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本と本屋と

第20回 本屋で食べる

 


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電子かたりべ
 昨年は新しい店の開店準備で暮れた。毎日、朝に来て夜帰るまで、ほとんど話もせず、棚に本を並べつづける。
 店員同士で話さないのは仲が悪いからではなく、居場所が離れているため。仕上げの時期には棚一面をひとりでつくるので、視界には誰もいない。そして、お客さんがいないためだ。慣れるまでは変な感じがする。誰も話しかけてこない。誰も見ていない。
 誰にも見られていないから、少しだけ自由になる。店のエプロンを着ずに好きな恰好ができる(といってもジーパンやらジャージやらで、普段よりひどい)。仕事中にお菓子が食べられる。
 会社が出てくる漫画やドラマでは、OLが仕事をしながらクッキーやおせんべいをつまんでいる。うらやましい。私たちも休憩室ではペットボトルのお茶を飲んだり、誰かのおみやげのおまんじゅうを食べたりするけれど、売場では決してできない。ところが、店が閉まっていればのど飴をなめながら作業ができる(手を使えないので、クッキーやおせんべいはやっぱり無理だ)。初めて開店準備に行ったとき、棚の前で、
「どうぞ」
とチョコレートを渡されたときは本当にびっくりした。普段ありえない場所で、食べものを目にしたことに。
 無言の作業でくたびれるし乾燥しているから、やたらに糖分と水分を摂取する。昼と夜はその土地の名物を食べる。おかげで出張のたびに体が重くなる。

 <本とコーヒー>の組み合わせが、少し前にずいぶん注目された。『東京古本とコーヒー巡り』(交通新聞社)、『東京ブックストア&ブックカフェ案内 』(同)、『ブックカフェものがたり』(幻戯書房)といった本が次々に出版された。カフェの片隅に本棚を見かけることも増えた。
 もちろんもっと昔から、本と喫茶店は静かに結ばれてきた。神保町の素敵な喫茶店たちがそれを証明している。喉の渇きをいやすというより、買ったばかりの本をゆっくり眺めるのに都合がいいからだろう。本屋のなかの喫茶室も、著者と読者のトークセッションを催して注目を集めるようになった。棚が立ち並ぶ本屋には、息を抜ける場所、人の集まれる場所が必要なのだと思う。
 「買ったばかり」だけでなく「買うまえ」の本も見たいという要望はとうぜん強く、喫茶室のあるフロアで働いている私はしょっちゅう、
「この本を持ち込んで読めますか?」
と聞かれる。私のいる店ではだめだが、許している店もあるらしい。案外、それほど問題は起こらないのかもしれない。本にコーヒーをこぼすことなんて、そうそうないだろう(といいつつ、自分の文庫本に麦茶をしたたるほどこぼして同じ本を買い直したことがある)。ただ、飲食する場所に本を持ち込むことへの抵抗はあるかもしれない。図書館で借りた本からポテトチップスのかけらが出てきたトラウマだとか。
 一方で、
「何か食べるものは置いてある?」
と、本より食事の人もいる。あいにく小さな焼き菓子しかないので期待には応えられない。閉店してしまった池袋の芳林堂の喫茶店「栞」にはサンドイッチのセットがあり、ポテトサラダもついてボリューム満点、本を買えば100円引きだった。コーヒーもあればカレーもあり、気ままに過ごせる昔ながらの喫茶店の感じが、本屋には合うのかもしれない。何しろいろんな人が来る場所だから。

 虫を食べる。本とコーヒーの組み合わせには遠く及ばないにしても、これもじわじわとはやりつつある。『楽しい昆虫料理』(ビジネス社)、『世界昆虫食大全』(八坂書房)、『虫食む人々の暮らし』(NHK出版)と、どんどん本が出て、あちこちでイベントも開かれている。私の働く店でも何度か催され、盛況だったようだ。
 先週は『昆虫食先進国ニッポン』(亜紀書房)の出版記念として、野中健一さんのトークセッションがあった。喫茶室の方からなにやら香ばしいにおいが漂ってくる。イベント担当の同僚が、
「スズメバチを食べたら胃にもたれた、滋養がありすぎるのかも」
と沈痛な面持ちで出てくる。私もにおいだけで胸がいっぱいになってきた。虫を焼いたにおいがする本屋なんて許されるのだろうか、とひやひやしたが、クレームは来なかったようだ。
 他にも、ミリメシの缶詰やら砂利そっくりのチョコレートやら、本屋にやってくるのは変な食べ物ばかりだ。変な本ばかり売っているせいだろうか。
 本屋と食のかかわりは、まだまだ可能性に満ちている。

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