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本屋になる

第4回 本を愛する

 店に来た知人と話をしていたら、急に改まって
「ところで、聞きたいことがあるんですが」
 と言い出した。身構える。
「なに?」
「電子書籍をどう思いますか」
 彼は映像を撮ってDVDを作っているのだが、無料の動画がどんどんアップされて、売るのが難しくなっているという。グーグルが本の電子化を進めているのを新聞で知って、本はどうかと気になったらしい。
 本屋で働いていると、ときどき意見を求められる。困る。自分で使ったことがないし、店にいて影響を感じたこともまだない。
「うん、そうですね、わからないですね」
 と正直に答えてからいつも、これじゃあんまりだとあせる。
「いや、使い方は人によるんじゃないでしょうか」
 とつけ加えるので精一杯。ご期待に沿えず。

 ひとりで本屋を始めてみたら、今まで以上に本より人に目が向くようになった。この本が何冊売れたかではなく、この本を誰が買ったか。
「ずっと探してる本があって」
 とおずおずと切り出され、聞くと50年前にベストセラーになった文芸書である。
「文庫で手に入りますよ」
「単行本が欲しいんだ」
 何年も歩いて探しているというその本は、アマゾンでは1円で出品されている。取り寄せてご連絡しましょうと言うと、携帯電話を取り出し
「自分の番号どうやって見るの」
 とおっしゃるので、操作のしかたをお教えする。
 こういう方がパソコンやiPadの使いかたを覚え、欲しいものをどんどんダウンロードするようにはならないだろう。小さい頃から触っていれば使えるようになるのだろうけれど、世の中のすべての人が電子書籍を使いこなせるようには、やっぱりならないんじゃないか。

 電子書籍だったら、と思うこともある。
「これ読みたいけど字が小さいんだよ」
 と残念がる方がいる。拡大してあげたい。
 先週は近所の店の人に足ツボの本を頼まれて、次の日持っていくと
「図の中の字が読めない」
 と言われた。近くのショップに走ってそのページだけ拡大コピーした。足の裏にたくさんのツボが描きこまれた絵を、A3の紙いっぱいに引き伸ばす。
「ありがとう。家に貼るよ」
 図1枚ならいいけれど本1冊では難しい。

 岩波新書の『本は、これから』が入ってきた。2010年に出て、売れているのは知っていたものの買わなかった。帯に『みんな「本」を愛している!』とあるのを見ただけで内容がわかるような気がした。グーテンベルクからの本の歴史を思い起こし、紙の手ざわりや重さへの嗜癖を語り、「本は紙じゃなきゃイヤ」と結論づけるのだろう。本を愛する人はそれでいい。本をそのようには愛さない人には、説得力がない。
 でも、パラパラめくっていたら「岩波書店にはこんな本を作らずに、超然と屹立していてほしいというのが僕の本音だ」という鈴木敏夫の文章に行きあたり、こう書ける人もいるのかと逆に興味を持った。

 37人によるエッセイ集で、書きかたは37様である。それでも、ブルース・チャトウィンの『ソングライン』にそろって言及している石川直樹と今福龍太が続けて収録され、福原義春が松岡正剛の提唱する「ブックウェア」に触れれば、次は松岡正剛本人が登場する。バラバラの文章がゆるやかにつながるように編集されているのだなと思った。
 休憩してパンを食べながら、脇に置いた本の帯を見るともなく見ていた。執筆者の名前が並んでいる。池澤夏樹、池内了、池上彰、石川直樹……あれ、五十音順だ。目次を確かめると、唯一、吉野朔美の漫画が池澤夏樹の「序」と池内了のあいだに移動しているだけで、あとは文章も著者五十音順になっている。なんだ、と気が抜けた。

 もしこの本が電子書籍だったら、目次から読みたいところにジャンプして順不同に読むような気がする。そうしたら最初に五十音順だと気がついただろうし、前後のつながりを見つけることもなかっただろう。パンを噛みつつ机の隅によけた本の帯を眺める、ということもなかった。

 出久根達郎は、
「古書業者が電子書籍の出現を、どこ吹く風なのは、自分たちの商売に全く関係がないからである」
「紙の本の新刊が出なくなっても、明治以来、出版された本の数たるや、気が遠くなるほどの量である」
「古本屋は一人の読者を見つければよい商売なので、あくせくすることはない」
と書いている。古書店主としての自負がこう言い切らせるのだろう。
 本当にどこ吹く風なのか。やっぱりわからない。わからないままに、目の前のお客様の本の愛し方を尊重して、お手伝いしていけたらと思っている。




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