決められたくない、と家出。隣国の森でゼンという少年に出会う・・・。
 あきづき空太の描線は細く、ヒロインの白雪は、愛妾に、と望まれるのがなんだか不自然に感じるくらいに少女っぽく描かれている。というか、むしろ少年のようですらある。あまり生々しさがない、性差が強調されない絵柄なのだ(ヒロインが少年っぽさ(中性っぽさ)をもっていたり、中性的な少年が主人公であることが多いのも、多くの白泉社の少女マンガの特徴だと思う)。
 タイトルに「白雪姫」とあるが、実はヒロインの白雪は「姫」ではなく、ただの街娘だ。だが、世にも珍しい「赤い髪」という「しるし」をもっていることで、白雪には望まぬ運命がふりかかってくる。森で出会った少年ゼンは、そんな白雪の赤い髪について「今は厄介なだけでも 案外いいものにつながってるかもしれないぞ」と言う。赤い髪という「特別」な運命の厄介さを認めながらも、珍しがるでもなく、違う角度から考えればよいこともあるかも、と言うゼン。白雪はゼンから、自分とは違う視点をもたらされ存在を肯定されることでおそらく、フッと楽になる感覚を味わったことだろう。
 ゼンの正体が明らかになっても、白雪の態度はかわらず、ゼンも対等に白雪と接する。白雪は、ゼンの特権に頼ることなく、自分のできることできちんと自立し、ゼンを「助けたい」と考えるし、ゼンもそれをわかっていて、つねに白雪の意志を尊重する。

 ふたりの間にはたしかに強い絆があるのだけれど、周囲の理解者である木々やミツヒデ、そして本人である白雪とゼンも、その関係に「友人」以外の名前を急いで付けるようなことはしない。
 とりかえのきかない相手を大事に思う気持ちや、それにもとづく行動。「友情」と呼んですませるにはちょっと濃い気もするけれど、それをたとえば「恋」と名づけてしまうことで損なわれる(というよりは、ある「枠」に入ってしまわざるをえない)なにかも、たしかにある。
 本作は「名前のまだハッキリしない、名付けがたい特別な関係」を、大切に、繊細に描いているお話なのだ。そしてその、ひとことでは言えない、名付けられない微妙で繊細で、でも強い絆や関係そのものを描くことを大事にしてきた、ということがおそらく、白泉社系の少女マンガに共通する特徴の一つなのだと思う。
 私たちの生きるこの現実世界では、必ずしもそうではないけれど、だからこそ、そんな関係を描くために「現実とは違う世界」がしばしば用意されるのだ。それはやはり、年齢を超えてときどき味わいたくなる感覚で、だから「白泉社の少女マンガ」を読んだ少なくない数の女子は、おとなになってもマンガを読み続けるのかもしれない。つかのま、この感覚を味わうために。そしてそんな虚構世界へのひとときの旅が心をやわらかくしてくれることが、現実を生きる上でちょっと楽になる力をくれる、とも感じるのだった。

 連載中の『LaLaDX(ララデラックス)』では、本人や周囲の理解者の意志とは裏腹に、ゼンが特別な地位にあることで起こってくる不穏な出来事が描かれ始めている。さまざまな考えの人がいて、必ずしも自分たちの思惑通りに進むわけではない困難に対して、白雪やゼンはどう行動していくのか?その周囲の「悪意」を、軋轢を、どこまで描くのか?これが初コミックスという新人・あきづき空太がつむぐ物語の行方と深まりを、楽しみに見守りたいと思う。(川原和子)

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