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手帳の文化史

第17回 手帳の自作とはどんな意味の行為か

 手帳を自作するとはどういう事だろう。
 「手帳の自作」という考え方が生まれたのは、1980年代のシステム手帳ブームのころだ。後述するように、システム手帳はリフィルと呼ばれる専用の記入用紙をバインダーに綴じた構造を持っている。リフィルをデザインできれば、既存のバインダーと組み合わせてオリジナルの手帳を作ることはできる。
 だが、手帳を一から自分で作ってしまうとなると話は異なる。複数パターンのスケジュール記入欄や、メモページなど各ページのデザイン。そして製本。
 これを個人でやろうとすれば並々ならぬ労力が必要なはずだ。
 手帳メーカーでは、これは分業されている。制作のディレクターがいて、デザイナーがいて、校正者がいて、印刷業者に入稿。製本して出荷する。
 これを個人の手でやるとはどういうことなのだろうか。どこまで自分でやり、どこからアウトソーシングするのか。あるいはしないのか。
 今回は、手帳を自作してしまった人の例を2つほど紹介する。まず、手帳の自作がいつごろからはじまったのかを見てみたい。

・ 自作前史:システム手帳の時代

 手帳が、簡単に自作しうるものであることを明らかにしたのはシステム手帳だ。
 システム手帳の最大の特徴は、開閉式のリングに記入用紙を差し込む構造にある。リフィルと呼ばれる紙をデザインして、規定のサイズにカット。パンチで穴を開ければ記入用紙≒手帳を自作できた。紙のサイズが決まっていて、1.デザインツールと2.印刷手段があれば簡単だ。
 ちなみに、ブーム当時の80年代には、デジタル機器でリフィルを作成する手段もあった。当時まだ一般的だったワープロ専用機、また一部のパソコンソフトにはシステム手帳のリフィルフォーマットの内蔵をセールスポイントにしたものがあった。
 これらのフォーマットを印刷して、リフィルサイズにカット。別売の専用6穴パンチで穴を開けることで手帳のページを作ることができたのだ。
 また、ワープロ専用機やパソコンのワープロソフトの文書作成機能を利用して罫線や記入欄、文言を紙に印刷し、プリントしてつくることもできた。システム手帳がブームだった80年代後半には、この種の自作リフィルが流行していた。
 この自作リフィルは、形を変えて今も存在する。リフィル作成用のパソコンソフトウエアは現在も販売されている。またWeb上には一般ユーザーが自分で作った自作リフィルを公開しているWebページやBlogなどがたくさんある。
以下はその一例だ。
◇ リフィルダウンロードサイト:自作リフィルを公開しているサイト
「システム手帳自作リフィルダウンロード」
http://www.satotaka.jp/
◇ リフィル作成ソフト:市販のパソコンソフト。テンプレートをカスタマイズして作る
レイメイ藤井「システム手帳職人」
http://www.raymay.co.jp/davinci/contents/others/soft/lineup.html
 手帳の自作は、システム手帳のリフィル製作という形ではじまった。それは、リフィルという考え方を取り入れた「超」整理手帳(※1)にも引き継がれた。
 ただ、綴じ手帳となると話は別だ。綴じ手帳は文字通りページのすべてが綴じてある。リフィルを自作するのとは違い、すべてのページを自分でデザインし、印刷して綴じなければならないからだ。
 そして世の中には一年間の記入欄を持つ綴じ手帳を自分で作ってしまう人々がいる。表紙から、記入ページ、メモページ、便覧にいたるまで、市販の手帳とほぼ同じ要素を持つ冊子型の手帳を、自分用に製作して使っている人がいる。
 自作の動機として、彼らは「自分に合った手帳が市販されていない」ことをあげる。では、どうやって自作しているのか。その実際を以下に見ていこう。

・ 一級建築士が作った手帳

萩原氏作成の「Cook's tour」。
見開き1カ月のページの内側に段違いの見開き1週間のページが含まれている。カバーは革製の自作で、外側にバンドがつく。(撮影:萩原卓)

 建築関係の仕事をされている萩原卓さんが作ったのは「Cook's tour」。縦20p×横11pのサイズは、手帳としてはやや大きな部類に入る。
 その特徴は、左右非対称な見開き1ヵ月のページと見開き1週間のページが続いている構造にある(※写真参照)。月間ページにはチェックボックスが、週間ページには午前8時から午後10時までの時間軸に加え、六曜や各国語の曜日表示もついている。メモページも、横罫ページ以外に「TRAVEL DIARY」「FIELD NOTEBOOK」など5種類に及び、切り取り可能なページもある。さらに折りたたみ式の封筒(5枚)が内包されている。内側は便箋になっていて、切手を貼れば旅先から投函できる。
 萩原さんの手帳はデザインといいページ構成といい、市販されてもおかしくない。そのぐらい仕事が細かい。このレベルのものの製品化には、かなりコストがかかることが想像できる。それぐらい細部にこだわりが見える
 まず紙を選ぶ。これには2つの条件がある。まず鉛筆での記入になじむもの。次にインクジェットプリンターとの相性だ。とくに後者はプリンターのインクがにじまないことが必須の条件だったそうだ。そうやって選ばれた紙が、「muse kenaf croquis(white)」。これは紙を専門に扱うショップで購入する。
 紙へ印刷されるデザインは、Macintoshで行っている。Adobe Illustratorを使い、スケジュール記入欄とメモ欄などの基本デザインを制作。それをカットした紙にプリントする。本文の使用フォントは、「ヒラギノ角ゴProW3」「Courier Medium」という2種類が使われている。制作期間のうち17日はこのDTPの作業に費やされるという。
 これらが出来上がったら今度は製本だ。これはご自身で、糸かがりという方法を使ってやられているとのこと。製本には3日かかるという。
 こうやって説明すると簡単に思えるが、実際に手に取ってみるとその完成度と独自の構造、ディテールに驚かされる。自分で縫製することもあり、現在は自分用も含めて数冊のみの製作だが希望があれば欲しい方には譲られているそうだ。

