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憲法で読むアメリカ史

第22回 大統領を訴えますか?

クリントン大統領再選とセクハラ疑惑

 1996年11月5日に行われた大統領選挙は、民主党候補のビル・クリントン大統領が、総得票数4740万、選挙人獲得数379で勝利を収めた。これに対し共和党候補のボブ・ドール前上院議員は総得票数3920万、選挙人獲得数は159と、大きな差がつく。第3党候補として出馬したロス・ペローは総得票数809万、選挙人獲得数ゼロ。4年前に初めて大統領選挙に出馬したときのような旋風は起こさなかった。
 クリントン政権の第1期は終始波乱に満ち、その運営は決して順調ではなかった。当初打ち出したいくつかの重要な政策が実現しなかっただけでなく、さまざまな疑惑が発生している。1994年の中間選挙では共和党に議会上下両院の多数を奪われた。それでもクリントン大統領の支持率はあまり下がらず、対決と協調の姿勢を織り交ぜ、ギングリッジ下院議長を中心とする議会保守派の勢いを食い止める。そして何より好調に転じた経済が追い風となって、再選を果たした。
 翌1997年1月20日に行われた就任式で、大統領はレンクイスト最高裁首席判事の司式のもと宣誓を行い、第2期目の職務を開始した。再選後、大統領の支持率はさらに上昇し、終始50パーセント台後半以上を維持する。一時は70パーセントに近づいた。国民は、国内の経済的繁栄と比較的安定した国際情勢に満足していた。
 けれどもクリトン政権の第2期に不安材料がなかったわけではない。大統領選挙に勝利したものの、議会選挙では共和党が上下両院の多数を維持し、引き続き野党が支配する議会と対峙せねばならない。また選挙中民主党が中国から選挙資金を受け取っていたのではという疑惑が浮上した。さらにポーラ・ジョーンズという女性の提起した大統領のセクハラ疑惑に関する訴訟が連邦最高裁で係争中であり、その口頭弁論がなされたのは就任式7日前の1997年1月13日であった。
 大統領が訴えられ訴訟の当事者になるのは、アメリカでそう珍しいことではない。しかしセクハラ訴訟の被告が大統領に就任するのは、アメリカ史上初めてであろう。クリントン自身が友人に語ったところによれば、就任式で宣誓を行う大統領に向かって、レンクイスト首席判事は「幸運を祈る、あなたにはそれが必要だ」と一言付け加えたという。大統領はこれを嫌みと受け取ったようだ。しかしその後、事件は思わぬ方向に展開し、この予言が本当になる。

ジョーンズ対クリントン事件

 セクハラ訴訟事件の原告は、アーカンソー州の元職員ポーラ・コービン・ジョーンズ、被告は当時、現職大統領のウィリアム・ジェファソン・クリントンである。話は1991年に遡る。ジョーンズの申し立てによれば、同年5月8日、彼女はアーカンソー州リトルロックのホテルで知事が主催した品質管理に関する大会の受付で参加者の登録業務にあたっている最中に知事を護衛する州警察官の一人ダニー・ファーガソンに呼ばれ、同ホテル内のクリントン州知事の部屋に連れて行かれた。知事は同大会で挨拶をするために来ていた。室内に足を踏み入れると、そこに知事がいて、会話を交わしながら「君はいい体をしているね」と言い、ズボンを下ろし性器を露わにしてキスするように要求したという。あっけに取られたジョーンズは、その場を即座に立ち去り、持ち場に戻った。気が動転したまま、同僚など何人かにはこのことを明かしたものの、州政府での職を失うかもしれないと恐れ、上司には一切報告しなかった。
 クリントン知事はその後1993年1月、第42代合衆国大統領に就任する。以前記したとおり、大統領選挙の最中からクリントンの女性関係についてはよからぬ噂が絶えず、ジェニファ・フラワーズという元女優との長年の不倫関係はほぼ公然の秘密であった。そうしたなか、1994年1月、保守系の雑誌「アメリカン・スペクテーター」が、大統領のセックスライフを暴くデービッド・ブロックの記事を掲載する。なかでも知事時代のクリントンが、目をつけた女性を護衛の警察官に連れて来させ、たびたび不倫行為に及んでいたこと、その女性の一人にポーラという女性がいたことを初めて明らかにした。
 この記事は全米で大きな反響を呼んだ。大統領は記事の内容を全面的に否定したけれど、フラワーズの前例もあり多くの人が信じたようだ。そしてこの記事を読んだジョーンズは、同年5月6日アーカンソー州東部地区の連邦地区裁判所にセクハラ訴訟を提起し、クリントンとファーガソンに85万ドルの損害賠償支払いを求める。本件の時効が成立する2日前であった。
 ジョーンズは、知事の要求を断ったため州政府の職場で報復を受け不当に取り扱われたこと、クリントンの露骨なセクハラ行為によって精神的に著しく傷ついたこと、ファーガソンがブロックとのインタビューでジョーンズが彼に知事との関係を続けてもいいと述べたというのは全く真実に反し名誉侵害にあたることなどを主張した。そして連邦公民権法、州不法行為法などに基づき、損害実額の賠償と懲罰的賠償金支払いを要求したのである。
 ジョーンズがどのような経緯を経て提訴に至ったかは、わからない。ただし保守派運動家の働きかけがあったであろうことは、容易に想像できる。実際、保守派はこの訴訟をきっかけに、クリントンを標的とした大々的な人格攻撃をメディアで展開した。
 大統領のロイヤーたちは、直ちに行動を開始する。そして地区裁がただちに訴訟を却下するよう求める。しかし本件を担当したスーザン・ウェバー・ライト判事は、大統領側の要求を退けた。ただし現職の大統領を相手取る訴訟は大統領が退任するまで中断せねばならないと判断、事実の検討に入る前にジョーンズの訴えをいったん否定する。事実上の却下である。しかし控訴を受けた第8巡回区連邦控訴裁判所は、現職であるという理由で大統領が民間人の訴訟を免れることはできないとしてジョーンズの訴訟審理継続を命じた。大統領側はこれを不服として連邦最高裁に上訴申請を行い、これが認められて本事件は大統領の膝元、ワシントンで争われることになった。上訴人が大統領であるので、事件名がクリントン対ジョーンズに変わる。前述のとおり、口頭弁論が行われたのは、2期目の大統領就任式の7日前である。

