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本と本屋と

第12回 美しい本

 


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電子かたりべ
 書店で「美本」といわれたら、それは「美しい本」ではなく、「状態のいい本」のことである。

 「美本希望」と書かれた注文書を見るたび、プラトンのイデア論を思いだす。傷ひとつない、折れてもよれてもいない本は、理念としては存在するにしても、実際にはない。

 紙というのは本当にもろい。ちょっと引っかけたりぶつけたりするだけで、簡単に破れてつぶれてしまう。火にも水にも弱い。何事も起こらなくても、時が経つだけで黄ばみ、風化していく。
 そんな繊細なものが段ボール箱に詰めこまれ、取次をくぐって書店に到着し、棚にさらされる。お客さんに渡るまでに、何人の手を経てきているのか。傷まないわけがない。
「お客さまのご注文分です。美本を入れてください、できれば<プチプチ>でくるんでください」
と出版社に電話で頼んでも、
「出庫するのは別の部署なので、どうなるか ・・・・・・」
と言葉を濁されたりする。

 そもそも美本の基準は人によって全く違う。
「もっときれいな本を」
といわれても、どこがいけないのかわからないこともある。電話で伝えるときは大変だ。
「背表紙の上の部分が若干よれています、ほんの少し、そんなに気にならないですけど、気にする方は気にするかも」
説明になっていない。

 「僅少本につき美本なし」という紙が挟まれて入ってくる本がある。「不向きの際はお返しください」と続く。出版社としても、販売にたえるか判断しかねる状態だということだ。こうなると逆に購買意欲に火がつく人もいるだろう。「最後の1冊です」といわれると欲しくなる。
 出版社で品切れになった本を探しているお客さまがいて、支店をあたったら1冊だけ見つかった。
「でもカバーが破れているそうなんです」
「いいのよ!ねえあなた、必要な本が手に入っていつも側にあるのはすばらしいことなのよ。そうしてぼろぼろになるまで読み返すの、わかる?」
 初老の女性は電話口で声を高くし、何度も何度も「本当にありがとう」といって切った。
 ずっと棚に残っていた本が、幸せなすみかを見つけた。

 ふつうの意味での本の美しさ、たとえば装丁がきれいか、というのはお客さまと書店員のあいだでは問題にならない。
「すごく凝ったカバーですよね。めくってみると、中も、ほら」
などとはいわず、黙って手渡す。ワーすてき、と騒ぎあうのは店員同士だけだ。

 昨年末に出た『反哲学入門』(木田元、新潮社)は、橙色のがさがさしたカバーに深緑の帯がかけられていて、見た瞬間
「みかんだ!」
と思った。冬はこたつでこの本を読みましょう、という意味にちがいない。しかし、
「これはみかんですよね」
と周りの店員に話しかけても反応は鈍く、お客さまがそんなことを話しているのも聞かない。さびしい。ネット書店の書影は帯を外していることがほとんどで、web上でも確認できない。(boopleのみ帯つき画像を載せている。
 ぜひ店頭で手にとってみて、「確かにみかんだ」と思ってください。話しかけてくれなくてもいいので。

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