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憲法で読むアメリカ史

第28回 レンクイスト・コートのたそがれ

 

変わらない最高裁判事の顔ぶれ

 2001年9月11日、アメリカ史上初めての大規模テロ攻撃に遭遇したジョージ・ブッシュ大統領は、8年にわたる任期を通じテロとの戦いに明け、テロとの戦いに暮れた感がある。もちろん戦争とその後始末だけにあたっていたわけではない。しかしこの大統領は、アメリカが衝撃的なテロ攻撃を受け、それに対応してアフガニスタンとイラクで戦争に突入し、その戦争が長引き、大勢の人が死に、国民が苦悩した事実と、今でも固く結びつけて記憶されている。9.11事件直後、90パーセントという史上最高の支持率を獲得したにもかかわらず、最後は25パーセントという最低の支持率まで下がった状態でワシントンを去ったブッシュ大統領。どう評価するかは別にして、ラムズフェルド元国防長官が述べたとおり、「史上リンカーンと並んで、もっとも難しい仕事をした大統領の一人」であることは、確かであろう。
 しかしこの大統領と司法の関係に目を転じると、連邦最高裁の人事についてブッシュ政権の第1期目はまったく動きがなかった。4年のあいだ連邦最高裁の判事が1人も死去せず引退しなかったからである。実はクリントン大統領もその第2期、最高裁に1人も欠員が出なかった。同大統領が最後にスティーブン・ブライヤー判事を任命したのは、政権第1期のなかば1994年であるから、最高裁の判事の顔ぶれは実に11年間変わらなかった。長い最高裁の歴史でも、このようなことはまれである。
 就任日時の古い順に、レンクスト首席判事、スティーブンス、オコナー、スカリア、ケネディー、スーター、トマス、ギンズバーグ、ブライヤー各判事という9人からなる最高裁判事の構成に変化はなかったものの、一部判事の憲法観と判決の傾向は、微妙に変化した。9人のうち、クリントン大統領が任命したギンズバーグとブライヤー判事を除けば、すべて共和党大統領が任命した判事である。本来ならばきわめて保守的な最高裁ができているはずが、そうはならなかった。
 9人のうち、民主党系のギンズバーグとブライヤーは一貫して、進歩的な傾向を示した。スティーブンス判事とスーター判事も任命した共和党大統領の期待に反し、進歩的な判例を下し続けた。反対に保守的な憲法思想で知られるレンクイスト、スカリア、トマスの3人の判事は、予想通りもっぱら保守的な判断を示す。したがって最後に残る2人、すなわちオコナー判事とケネディー判事の投票次第で、保守と進歩の意見が割れる難しい事件はいつも決着がついたのである。
 しかもこの2人は特に2001年以後、より進歩的な立場を、問題によって取るようになる。その結果最高裁は、宗教や生命、性行動や死など、人々の価値観に深く関わる問題について、従前どおりの比較的進歩的な判決を出し続ける。司法の保守化を唱えて当選したにもかかわらず、ブッシュ第43代大統領はその第1期目、このような傾向をもつ最高裁について結局何もできなかった。
 ちなみにちょうど同じ時期にあたる2002年9月から2005年4月まで、私は在米日本大使館で広報文化担当公使をつとめた。大使館や大使公邸で催される多くの社交行事に、オコナー判事、ケネディー判事、スカリア判事その他の最高裁判事がときどき姿を現し、会話を交わした。大使館勤務時代のなつかしい思い出の一つである。

