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手帳の文化史

第15回 PDAとは何だったのか。

 今から20年ほど前のことである。まだワード・プロセッサー(ワープロ)が、パソコンよりも一般的だった時代に、私はA4サイズよりもやや大きな一台を入手した。
 東芝「Rupo90B」である。
 のちに、ノート型パソコン「ダイナブック」を発売する(株)東芝が、高密度実装化技術を使って開発したノート型のワード・プロセッサーだ。ワープロ専用機には標準装備だったプリンター部分を省略。そのかわりにシリアルポートを装備することでパソコン用プリンターを利用できた。また携帯性を追求し、RS-232C端子にモデムを接続して通信することができた。
 このRupo90Bには、手帳のようなソフトウェアも搭載されていた。予定を入力・管理したり、アドレス帳に名刺を入力・管理する機能があったのだ。
 私が最初に携帯型デジタル機器に手帳の機能を持たせる発想に触れたのは、このRupo90Bを通してだった。本体内(または着脱可能な記憶媒体の)メモリー領域に、住所録やスケジュールなどの情報を保存し、液晶ディスプレイ上で表示・編集する。PDAの手帳としての基本機能は、後述するNewton以前にも同様な形で存在していた。

・ PDAの元祖としてのNewton

 手帳と同程度のサイズで、文字入力もサポートした形のものとして最初の本格的な存在は、Newtonだ。PDAとは、Newton登場に際して、アップル・コンピュータが1987年に発表した「Personal Digital Assistants」という概念の頭文字に由来する。
 Newtonには、のちのスマートフォンにいたるPDAの原型的な特徴が数多く盛り込まれていた。
 それは、手帳と同程度のサイズのボディに小型の液晶ディスプレイとCPU、記憶装置を持ち、ソフトウェアキーボードや手書き用のスタイラスペンと組み合わせることであり、入力されたデータの一つ一つを、時系列やキーワードを手がかりとして閲覧できるようにすることだった。その設計思想はWindowsともMacintoshとも異なり、ファイルやフォルダといった概念はなかった。
 またネットワークやパソコンなど他のハードウェアとやりとりするための通信機能もあった。インターネット普及以前の90年代前半に、内部に保存した手書きイメージをFAXしたり、アプリケーションの追加によってパソコン通信に接続する機能を持っていた。

・ 各種小型デジタル機器の登場による存在感の相対的な低下

 Newton以後のPDAは、機能の拡張とその時々の技術トレンド/周辺インフラとの組み合わせによって、機能を拡張して現在にいたっている。
 それは具体的には以下のような技術だ。
 すなわち、OS(PalmOS、WindowsCE/Windows Mobile など)や、マイクロソフトオフィス互換アプリケーション、パソコンとのデータシンクロ機能、辞書ソフト、カメラ機能、通信機能の標準化、ワンセグ機能の搭載(日本国内の機種のみ)、公衆無線LANへの対応などだろう。
 だが皮肉なことに、PDAの電子デバイスとしての存在感は、それが登場した90年代初頭から現在に至るまで徐々に小さくなっていった。似たようなサイズで単機能の小型デジタル機器が続々と登場し、その役割や存在意義を浸食されていったためだ。
 この十数年の間には、電子辞書、デジタルオーディオプレーヤー、デジタルカメラなどが次々と登場し、高性能化と低価格化が進んだ。これらの各種デジタル機器は、単機能であるがゆえに使い勝手はPDAよりもよかった。また目的がはっきりしているために、より多くの人に利用されるようになったと考えられる。
 最近の例で言えば、KINGJIMのテキスト入力専用機「ポメラ」がそれだ。ポメラはPDAのように多機能ではない。キーボードとモノクロ液晶ディスプレイの組み合わせ、文章作成に特化した機器だ。外出先でキーボードで文書作成するニーズにこたえた機器だ。これもかつてのPDAが得意としたことだったはずだ。

