本と本屋と タイトル画像

本屋になる

第15回 本はつなぐ

 学生のときに知り合った人がフリーライターになって、古本屋を始めた私を取材しに東京から来てくれたことがあった。せっかくだからゆっくり話そうと、店の定休日の昼すぎに那覇のホテルのラウンジで会った。録音されてメモもとられているのに、彼女の顔を見ると友だちとお茶を飲んでいるような気分になってしまい、個人的な事情まで打ちあけたり、いつも以上に言いよどんだりした。
 沖縄のこと、市場のこと、本屋のこと、古本のこと。
「あいだに本があることでお客さんと話ができるし、古本屋の看板が人に関わるための糸口になっていると思う」
 そんなふうに話したら、彼女がいつものように屈託なく笑って言った。
「そんなに人が好きなようには見えないのにね」
 なんだと。
 言い返そうとしたものの、まるく見開かれたかわいい目を見たらなにも言えなくて、そのまま流してしまった。
 2年たった今でもまだ反論の台詞を考え続けている。
 こう見えても私だって人を好きになりたいと思っているし、好きになるよ。たとえ好きじゃないとしても、人と関わらなければ生きていけないでしょう。関わるのが苦手だからこそ、どうにか関わろうとして本屋をやっているんだ。

 関わろうとはしていても本屋をやるので精いっぱいで、たとえば本を介したイベントにはあまり参加したことがない。人前で本を紹介するとか誰かと交換するとかみんなで読むとか、本よりも人との出会いに重点が置かれていそうなものはやっぱり苦手だ(やってみたら楽しいのかもしれないけれど)。
 古本屋の店先に座って本を売る、買取する。出版社の人に本を注文する、直接持ってきてもらう。わざわざイベントに出なくても、本によって人とつながっていると感じる。
 きっとパン屋ならパンによって、畳屋なら畳によってそう感じるだろうし、販売ではないほかの仕事もそうだろう。人と関わらないですむ商品も仕事もありえない。本と本屋が特別なわけではない。
 ただ、本はほかの商品より人の顔が見えやすい。なんといっても著者の名前が書いてある。買って部屋の本棚に並べたら、その名前を見ながら毎日暮らすことになる。100万部売れた本でも、100万人の読者の前にいるのはひとりの著者だ。本屋はひとりの言葉をたくさんの人に届けるために働く(書店だけでなく、出版社も印刷会社も取次も)。
 職人が織った布を自分のものにするのは難しいのに、本は複製だから誰でも買える。たくさんあるコピーでも作り手の存在を感じられるのは少し特殊なのかもしれない。ある音楽家がCDを民芸品と呼んだように、本も民芸品といえるかもしれない。

 こうして本と本屋についてつらつらと書きつらねてきて、まる7年たった。この本が面白いとかこんなに売れたとかではなく、カバーが桃色でうれしいとかたくさん積んだらすべったとか、自分でもあきれるほどどうでもいいことばかり。人から人へと本を受け渡す本屋になって、読む人よりも買う人よりもたくさんの本を手にしてきた。その感触を伝えてみたかった。
「本屋さんのエッセイが欲しいんだけど、書いてみませんか」
 NTT出版の営業の方に声をかけられたのは、東京ドームに野球を見にいった帰りの焼鳥屋だったと思う。いいですね、文章を書くのは好きですと答えておきながら、そのあと数か月なにも書かなかった。ようやく始めてからも締切を破ったり勝手に沖縄にいったりさらには書店を辞めたり、とんだ不良著者だった。
 不良なりに、書くのは楽しかった。生身の自分のままではなにも出てこなかったのに、本と本屋が立ち位置を決めてくれたことで初めて書けるようになった。書くうちに自分と本のあいだにたくさんの動詞を見つけて、そこからいろいろな人と出会えた。本屋になったおかげで。
 この先ますます本は売れなくなるだろう。本は骨董品になるか、ガラクタになるか、ものでなくなるか。それでも人は本を書き、つくり、読み、買うだろう。私は本屋として、新しい動詞を探し続けたい。売らなくなっても、店がなくなっても。
 これからも本によってつながれていく。身のふりかたを本にゆだねていく。そんな本屋でいる。本と周りの人たちが、そうさせてくれる限り。

 ご愛読、まことにありがとうございました。


※編集部より
 この度、宇田智子さんがNPO法人わたくし、つまりNobodyが主催する第7回「池田晶子記念 わたくし、つまりNobody賞」を受賞されました。詳細は次のURLをご参照ください。

http://www.nobody.or.jp/jushou

 「本屋になる」の連載は、今号が最終回となります。長きにわたりご愛読ありがとうございました。





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