妊娠中絶

 1992年のケーシー判決で、女性が妊娠中絶を行う憲法上の権利を守った最高裁は、2000年になって改めてこの問題を取り上げる。スタンバーグ対カハート事件の判決である。ブッシュ大統領就任前に下されたものだが、進歩的な司法を非難する保守派の運動家が1970年代以来最も重視してきた妊娠中絶の問題に、最高裁が久しぶりで判断を示した。
 問題となったのは、妊娠後期中絶あるいは部分出産中絶と呼ばれる中絶方法を禁止するネブラスカ州の法律である。部分出産中絶というのは、胎児が母親の胎内でかなり大きくなり通常の方法では中絶ができない、あるいは中絶による危険が増すと医師が判断したときに、胎児の足を引っ張って首まで母体外に出し、子宮内に残った胎児の頭蓋に穴を開け、吸引カテーテルで脳を吸い出して頭蓋をつぶし、死んだ胎児を除去する方法である。こうして記すだけで残酷に思える妊娠中絶が行われていることが広く知られるようになり、禁止する法律が多くの州で制定された。しかしそうした法律は女性の中絶の権利を否定するものだとして、部分出産中絶を専門に行うカハートという医師がネブラスカ州知事を相手取って、訴訟を提起した。
 最高裁は5対4の票で、この法律を違憲と判断する。法廷意見を著したのはブライヤー判事である。ケーシー判決は法廷判決起草者の1人となり、ロー判決が覆るのを防いだオコナー判事は、この判決でも法廷意見に加わる。
 ブライヤー判事は法廷意見のなかで、ケーシー判決が妊娠中絶を望む女性に「不当な負担」を課す法律は違憲であるとの法理を確立した。妊娠した女性に、起訴や刑罰を恐れさせ妊娠中絶を選びにくくさせるこの法律は、まさに「不当な負担」を課すものであって、違憲であると述べる。同意意見を著したオコナー判事は、女性の健康を維持するためには許されるという例外を設けていない以上、部分出産中絶法は違憲であるとの判断を示す。
 ケーシー判決でオコナー判事、スーター判事と共に法廷意見を著し、ロー判決を守ったケネディー判事は、本事件では反対意見を著した。ケーシー判決のもとでは、一定の妊娠期間が過ぎたあと胎児は憲法上の独自の生きる権利を有しており、このような妊娠後期の中絶はそうした胎児の権利を奪ってしまう。それを防ぐために制定された部分出産中絶法は合憲である。それがケネディー判事の主張である。
 そもそも憲法上の妊娠中絶権の存在を認めないレンクイスト首席判事、スカリア判事、トマス判事の3人は、この極端な中絶方法を禁じる法律は当然合憲であるとの立場を取って、それぞれ反対意見を著した。スカリア判事は、「不当な負担」という基準はあいまいであり、判事個人の主観によって左右されるので客観的基準とはなりえないと、ケーシー事件のときと同じ主張を繰り返した。

