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手帳の文化史

第18回 システム手帳によって変わった手帳の意味と役割

 システム手帳については、拙著『システム手帳新入門!』(岩波アクティブ新書、2004年)や『手帳進化論』(PHPビジネス新書、2007年)でも何度も書いてきた。
 とくに、『手帳進化論』では、システム手帳が日本の手帳の歴史において果たした役割についての仮説を書いた。

・システム手帳は年玉手帳減少後の手帳市場を予言していた

 簡単に振り返ると、日本においては会社から支給される年玉手帳(連載第7、8回目参照)がまずあった。その後1980年代後半になるとシステム手帳が登場した。システム手帳には、その会社の本支店一覧をはじめとする便覧がなく、また会社特有の記念日や社訓などがなかった。システム手帳は手帳メーカーやカバンメーカーなどによって一般向けに製作・販売されていたからこれは当然だ。
 そのことによって、日本の手帳はある役割から解放された。
 明治期の懐中日記や軍隊手牒には、その発行元の共同体が共有する世界のありさまが便覧として含まれていた。そのことによって、手帳はその持ち主に発行元である共同体への帰属感を養っていた。この伝統は、年玉手帳も引き継がれている。本支店一覧、記念日や社訓などがそれにあたる。
 そしてシステム手帳の登場によって、手帳は“企業からもらうもの”から、文具店などで、自ら選び購入するものになったのだ。
 同時に懐中日記からの伝統である、共同体への帰属感を持たせる役割が希薄になった。それが後の時代の有名人プロデュースの手帳の登場を準備したのだろう。

 『手帳進化論』のこの記述を読んだ方は、ご自分のブログに次のようなことを書いている。

◆私は「手帳を使えない人間」だと思っていましたが、この部分を読んで、かつては手帳を使っていた時代があったことを思い出しました。

そう、「サラリーマン時代」です。

そして使っていたのはもちろん、会社から支給された手帳。

今にして思えば、当時は「会社の手帳を使っているのが常識」、みたいな風潮があって、それを使わずファイロファックスを愛用していた若手社員に対して「生意気っぽい」と、皆、感じていたフシが(汗)。

『マインドマップ的読書感想文』
http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/51166985.htmlより。

 この方によれば、エピソードは80年代後半の入社数年目のころ。社内には帰国子女も多く、海外の流行を取り入れる気風もあったが、それでも上の世代の先輩社員が使っていたのは年玉手帳が大半だったという。そこには社訓や本支店一覧の住所と電話番号が記されていた。
 そんな雰囲気があった中の話である。
 この方の感じ方には、終身雇用制が機能していた時代のサラリーマンの気質のようなものがあらわれている。会社に属している限り、決められた各種のルールを守るべきである。会社支給の手帳を使うこともその1つである。こんな暗黙の前提があったのだ。
 換言すれば年玉手帳はそういう暗黙の前提の存在を象徴するものだったといえよう。
 そして件の若手社員は、年玉手帳ではなく革のごついシステム手帳を使うことで、そんなものなどないかのようにふるまったように思われていたのだ。
 大まかにはこんなふうに感じていたことが読み取れる。
 年玉手帳が激減してしまった現在では、手帳は会社から支給されることもなく携帯電話やカバンと同じような、選択の自由があるアイテムのひとつになっている。
 それでも年玉手帳がまだ生きている会社においては、依然として帰属感覚を象徴するアイテムなのだろう。

・情報収集/保存ツールとしての携帯電話の先駆けであったシステム手帳

 システム手帳が、携帯電話の雛形とみなしうることは第10回の連載分で触れた。それは身の回りの各種小型ツールを内包する万能の道具箱である。
 その機能の1つは、情報チャンネルとしての役割だ。
 1970年代に情報誌『ぴあ』が創刊された。それまでは新聞などをたよりにして調べていた映画の上映情報や、娯楽施設の場所や連絡先などを1つの雑誌の形にしたものだった。それは大学生をはじめとする当時の若年層に向けて、いわば情報をカタログ化して見せたものだった。また、そういった情報は、定期的な更新が必要であることが、雑誌というメディアの特性にも合致していた。
 この情報のカタログは、システム手帳の登場によって、手帳に取り込まれることになる。 リングの開閉で内部の情報を入れ替え可能なシステム手帳の構造は、情報を必要に応じて差し込んだり、入れ替えたりするのに都合がいい。
 具体的には『ぴあ』のような情報を印刷したリフィルを挟み込むことだ。
 ただ、リフィルのようなフォーマットが情報チャンネルとして機能するには、それを受け入れるプラットフォームが広く普及していることが不可欠だ。
 テレビ、ラジオなどは、登場当初は高価な電機製品だったが、普及することで情報・宣伝の媒体として大きな影響力を持った。
 システム手帳は1980年代後半には一大ブームを迎えていた。当時のバブル景気もあり、実用を超えたファッションとして利用者が増えていた。そのユーザー数は、1985年には約2万冊だったのが、翌86年には50万冊、87年には100万冊以上とまさに爆発的に増えていった(※1)。
 ユーザー数が多いアイテム向けに情報提供する。
 その媒介=メディアとして手帳が使われたはじめての例がシステム手帳だったと言える。 システム手帳の登場によって、手帳はそれまでのスケジュールの記録・管理のツールから情報を保持し参照し、必要に応じて入れ替えたりする、そういうツールになった。

