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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第9回 『天使のうた』 西田東 (新書館)

天使のうた 表紙

(C) 西田東/新書館

 現在、「やおい」とか「ボーイズラブ」と呼ばれるマンガや小説などのジャンルがある。内容は、男性同士の恋愛を描いたもので、描き手も読み手も、女性が中心だ。……と、こう書いてきて、このジャンルをまったく知らない方の頭の中は「?」でいっぱいになったのではないだろうか、と不安である。
 以前、「少女マンガ、ほとんど読んだことないんですよねー」という20代らしき男性の編集者の方に、取材の席で「やおい」「ボーイズラブ」といった単語について「それ、何ですか?」と尋ねられことがあるのだが、「主に女性が描いて主に女性が楽しむ、男性同士の恋愛のお話です」と説明したところ、「……え?え?」「ちょっと待ってください。え、えーと、じょ、女性が描く、だんせいどうしのれんあい……?」と、あきらかに大混乱している様子が伝わってきた。そんなわけで、ご存じない方には頭を切り換えていただき、とりあえず、「そういう分野もあるのだな」と思っていただければ幸いである。
 男性同士の愛を扱った少女マンガの作品の流れとしては、1976年に連載開始した竹宮惠子『風と木の詩』がエポック・メイキングな作品として知られているが、その後、よりライトなものも増えてゆき、90年代には「ボーイズラブ」という言葉が誕生、今では専門誌がたくさん存在する人気ぶりである。

 ……と滔々と語ってきたのだが、今回紹介する西田東は、このジャンルではあまり主流とはいえない作家だ。いまふうの美麗な絵柄で、美しい男同士のストーリーが描かれることが多いBL(ボーイズラブ)ジャンル(こちらはこちらで楽しいが)のなかでは、投稿するまではペンを使ってマンガを描いたことがなかった、という作者のそっけないといってもいい描線は異色といえる。
 そして登場人物たちも、多くの場合、あまりにも「フツー」な男たちなのだ。フツーの男。つまり、会社の中では出世を気にしたり、いい加減なところもあるけどときに頑張ってみたり、けっして恋愛のことばかり考えてる訳じゃない、社会や学校でやっていくためにちょっと心を鎧っている、そんな男たち。恋愛はそんな彼らの、自分を制御できない「非常事態」であり、西田東はときにシリアスに、ときにちょっとマヌケに「非常事態」をみごとに描く作家なのだ。
 連載中の『天使のうた』の登場人物たちは、ややこれまでの西田路線の「フツー」な男達とは、趣を異にする。正義漢の医師・ミシェルと美貌の音楽家・クリス、そしてクリスの「息子」・アレックスが織りなす物語だ。著名で尊大な音楽家であるクリスは、実直なミシェルからすれば激しい反発を感じる人物だ。美しい父・クリスに近しい気持ちを抱きながらも真意をはかりかねてか逸脱した行動を続けるアレックス。そしてミシェル(ミシェル、という華麗な愛称に反して、見た目はどちらかというとむさ苦しいおっさんである)は、表面上は淡々と医師の仕事をしつつ、最愛の妻子を事故で亡くした喪失感に苦しみ続けている。ミシェルはアレックスへの態度をめぐり、クリスと激しく衝突するが、傲慢な態度とうらはらに、音楽に対しては真摯で子どものように純粋な情熱と愛情をもっているクリスに、反発しつつ惹かれてゆく。『天使のうた』の、クリスとミシェルはそれぞれ30代、40がらみ、という年代で、「ボーイズラブ」の看板(?)に反して全然ボーイではない。が、その年齢だからこそ、それぞれに簡単には覆せない生き方の流儀があり、生きてきた中で受けた癒しがたい傷があることが、作中で描かれる。まったく違うルールで生きてきた男たちがたどりつくのはどんな結末なのか。また、アレックスという「こども」は、どういう救いを見つけられるのか(あるいは、見つけられないのか)。
 西田東は、「ボーイズラブ」の「ラブ」って何?と(おそらく無意識に)問い続け、その答えを深めつつあるように思える。それは、正しいことばかりはできない不完全な人間同士の起こす、小さな奇跡なのかもしれない。ちょっとクセはあるが、手に取る価値ありの一作である。(川原和子)

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