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本と本屋と

第13回 本屋を見おろす

 


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電子かたりべ
 本屋で働きはじめたばかりで、1日じゅう棚に挟まれて息が詰まっていたころ、高い棚から本をとるために踏み台にのぼって何となく振り向いた。
「おお」
すべてが見えた。びっしりと重なりあう棚。真下に教育、その向こうに心理、哲学。はるか向こうの壁の棚に入った哲学の全集が目の高さにある。ふだん教育から哲学に歩いていくにはそれなりの労力を要するのだけれど、簡単にすっとばせた。なんと爽快な眺め。王が領地を見おろしたら、こんな気分になるのだろう。ここにある本はみんなわたしのものだ。

 本屋は棚の行列でできている。視界が遮られるから簡単にひとりになれるし、かくれんぼもできる。待ち合わせをして見つけられないことも、悪口を言っていたら裏側に本人がいることもある。
 ウェブ上に仮想本棚をつくるサービスがいくつかあるけれど、あくまで平面で、棚の重なりあいは再現できない。といっても家の本棚はふつう1面しかない。棚が向かいあったり裏にもあったりするのは本屋と図書館と、限られた人の書斎だけである。本が多すぎるために2次元には収まらず、3次元になるわけだ。

 高校の数学のベクトルが苦手だった。大きさと向きを表す矢印が、紙の上と頭の中でぐるぐる回った。同じように、図面から棚の構成を決めるには想像力を要する。つらつらと流れを書きだしてみて問題がなさそうでも、いざその通りにつくってみると、変なところで棚が折り返していたりする。
 以前、新しく開店する店を見にきた出版社の人に、
「保育士向けの実務書の棚と、学校の校長・教頭試験の棚が向かいあっている。客層が全然違うのに、これじゃいづらいよ」
と指摘されてがっくりきた。
 そんなの、人が実際に入らなきゃ気づけない。棚の前に立つ人、その人の動きまでイメージできてこそ一人前なのだな。伝説の書店員の棚について、「この本の隣にこの本が並んでいた」とよく語られるけれど、その棚の向かいには、裏にはどんな本があったか、3次元で教えて欲しい。

 スピノザは腰の高さでモンテスキューはかがんで入れる、だからモンテスキューの方があとに生まれた、というふうに、棚に本を入れ続けることで苦手な哲学史も体で覚えた。歩いているだけで流れがわかるような本屋がつくれたらいい。吉川弘文館の「人物叢書」も以前は生年順に入れていたのだが、250人近い人物を把握しきれず、やむなく50音順としてしまった。他の店のスタッフには白い目で見られている。

 神保町の静まりかえった古本屋で、左手の棚から突然バサリと本が落ちた。何事だろう、私の戻し方が悪かったのか。でもこれは手にとっていない、と思いながらあわてて拾いあげると、
「ありがとう、そこの台に載せておいてください」
とこちらを向いてじっと座っている店主が声をかけてきた。はい、とおそるおそる置く。
 店を出たあとで、裏側にいた知人が棚に本を戻したとき、押しすぎてこちら側の本が飛びだしてきたとわかった。棚に背板がなかったわけである。バカ、と責めつつ、怒られなくてよかったと安堵する。

 上に下に、右に左に、裏に表に。本棚のあいだを歩きまわる楽しみは、いろいろに味わえる。

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