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本と本屋と

第5回 ただの本

 


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電子かたりべ
 高校生のころ、文庫フェアが始まると「夏が来た!」とわくわくした。各社のリストを大事に持ち帰り、帰省する新幹線で何を読むか、延々と考えていた。
 大学に入って、生協でときどき「読書のいずみ」という小冊子をもらうようになった。好きなイラストレーターが表紙を描いていたのがきっかけだった。著者と大学生が対談する企画がおもしろかった。

 無料でもらえるものがほかにもたくさんあるとは、本屋で働くまで知らなかった。

 筆頭は出版社のPR誌である。ほとんどは年間購読料がかかるのだが、販促物として書店にも送ってくれる。執筆陣によっては店員同士で奪いあう。(いま熱いのは「ちくま」。)お客様からの人気も高く、あっというまになくなる。

 気前よく積み上がっているのは出版社の目録。新しい版ができると数十部送ってもらう。ふつうの人には知られていないであろう出版社のものでもきちんと減っていたり、逆にいつまでもうずたかく残っていたりする。ただだからこそ、シビアだ。

 いくつかの専門書出版社が集まってつくっている目録もある。なかでも「歴史図書総目録」は人気がある。300部入ってきて荷台がいっぱいになっているのを見ると「取りすぎた!」と思うのに、あれよあれよというまに消えていく。厚くて重くて、ひょいとカバンに入るものではないのに。歴史書に興味をもつ人が300人も来てくれているのは心強い。

 歴史といえば『網野善彦著作集』(岩波書店)のパンフレットはすごかった。何回補充してもなくなった。100部は入れただろうか。ほかの書店でもそうだったらしい。たとえ著作集100部売れなくとも、やはりうれしい。

 書店がつくる配布物もある。紀伊國屋書店の新宿本店5階のフェア「じんぶんや」では、毎月各界のプロが選んだ本を並べ、紹介文つきの小冊子をつくっている。フェアだけでも非常な労力だろうに、よく続くなあと感心しつつ、いつもこっそり持ち帰っている。ひそかな応援のしるしに。

 本を買わなくても何か持ち帰れるというのは単純に得した気になるし、売りものより面白いものも多い。そういうものをきちんと並べている本屋のこともきっと気に入るだろう。本屋の側としても、ただのものを持ち帰ってもらえるだけでも「見てくれている」と励みになる。いつか各種PR誌や目録、パンフレットを取りそろえた「ただの本棚」をつくってみたい。

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