・ Webデザイナーが作った手帳

 もう一人の方はイマイヒロコさん。縦15p×横8.5pの「トコだけ手帳」を作っている。このサイズは、愛用している手帳カバー「ヴィトンポッシュ」から割り出されたもので、このカバーに入ることも自作の理由のひとつだったそうだ。
 その特徴は小ぶりなサイズと、24時間の時間軸だろう。見開き1週間の週間ページはいわゆるバーティカル式(※2)だが、時間軸は午前5時から翌日午前5時まで。日付が変わる0時付近には、翌日の数字が薄いスミで印刷されていて実用的だ。月間ページには六曜や月齢、月の誕生石などが記されている。
 24時間の時間軸は市販の手帳にもあるが、イマイさんは午前5時からのものがどうしても欲しかったそうだ。その理由は生活パターンにある。締切前は、深夜までの仕事になることが多く、感覚としての一日の終りが午前4時過ぎぐらいになる。記入するときに翌日にまたがってしまうのがいやで、このパターンが欲しかったのだそうだ。
 イマイさんの場合は、デザインはご自分だが、印刷と製本はアウトソーシングしている。
 まずDTPとデータ管理、構成は自分だ。やはりMacintoshを使い、デザイン部分や基本フレームは 「Adobe Illustrator」、データ部分出力は「Quark XPress」を使い分けている。
 この手帳はもう3年連続で作られている。そのため友人や知人にもよく知られるようになった。
 印刷製本は、萩原さんの場合と違い、業者を使うために300部を制作している。その費用は30万円。いちおうWeb(http://www009.upp.so-net.ne.jp/uhauha/)でも販売しているが、09年版からは協賛する会社を募って制作費の一部に当てているとのことだ。また、継続は力というべきか、知り合いではない人がWebを通じて購入し、毎年使ってくださる例もあるという。

・ パソコンと情熱が可能にした手帳の自作

 彼ら二人はそれぞれのアプローチでまったく異なるオリジナルの綴じ手帳を作り上げている。共通するのは、デザインセンスと情熱だ。二冊の手帳からは、どうしても自分にぴったりの手帳が作りたいという強い思いが見て取れる。市販品には決してないようなディテールの凝り具合は、市販品に飽き足りないからこそ実現できたものだろう。
 これらの自作手帳が可能になった条件のひとつは、パソコンとデザインセンスだろう。二人ともMacintoshを利用し、ジャンルはちがってもデザインを生業にされている。リフィルという紙一枚のレベルではなく、冊子を一冊まるごと作るための想像力のようなものなくしては、手帳を製作できないはずだ。
 ちなみに、二冊の手帳製作に使われているAdobe Illutratorには、カレンダーを手軽に作る機能はない。Windowsパソコンでリフィルを作成している人は、Microsoft Excelを使うことが多い。これはExcelがカレンダーのデータを内蔵しているからだ。そしてIllustraterの場合は、すべて文字のデータを逐一流し込んで作っているという。
 そしてもう一つは既存のものに飽き足りない情熱だろう。お二人とも市販品を何種類も試した末に、手帳製作にたどり着いている。二冊とも既存製品にはない仕様、たとえば、段違いの記入ページや、朝5時からはじまる時間軸などを備えている。
 これらは自らの時間観を忠実に反映させたスケジュール記入欄を作りたい願望の反映だ。
 さて、この手帳の自作はなにを意味するのだろうか?

・ グレゴリオ暦以降に出現した改暦の手段

 前回に見たようにグレゴリオ暦以前の世界では、暦が一定ではなかった。それは天文学が未発達であったことも一因だ。また現在の暦に近いユリウス暦にしても採用から百年以上経過し誤差が見過ごせなくなった結果、修正されてグレゴリオ暦になった経緯がある。
 暦はまた、農作物の種まきと収穫の時期を示すものでもあった。工業や第三次産業のない世界では、(貴族をのぞいた)圧倒的大多数である農民にとって生活=仕事のペースを教えてくれるものが暦だったわけだ。
 ひるがえって、暦が定まり手帳が登場した現代の社会では、昼夜の区別なく人間の活動が行われている。人口が集中する都市部において、第三次産業に従事する人々にとっては暦や日付そのものではなく、他者との複数の約束によって、時間単位はどんどん細切れになっている。そして曜日や時間がどのように表現されているのかで手帳のバリエーションが作られている。
 つまり手帳の選び方とは、1ヶ月、1週間という単位の時間をどのようにとらえたいのかの反映だと言える。
 そして綴じ手帳を一冊丸々自作することは、時間を自分の好きなようにとらえ、そこに予定を記入したいという気持ちのあらわれだといえる。
 固定・定着したグレゴリオ暦の中で自らの生活パターンにあうような手帳を作りたい。それは、かつての暦が示したような生活のタイミングの指針を、より細分化された時間単位の中で見つけることでもあるはずだ。
 つまり自作手帳は、暦が固定されたものの、生活時間が細分化し多様になった現代の生活の中で、自分の生活によりフィットした時間のスケールとして作られたと考えられるのだ。

※1
経済学者野口悠紀雄氏考案の手帳。蛇腹式の記入シートが特徴。
※2
縦方向に時間軸を取り、見開きで1週間が見られるようなスケジュール記入欄の一種。
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