クリントン対ジョーンズ事件の最高裁判決

 大統領の代理人は口頭弁論で、国家の重大事項に日々取り組んでいる合衆国大統領は、全精力を国務に集中せねばならない。任期中訴訟に巻きこまれると、そのために相当な時間を費やさねばならず業務に支障をきたす。行政の最高責任者としての責任が果たせない。そうであれば、本訴訟の継続は国益に反する。だからこそ大統領はこうした訴訟からの広範な免責特権を有している。したがって裁判所は当訴訟を却下するか、少なくとも現職のあいだは本訴訟の審理を中断すべきである、と主張した。
 これに対し原告ジョーンズの代理人は、アメリカ民主主義の根本原則の一つは、たとえ大統領といえども法の支配に服すということである。大統領が、大統領に就任する前のできごとに関して提起された民事訴訟を、現職にあるからという理由で免れることができるのでは、この原則が守られない。大統領の有するいくつかの免責特権は、この件には当てはまらないと反論した。
 1997年5月27日、最高裁は全員一致で大統領の主張を退け、本事件を地区裁判所に差し戻す判決を下した。法廷意見を著したのはスティーブンス判事である。判事はその職務の重要性に鑑みて、大統領が場合によって一般人からの民事訴訟から免責されることは、過去の判例も認めている。また三権分立の原則からして、裁判所は安易に大統領の専権領域に干渉すべきでない。しかしそうした免責は無条件のものではない。この事件の場合、問題となっている行為は、大統領就任以前になされたものであり、しかも大統領の職務にはまったく関係のない私人としての行為である。したがって大統領の免責特権はこの件に及ばない。またこの訴訟によって大統領が費やす時間はそれほど多くないはずであり、本来の職務遂行に支障が出るとは必ずしも言えない。
 最高裁の判決にしたがって本事件の差し戻しを受けた連邦地区裁判所のライト判事は1998年4月2日、ジョーンズは実際に損害を被っていることを証明しえなかったことを理由に、訴えを却下する判決を下した。ジョーンズは判決を不服として再び連邦控訴裁へ控訴。しかし1998年11月13日、控訴裁判決が下されるのを待たず、クリントンはジョーンズに85万ドルを支払うという条件で和解に応じる。ジョーンズの求めた全額を支払ったのである。ただしジョーンズに対して謝罪は一切せず、訴訟にけりをつけるために和解したと説明した。