同性愛

 スタンバーグ判決では、部分出産中絶禁止法の合憲性をめぐって保守側に立ったケネディー判事は、しかしその3年後、同性愛の問題についての事件で、それまでの判決を覆すきわめて進歩的な法廷意見を著す。2003年のローレンス対テキサス事件判決である。
 アメリカの多くの州には、同性愛を許されない性行為として禁止する法律が昔からある。もともとキリスト教では同性愛を禁止しており、こうした法律はキリスト教の伝統に深く根ざすアメリカ社会の一般的な道徳観を反映したものである。しかし同性愛者にしてみれば、異性間の性行為は正常と認めながら、同性の者のあいだの性行為を禁じる法律は、許しがたい差別であり基本的な人権を侵害するものである。ゲイライトと呼ばれる同性愛者の権利確立をめざす運動家たちは、したがって同性愛行為を禁じる州法を違憲とする判決を期待して、多くの訴訟を提起し戦った。
 実はローレンス事件よりも17年前の1986年、最高裁はバワーズ対ハードウィック事件判決で、同性愛行為を禁止する州法を合憲とする判決を下していた。ジョージア州の警察官トリスは逮捕状執行のために訪れた本事件原告のアパートで、同性愛行為中の原告ハードウィックとその相手方に偶然遭遇し、同州反ソドミー法違反容疑で2人をその場で逮捕する。ソドミーというのは異常な性行為の総称で、同法は男女間でも同性間でも、たとえ同意のうえであっても、口と肛門を使う性行為を禁止していた。検察は2人を起訴猶予としたが、ハードウィックは本法を違憲と宣言するように求め州司法長官のバワーズを相手取って訴訟を提起する。この事件を最高裁が取り上げた。
 最高裁は5対4の票で、ジョージア州の反ソドミー法を合憲と判断する。原告ハードウィックは、個人はプライベートにどのような性行為であろうと同意のうえで行う憲法上の権利を有すると主張した。同性愛行為を行う権利は、グリズウォルド判決やロー事件判決が認めたいわゆる「プライバシーの権利」の一部として憲法が保護すると言う。しかしそれは間違っている。同性愛者が口や肛門で行う性行為は、「プライバシーの権利」に含まれない。そのような権利は、アメリカ合衆国の歴史や伝統に深く根ざしていない。秩序ある自由という基本的な考え方に含まれるものでもない。多数意見を著したホワイト判事は、そのように結論づけた。法廷意見には首席判事になる前のレンクイスト判事とオコナー判事が加わった。
 ローレンス事件の事実関係は、バワーズ事件のそれとよく似ている。男が1人暴れているとの通報を受け原告ローレンスのアパートに到着したテキサス州の警察官数人が室内に入ると、同性愛行為中の原告とその相方を発見する。抵抗する2人は同州の反ソドミー法違容疑で逮捕され、有罪の判決を受ける。原告はこの法律が憲法違反だと主張して控訴し、最高裁がこれを取り上げた。
 バワーズ事件のときと異なり、最高裁は6対3の票でテキサス州の反ソドミー法を違憲と判断する。法廷意見を著したケネディー判事は、同性愛行為を行う権利はプライバシーの権利とは認められないとバワーズ事件判決が判示したのは間違っている。成年の男女が、誰にも強制されず、同意のうえ自宅で、自分たちが選ぶ形で性行為を行う権利は、憲法修正第14条の含意する実体的デュープロセスの考え方によって保護されるべき、根本的な自由の権利である。したがって最高裁は本テキサス法を違憲とし、バワーズ事件判決を明確に覆す。こう宣言した。
 カソリックの家庭に生まれ、厳格なキリスト教徒としての倫理観をもつケネディー判事が、同性愛行為の権利を憲法が保障する個人のプラバシーの権利としてとらえテキサス州法を違憲としたのに、多くの人が驚いた。2000年以前のケネディー判事では到底ありえない、きわめて進歩的な立場を取ったからである。そして彼の心境変化の理由を詮索した。
 テキサス州法が違憲であると信じる根拠として、ケネディー判事はヨーロッパの多くの先例に言及した。判事は、人権に関するヨーロッパ条約に基づいてヨーロッパ人権裁判所が、ローレンス事件で問題となったテキサス州法と同じような反ソドミー法を無効とした判決を上げ、近代のヨーロッパ文明はソドミーを禁止しているとの保守派の主張を退けたのである。
 この判決によって、全米13州に残っていた反ソドミー法がすべて無効となり施行されなかった。反対意見を著したスカリア判事は、本法廷意見はゲイライトの立場に与する法律家文化のなかから生まれたものである、最高裁は現代アメリカの文化戦争の一翼をかつぐことになってしまったといって嘆いたが、最高裁の多数意見を覆すことはできなかった。同性愛をめぐる憲法上の論争は、このあと同性愛婚の問題に発展する。

