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本屋になる

第14回 本を使う

 沖縄の書店に異動することが決まった日、そのとき働いていた店の実用書の棚を見に行った。ペットもいなければスポーツもしないので、あまり近づいたことがなかった。
 「国内紀行」の棚の一番端に「沖縄」のプレートが掲げられている。どの県にもある大判の雑誌とシリーズもののガイドブックのほかに、エッセイやコミックもあれこれ並んでいる。大手出版社の本も、聞いたことのない出版社の本もある。
 沖縄に関する本がたくさん出ていることは知っていて、だからこそ異動してみたいと思ったのだけれど、改めて見るとやはりすごい量だ。「移住」という単語の入った本も多い。旅行だけじゃなくて移住するにもガイドが必要だなんて、どんなところなのか。
 春からはここにある本を売るだけではなく、書かれた世界に飛びこんで暮らしていく。背表紙を眺めてワクワクしていた。

 住みはじめてからは毎日のように沖縄本を開いた。「食事のときに藁を結んで魔よけにするでしょう。あの結び方が知りたい」と問合せを受けて「サン」の文献を探したり、「今度のお盆はウークイの日だけ休ませてください」とアルバイトの人に頼まれて年中行事の本で確かめたり、ベランダでゴーヤーを育ててみようと思い立って「緑のカーテン」の本を見たり(支柱を立てずに放っておいたら枯れてしまった)。
 言葉の使いかたや時間の感覚といった「沖縄ルール」的な本も、読むたびに発見があった。そうか、あのときあの人はこういうつもりだったのか。飲み会は自分のタイミングで行けばいいんだなあ。本をこんなに生活に引きつけて読んだことは今までなかった。料理やしきたりについての純粋な実用書だけでなく、小説や歴史の本までそんなふうに読めた。私が今ここで暮らしていくために、助けになる本。

 沖縄の人は本を読まないと言われる。その「本」がハードカバーの文芸書や人文書のようなイメージなら、確かにそうかもしれない。だからといって本が売れないわけではない。ダイエット、健康、野球にゴルフに空手、コミック、ビジネス、学習参考書。生活に役立ち、仕事や遊びを楽しくする本は、他店に引けをとらないくらい売れる。
 もしかすると食器洗い機やゲームを買うのと同じ感覚なのかもしれない。本を特別視することなく、道具や遊具のひとつだと思っているのかも。だから拝みの本が仏具店に置かれていたり、書店にカルタが並んでいたりしても、みんな特に違和感もなく買っていくのではないか。

 1月のある日、地元の編集者の人と沖縄県産本について話す機会があった。さまざまなメディアで県産本を紹介し、自分でも本を書かれている方で、沖縄県産本に何十年もどっぷり浸かっている。外から来た私とは視点が全く違って、面白かった。
 話の終わりに、
「ところで、宇田さんはいつまで沖縄にいるんですか」
 と聞かれた。この人までこの質問か、と思うまもなく、「ってよく聞かれるでしょう」。
「はい」
「こう言われるとどんな気持ちになりますか」
「悲しいです。腰かけだと思われているみたいだし、早く出ていけって言われている気がして」
「そうじゃないんですよ」
 にっこりとされる。
「しばらくいるのなら、そのあいだは応援したいというつもりなんですよ。すぐにいなくなってしまうのでは助け甲斐もないけれど、そうでないならこれからも店に通いますよ、と伝えているんです」
 知らなかった。少なくとも私の見たどの本にも書いていなかった。今までだいぶ傷ついてきたのに、誤解だったなんて。
「まだまだ書かれていないことがあるんですね」
 沖縄の本はこの先も書かれ続けるのだな、と確信した。



※編集部より
この度、宇田智子さんがNPO法人わたくし、つまりNobodyが主催する第7回「池田晶子記念 わたくし、つまりNobody賞」を受賞されました。詳細は次のURLをご参照ください。

http://www.nobody.or.jp/jushou






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