独立検察官とホワイトハウスのセックス・スキャンダル

 クリントン対ジョーンズ事件の最高裁判決は、アメリカの憲法史上、決して小さくない足跡を残した。大統領が就任以前に私人として関わったできごとについて在職中に提起された民事訴訟には、大統領の有する免責特権は及ばず、訴訟を免れることはできないという憲法解釈が、この判決で確立されたからである。
 この結果は、クリントンにとってもちろん喜ばしいことではなかった。最高裁の判決は、大統領免責特権の有無にのみかかわるものであり、ジョーンズの申し立てが真実であるかどうかを判断したわけではない。しかし判決の結果、ジョーンズ事件の実質的審理が始まり、大統領は自らの代理人の法律事務所でジョーンズの代理人から尋問を受けている。この事件についての報道が続くのは、大統領の政治力を弱めるおそれがあった。
 日本の総理大臣がこのような訴訟を起こされたら、おそらく辞任するしか選択肢はないだろう。党内の力学からしてその地位にとどまれない。しかしアメリカの憲法上大統領の任期は4年と決まっていて、だれも辞めさせられない。それにクリントンにとって女性問題は格別新しいことではなかった。この事件はなんとか乗り切れる。クリントンはそう考えていただろう。ところが思わぬところから、この事件はさらに重大な政治的危機に発展し、憲法問題にまで拡大する。モニカ・ルインスキーというホワイトハウス実習生との、新たなセックス・スキャンダル発覚である。
 クリントン大統領と彼のロイヤーたちがジョーンズの訴えに対応している間に、ケネス・スターという独立検察官が大統領のスキャンダルをしらみつぶしに調査していた。独立検査官については、この連載の第11回でモリソン対オルソンという憲法訴訟の説明をするために一度取り上げた。ウォーターゲート事件の際、政権内部で大統領ならびに政権中枢にかかわる疑惑の調査にあたった特別検察官が、大統領によって罷免される事件があった。そこでニクソン大統領が辞任したあと、議会は新しい法律を通してより独立性の高い検察官の制度を設けた。これが独立検察官の始まりである。大統領、閣僚、大統領補佐官など政権高官の行動に違法性が疑われる場合、特別な手続きによって任命される独立検察官は、大統領の干渉を受けず、多額の予算を与えられて独自の調査を行う。そして十分な証拠があれば、当該政府高官を訴追する権限を与えられた。
 レーガン・ブッシュ両政権の12年間を通じて、民主党の議員たちはイラン・コントラ事件など政権にかかわる疑惑が浮上するたびに独立検察官の任命を求め、疑惑を徹底的に調査させた。制度上、議会はその任命を求める権限を与えられている。共和党政権は独立検察官のしつこい調査を大いに嫌ったが、クリントン政権が発足すると今度は自分達が任命を要求し、同政権の疑惑を追及させた。
 スター独立検察官は、政権発足初期の1994年8月に任命された。当初はフォスター大統領補佐官の自殺をめぐる疑惑と、クリントン大統領が知事時代に関わったいわゆるホワイトウォーター疑惑の調査を行うのが、その主たる任務であった。ホワイトウォーター疑惑は、知事時代のクリントン夫妻とその知人が関与したアーカンソー州の不動産投資に関係する大がかりなビジネス上の不正行為、スキャンダルである。独立検察官の調査の結果、クリントンの後任知事をふくめ15人の関係者が訴追され、有罪判決を受けている。しかし結局大統領とヒラリー夫人に対する訴追はなかった。(なお大統領は2期8年の任期が終わる直前、ホワイトウォーター疑惑で有罪とされた何人かに恩赦を与えた)。
 ホワイトウォーター疑惑の調査と並行して、スター特別検察官はその潤沢な予算を用い、ホワイトハウスの旅行オフィス職員の解雇をめぐるトラベルゲート事件、FBIの秘密ファイルを無断で大統領補佐官が閲覧したファイルゲート事件、ポーラ・ジョーンズに対する知事時代のクリントンによるセクハラ疑惑をめぐるトループゲート事件など、クリントン政権のその他の疑惑を調査する。これらはホワイトウォーター事件の関連調査だと説明されたが、民主党関係者は共和党に近いスター検察官の嫌がらせであり越権だと、いらだちを隠さなかった。なお、各疑惑がゲートという言葉をつけた名前で呼ばれているのは、多分にウォーターゲート事件を意識したものだろう。
 1998年1月になって、国防総省の広報部で働く事務職員、リンダ・トリップからスター独立検察官のもとに、テープが届けられる。その内容は、トリップが同じ職場の同僚モニカ・ルインスキーと交わした電話での会話を、1997年の秋から20回あまりにわたって録音したものであった。ルインスキーはこのなかで、彼女がホワイトハウスのインターン時代に大統領とオーラルセックスをしたことを告白していた。トリップに会話を録音するよう助言したのは、トリップの友人で保守派の編集者であるルシアン・ゴールドバーグである。ゴールドバーグの助言により、録音テープはスター特別検察官に届けられた。
 スター独立検察官は、このテープを聴いて大統領とルインスキーの関係を詳細に知る。彼が特に興味を抱いたのは、ルインスキーがポーラ・ジョーンズの裁判で証言をした際、自分と大統領とのあいだには性的関係がないと偽証したとの発言である。大統領はこの偽証に関与しているのか。法律にしたがってリノ司法長官から調査対象の拡大についての許可を得ると、独立検察官は本格的な調査に乗り出す。こうしてクリントン政権最大の危機、大統領弾劾への動きが始まった。








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