未成年者の死刑

 ケネディー判事の新しい進歩的傾向は、未成年者の犯罪者を死刑に処する州法は違憲であるという、2005年のローパー対シモンズ事件判決にも色濃く表れる。この判決は未成年者を死刑に処するのは合憲だとした1989年のスタンフォード対ケンタッキー事件の判例を覆すものであった。ローレンス事件がバワーズ判決を覆したのと対をなす。
 スタンフォード事件で最高裁は5対4の票で、犯行当時17歳であったスタンフォードを死刑に処すのを可能とするケンタッキー州の法律が憲法違反とは言えないと判示した。法廷意見を著したスカリア判事は、死刑制度を維持する37州のうちで18歳未満の少年を死刑にできるかどうかについて合意はなく、したがってその判断は各州の議会に任せるべきであり、最高裁が一律に判断すべきでない。こう説明した。
 ローパー事件では、当時17歳であった被告のシモンズが、彼よりもさらに若い仲間2人と予め計画を立て民家へ強盗に押し入り、その家の住人をしばり目隠しして金品を盗んだあと、近隣の川へ投げ込んで殺した。事実関係にはまったく疑いの余地がなく、死刑判決が下った。しかし原告は判決を控訴し、ミズーリ州最高裁が違憲判決を下す。これを州が連邦最高裁に上告した。
 最高裁は5対4で、事件当時18歳以下であったシモンズを死刑に処することを許すミズーリ法は、「残酷で異常な刑罰」を禁ずる憲法修正第8条に違反すると判断する。法廷意見を著したケネディー判事は、18歳未満の少年を死刑に処するのは人倫に反しているとの新しい合意がアメリカ国内に生まれつつあること、そして18歳未満の者を死刑にする国家が世界にほとんどないことを、違憲判決の理由にした。
 反対意見を著したスカリア判事は、法廷意見のいう「国民の合意」がまだないこと、死刑の合憲性は憲法制定当時、起草者が何を「残酷で異様な刑罰」と考えたかで判断すべきであり、判事の主観で判断すべきでないこと、さらに外国の法律は憲法判断の基準にならず、都合のいい外国法の規定のみを取り上げるのは判事の主観を正当化するだけであると述べる。たとえば妊娠中絶の権利を憲法上認める国はごく少数でアメリカは例外に属するけれども、だからといって最高裁は妊娠中絶の権利を否定しないではないか。ローバー事件の論理と矛盾する。スカリア判事はこう主張した。
 なおオコナー判事も、この事件で反対票を投じ別途反対意見を著す。

憲法解釈と外国法

 最高裁がその判決を下すにあたって外国の法律や判例を引くようになったのは、2000年代になってからの新しい現象である。上記のとおり、同性愛や死刑などの難しい判決で、法廷意見は外国の例をたびたび参考にするようになった。その傾向は特にケネディー判事やブライヤー判事、そして時にオコナー判事に見られる。
 これら3人の判事は、最高裁の休廷期間中たびたび外遊をすることで知られている。ケネディー判事は1965年から88年まで教授をつとめたカリフォルニア州パシフィック大学のロースクールがオーストリアのザルツブルグで開くサマースクールで、最高裁判事になってからも毎夏教えている。同地で開かれる国際会議にも頻繁に出席する。ブライヤー判事の夫人は、イギリスの貴族出身の女性で、夫妻ともフランス語に堪能でありヨーロッパの文化に通じている。オコナー判事も、海外へ精力的に出かける。
 これらの判事はヨーロッパの判事や知識人に知己が多く、ブッシュ政権の一極主義への批判がヨーロッパで高まるのに、心をいためたらしい。一般にアメリカより進歩的なヨーロッパの判事や知識人との対話から大きな影響を受けたことは、想像に難くない。アメリカが自由や民主主義を世界に広めようとするなら、アメリカもまた世界の考え方を取り入れるべきではないか。そうした思想が、彼らの判決に反映されたと考える人も多い。
 私自身がワシントンに住んでいた2000年代初期、ブッシュ政権の外交政策が世界中で批判され、反米の気運が高いことを、一般のアメリカ国民もかなり気にしていた。イラクをサダム・フセインの独裁から、自分たちの家族の血を流してまで解放したのに、どうしてこんなにアメリカは嫌われるのか。ヨーロッパや中東の人々は所詮理解しようとしない、アメリカが孤立して何が悪いと反発する人も多かったが、ヨーロッパその他からの批判にさらされ続けるとともに、アメリカの価値観に自信を失い疑問の声をあげる人が少なくなかった。アメリカはもっと謙虚に外国の主張を聴くべきではないか。そうした一般人のあいだの自省的な雰囲気もまた、判決の方向に影響したのかもしれない。

