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本屋になる

第2回 本はめぐる

 「夢がかなってよかったですね」
と、古本屋を始めてから何人かにいわれた。いえ、まあ、とかあいまいに答えつつ、特に夢みていたわけでもなかったなと思う。夢は、貸本屋になることだった。

 欲しい本はいつも新刊では手に入らなくて、古本屋に通った。新刊書店とはまったくちがうそれぞれの佇まいに惹かれて、やってみたくなったことはある。でも、コツコツと集めた本を売るなんてとてもできない。
 貸本屋はどうか。これなら集めた本はなくならない。好きな本を並べて見せて、
「ああこんな本が出ていたのか」
と思ってもらいたい。
 少しだけまじめに考えてみたけれど、どうやってもお金になりそうにない。コーヒーや食べ物を出せばいいのかもしれないけど、料理はできないし、というところで断念した。

 新刊書店で働きはじめて悶々としていたころだ。時間がたつにつれ、本屋は好きな本を売るのが仕事ではないということがわかり、自分の趣味などまったく仕事にできるレベルではないということもわかり、黙って働くようになった。
 古本屋になってみて、ますますそう思う。好きな本も置かせてもらうけれど、それよりも売れる本、必要とされる本を置く。そうしないと不良在庫だらけになってしまう。

 本は新刊書店で誰かに買われたあとも、延々とめぐり続ける。その人が古本屋に売り、誰かが買い、また売り、古本屋が業者の市に出し、別の古本屋が買い、お客さんが買い、終わりがない。紙の耐久性か本の価値か、どちらかが負けるまで。
 お客さんの家に買い取りに行き、用意されていた本を査定して、一段落してから部屋を見渡すと、新聞の下にも本が埋もれている。
「そちらは売られないんですか?」
「これ? 古いし、回収に出そうと思って。持っていく?」
「はい」
 危ないところだった。
 他の古本屋で買った本が入っていることもしょっちゅうある。今はない店だったり、神保町の老舗だったり。誰かが売っていた本を私がまた売るという不思議。
 逆に、自分の店で売れた本を他の古本屋で見つけると、
「まさか」
と、自分の書いた値段がついていないか確かめてしまう。買ったのに後悔してすぐまた手放されていたら、悲しい。

 こうして本がめぐるのを見ていると、いま自分のところにない本でもいつか入ってくるだろうし、手放してもまた戻ってくるかもしれないと思うようになった。天下の回り物、お金と同じである。欲しい人がいるなら、渡せばいい。
 そういいつつ、私の部屋には自分用の本棚があり、在庫のスペースを圧迫している。
「これも売れば?」
といわれても、どうしてもできない。
 今の夢は、自分の本を持たない、欲しいといわれればなんでも売れるプロの古本屋になることである。

 本のめぐりを、心から信じてみたい。




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