・ 携帯電話がPDAのお株を奪った

 決定的なのは携帯電話の普及だろう。
 本連載の第10回「携帯電話はどうやって手帳になったか」を参照していただければわかるように、携帯電話は小さなボディの中に多くの機能をPDAとは全く別のやり方で搭載している。一つ一つの機能の洗練度は登場当初のPDAをはるかに上回っていることは第10回に記したとおりだ。
 電話やメール、Webなどの基本的な機能は、今や一人一台とも言われている普及率を裏打ちするようにコモディティ(=日用品)として定着している。
 それに加え、おサイフケータイ機能、カメラ、ゲームを含む各種アプリケーションが続々と登場し、携帯電話のハードウェアとしての商品価値をどんどん大きくしている。一年に数回は新機種が発売され、また課金や広告のしくみを確立している。携帯電話は開発のバックボーンとなるビジネスモデルがしっかりしているため、こういうことが可能になったわけだ。
 さらに、最近では、通称「5万円パソコン」と呼ばれるネットブックも登場している。メールやWebなどの利用を主な用途としたパソコンだ。価格の手軽さと、ユーザーが所有している一台目のパソコンとのソフトウェア、操作上の互換性などが支持された。その勢いは、ノートパソコン市場の売上比率で一割を超える規模になっている(※1)。
 以上の理由によって、PDAの存在感は相対的に低下していったのだと考えられる。
 では、PDAの後継的な存在であるスマートフォンはどうか。その代表格たる、ブラックベリーを例に取ると、超小型パソコン的な存在になっている。すなわちメールの送受信、Web閲覧とWord、Excel、Powerpoint、PDFの各種ファイルの閲覧と編集などだ。オフィスのパソコンとのスケジュール同期などもできる。これらの中心的な機能から見ると、スマートフォンは、携帯電話というよりはビジネスマンが外出時に利用する超小型パソコンに近い存在だ。
 蛇足になるが前述のポメラは、これらスマートフォンよりもキーボードが大きい。つまりタイプがしやすい。
 小型デジタル機器は単機能に特化したほうが、汎用的なPDAやスマートフォンよりも使い勝手がいい。かつての電子辞書やデジタルオーディオプレーヤーに見られる法則がここでも実証された例だと言えないだろうか。

・ Webスケジューラーの登場

 PDAとそれに続く小型デジタル機器の登場の一方で、Web上にも手帳に相当する機能を提供するものが登場している。いわゆるWebスケジューラーがそれだ。「Googleカレンダー」「Yahoo!カレンダー」を代表とするこれらのWeb上の予定管理機能は、ともにGoogle、Yahoo!の利用アカウントを取得することで利用可能になるものだ。Webに接続していることが前提だが、かつてのパソコン上のPIMソフトとは違い無料で利用できる。
 また、パソコンやPDA/スマートフォン、それに携帯電話など、Webにアクセスできる環境があればどこからでも参照できる。パソコンのハードディスクでもなく、PDA/スマートフォンのメモリー領域でもない。Webスケジューラーは、Web上にデータを置くことで、かつてパソコンとPDAが義務のように持っていたデータの同期という手続きを、旧時代のものにしてしまったと言える。

・ iPhoneは、“クラウドPDA”

 Newtonを生んだアップル・コンピュータはまた、2007年に新型ハードウェア「iPhone」を発売している。iPhoneは、機能の組み合わせで見れば、音楽プレーヤーiPodに携帯電話機能を合わせたものだ。
 ここでもう一度、PDAとスマートフォンについて考えてみよう。
 PDAは、パソコンとの連携を前提に作られた小型パソコン的なものだった。
 また、スマートフォンはこれに、携帯電話のインフラを搭載して、Web接続機能を標準化し、ビジネスユースを中心に据えた、“どこでもマイクロソフトオフィス+メール+Webブラウザ”のような存在だ。
 そして、いっけんPDAやスマートフォンに近い立ち位置にあると思われるiPhoneは、この2つとはやや性格が異なる。キーボードは未装備だが、アプリケーションの追加で機能を拡張できたり、Web上のリソースや自宅のパソコン内のファイルを閲覧できる。そして、各種のiPhone用アプリケーションが指向しているのは、Web上のリソースを使うことだ。それは以下のようなことだろう。
 まずiPodではパソコン上のアプリケーションだった楽曲販売サイト「iTunes」に直接アクセスして楽曲を購入する。また、Web上のストレージに保存したファイルを参照したり、テキストや画像でメモをとって、Web上に保存できる。さらには自宅のパソコン上のファイルにアクセス、参照するようなアプリケーションもある。
 2008年頃から人口に膾炙するようになったキーワード「クラウドコンピューティング」とは、Web上の各種リソースをネットワーク経由で利用することだ。そして通信手段を標準で装備したiPhoneは、マイクロソフトオフィス互換アプリケーションに対応したスマートフォンよりも、よりクラウド利用指向の強いハードウェアだ。
 これは、2009年時点でのWebやハードウェア技術を利用して、パーソナルコンピューターをもう一度作り上げることだと言えなくもない。このパーソナルコンピューターの再発明こそ、かつてNewtonが目指したものだったのだ
※1
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/1001/gfk.htm
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