アファーマティブ・アクション

 この他にも、人種少数派を雇用や入学に関して優遇するアファーマティブ・アクションや、宗教と政府を隔離してお互いの影響を排除する政教分離のあり方など、保守派と進歩派が真っ向から対立する憲法問題で、最高裁はそれまでの憲法解釈を踏襲する重要な判決を下している。
 前者については、2003年のグラッター対ボリンジャー事件で、ミシガン大学ロースクールのアファーマティブ・アクション・プログラムを合憲と判断した。多数意見を著したオコナー判事は、同プログラムが入学者を選考するにあたって人種を1つの要素として考慮するのは許されると判示した。これは1978年のカリフォルニア大学理事会対バッキー事件のパウエル判事による法廷意見をほぼ踏襲したものである。人種によって異なる扱いをする法律は厳格にその合憲性を審査せねばならないが、教育の現場における多様性の確立はきわめて重要な州の政策目標である。特定の人種だけを優遇するのは憲法上許されないが、多様性実現のために人種をふくむいろいろな要素を入学許可の決定のために考慮するのは許される。こう述べた。
 ただし同日下されたグラッツ対ボリンジャー事件判決では、同じミシガン大学の学部が入学者選考に用いるアファーマティブ・アクション・プログラムを6対3で違憲と判断した。レンクイスト首席判事が著した法廷意見は、グラッター事件とは異なり、学部のプログラムでは少数人種の応募者に自動的に加点し合格者の選考を行っている。これはバッキー事件で違憲とされた予め設定する割当枠(クオータ)に近く、許容されないと述べた。
 バッキー事件判決で、パウエル判事はアファーマティブ・アクションは本来好ましいものではないとして、このような制度はあと25年ほど経てば必要なくなることを期待すると記している。しかしアファーマティブ・アクションは30年経ってもなくならず、2000年代に入ってから廃止すべきだという声が高まっていた。そしてグラッツ事件では実際に学部のプログラムが違憲とされる。けれどもグラッター事件ではオコナー判事が迷ったあげくにロースクールのプログラムを合憲としたため、アファーマティブ・アクションは生き残ることになった。オコナー判事もまた、25年後にはこのプログラムが廃止されることを期待すると記したけれども、どうなるかはわからない。

政教分離、その他の判決

 一方政教分離に関する分野でも、これまでの判決を概ね踏襲する2つの判決を2005年に同日下している。ヴァン・オーデン対ペリー事件およびマクリーリー郡対アメリカ自由人権協会事件の判決で、両方とも公有の場でのモーゼの十戒の展示が、憲法修正第1条の定める政教分離の原則に反するかを争った。
 政教分離条項の解釈に関しては、かねてから最高裁の判事のあいだで2つの異なる立場がある。1つは、政府と宗教が関係を結ぶのはさまざまな問題を引き起こすので基本的に好ましくない、できるかぎり両者を厳格に分離する必要があるというもの。この見方に立てば、政府は宗教的目的を有する行為を一切してはならない。2つ目は、政教分離条項を起草した人々は政府が特定の宗教を人々に押しつけたり圧迫したりするのを防ごうとしたのであって、宗教そのものを避けたのではない、むしろ宗教を大事にするのはアメリカの長い伝統であるというもの。この見方に立てば、伝統にもとづいた政府の宗教的慣習などは、むしろ許容されるべきである。
 最高裁は、ヴァン・オーデン事件では後者の立場に立った。民間から寄付された十戒を彫り込んだ石碑を州議会議事堂の周囲の州所有の広場に、40年にわたって他の記念物と一緒に展示してきたのは、長い歴史と伝統に基づくものであり、なんら政教分離原則に反するものではないとの判決を5対4で下す。しかしマクリーリー郡事件では前者の立場に立った。ケンタッキー州の郡裁判所の内部に十戒を彫り込んだ石碑のみを展示するのは違憲だとの判決を、同じく5対4で下す。展示の目的が宗教的であって許されないというのである。何が合憲で、何が違憲なのか、同じ十戒の展示でもこのように結果が異なる。わかりにくい。
 ブッシュ大統領第1期のレンクイスト・コートは、他にもさまざまな判決を下した。必ずしも保守的あるいは進歩的といった一貫した傾向があるわけではない。問題によって、あるいは判事によって、結果は異なる。しかしロー対ウェード事件に代表される1970年代のリベラルな判決を覆すことを保守派が期待したレンクイスト・コートは、その最後の5年ほど比較的進歩的な判決を出し続け、思ったほど保守的にならなかった。
 しかし11年間1人もメンバーが入れ替わらなかった結果、最高裁はややマンネリ化しかかっていた。また首席判事をはじめ一部の判事が自分自身や家族の健康問題を抱えていた。そろそろ最高裁は、新しい時代を迎える時期であった。


 







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