図1 開いたところ。
各ページは、切り取ってバイブルサイズのバインダーに閉じることができる。

図2 「マルイとスラムブック」。
左側の6穴がスラム手帳対応であることを示す。



 上の写真は、株式会社丸井が発行していた小冊子だ。
 その内容は以下のようになる。
  • ・丸井のカードの作り方やカード会員向けサービスの案内。
  • ・タウンマップ。渋谷、新宿、原宿、六本木、池袋など、丸井の店舗がある街中心。
  • ・レストランガイド。流行のレストランの名前と電話番号。
  • ・映画館、美術館、遊園地ガイド。映画館名と電話番号。
  • ・エステサロン、スポーツクラブetc.
 以上はいずれも丸井のカード提示によって割引が受けられる。冊子は、カードを持っていないくともコンパクトなタウンガイドとして役立つ。
 この冊子が同種のものと違うのは、バイブルサイズのリフィルと同じサイズであり、バインダーに綴じるための6つの穴をページの左側に持っていることだ。このことによって、同社や同社と提携する各種サービスの情報を自分のバイブルサイズの手帳に綴じることができた。巻末には遊園地の割引チケットもついていた。
 単なる冊子では持ち運んでもらえる可能性は低い。カード会社側としては次のような思惑があったのではないか。常に参照する手帳の中に自社や自社関連の各種サービスの施設案内や割引情報を入れてもらうことで、ユーザーの利便を図る。同時に、自社の利用の機会を増やしてもらう。手帳の内側に、情報(と自社のサービス案内)が入ることは、マーケティングの有効な手段と目されていたはずだ。
 ユーザーの側も必要な情報だけを切り取ってリフィルとして手帳に挟めるのは便利だったはずだ。
 インターネットも携帯電話もなく、つまりWebページや情報の検索という手段がなかった当時、これはなかなか画期的なことだったろう。
 この丸井の冊子に限らず、1980年代後半当時にはリフィル型の情報冊子が雑誌の付録につくことは珍しくなかった。いわば紙の形で携帯できる情報配信がなされていたと言える。  現在、こういうシステム手帳の役目を果たしているのは、携帯電話ではないだろうか。
 その普及率は、ほぼ一人一台。ブーム時のシステム手帳の比ではない。誰もが肌身離さず身につけており、メールの着信などを知らせる鳴動に対しては多くの人が即座に反応する。
 マーケティングツールとして見ればこれほど強力なものは他に見当たらない。
 身につけたりカバンに入れたりしてちょくちょく参照するものに情報を保持するスタイルは、ブーム当時のシステム手帳用情報リフィルと同じだ。
 映画館の情報、レストランガイド、街の地図、ホテルガイドなど、すべて携帯電話から情報にアクセスでき、割引も受けられる。情報はどんどん更新されていき、ユーザー特性に応じ、特定の時間帯に向けてメールで広告を打つこともできる。
 初期のiモードと言えば、コンテンツプロバイダーにとっては、ユーザーに公式サイトやメールマガジンへいかに登録してもらうかが勝負の分かれ目だった。携帯電話のユーザーを自社のサービスに誘引するための手段は、いかに鮮度の高いあるいは利便性の高い情報を提供するかに集約されていたといっていいだろう。現在では、自動的に更新される割引クーポン「トルカ」(※2)などのサービスに徐々に形を変えてきている。
 紙に印刷された固定的な情報をめくって参照するのは、最新の情報変更が可能な携帯電話(用のWebサイト)に比較すると、情報の鮮度の点でも、また検索可能性や容易さの点でも不利だと言わざるを得ない。
 ともあれ、システム手帳は、普段持ち歩く機器の中に情報(とマーケティングの手段)を含ませる可能性を1980年代後半の時点で示した。
 その十数年後にはiモードをはじめとする携帯電話がもっとスマートな形でそれを実現したわけだが、その先駆はシステム手帳だったと言えるのではないだろうか。

※1
「ダイヤモンドBOX」(ダイヤモンド社) 1988年2月号による。
※2
NTTドコモのプッシュ型情報サービス「iコンシェル」のサービスには、レストランの割引情報や映画館の上映情報を自動で更新する「トルカ」と呼ばれるものがある。
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