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手帳の文化史

第11回 携帯電話は時間軸をスクロールする

・携帯電話はPDAの時代に生まれた

 iモードが登場した90年代後半はまた、PDAの時代でもあった。
 PDAとは、1993年にアップル・コンピューターが、小型の個人用端末「Newton」について提示した概念で、Personal Digital Assistantの略称である。Newton自体は商業的に成功することはなかったが、このコンセプトはPalmTopやWindowsCEといったPDA専用のOSを搭載した数々の小型電子機器の誕生につながる。パソコンさながらの万能性をメーカーはうたっていた。PDAは登場当初、スケジュール機能やアドレス帳を持っていたこともあり、手帳に取って代わるものと思われていた節がある。
 携帯電話とPDAはよく似ている。ハードウェア的な構成の面では、液晶ディスプレイとCPU、それに入力デバイス(キーボードやペン、テンキー)を小型の筐体の中で組み合わせている点は共通点が多い。
 機械的な構成も、期待されるものも比較的近い位置にあったが、iモードに代表されるWeb接続機能を持つ携帯電話と、PDAとは次の二つの点において決定的に異なっていた。
 ひとつはインターネットの存在だ。iモード以降の携帯電話は、メール送受信とWebアクセスの機能を標準で搭載していた。これはiモードが電話=通信機能を標準で持っているからだ。いっぽうPDAは、単体ではインターネットに接続する機能を持たない。メールソフトやWebブラウザを内蔵しているPDAは珍しくなかった。だがわずかな例外を除いては、通信機能は搭載されていなかった。装備されたカードスロットなどにデータ通信カードを挿入して初めてWebにアクセスできたのだ。
 もうひとつはコモディティ=日用品であるかどうかだ。携帯電話は、徹底的に個人的な道具だ。通話やメールなどの手段としてはもちろん、デジタルカメラを内蔵したり、Web上のコミュニティに加わるなどすることで、日々参照し、移動中の電車内でも頻繁にみるようなツールになっている。
 PDAは、非日常的かつ趣味的なアイテムである。ごく限られたユーザーが純粋にガジェットとして求めるか、ビジネスに使うユーザーであれば、小型かつ安価なノートPCの代替的なものとして利用していたはずだ。そこには趣味の対象としての好奇心や、実用性に対する厳しい評価はあっても、日々の生活の中で便利さを享受するような性格は与えられていなかったのだ。
 そしてこの二つのポイントの違いが、携帯電話を手帳に代替しうる存在に近づけている。 両方のハードウェアの違いをよく知る人物がいる。iモードの開発チームの一員だったNTTドコモの笹原優子氏だ。笹原氏は、iモード以前に同社の「モバイルZ」に携わっている。モバイルZは、シャープのペン入力タイプのPDA「ザウルス」のドコモ版OEM製品だ。iモード登場前夜のドコモ製品は、携帯電話と文字入力用のハードウェアを接続して通信するスタイルが多かった。モバイルZは「10円メール」を搭載し携帯電話と接続してメールを送受信する利用スタイルだった。また「ポケットボード」(※1)もそうだ。

・携帯電話が目指したもの

 携帯電話とPDAの双方に製品開発者として携わった笹原氏は、携帯電話をPDAのようにしたいとは考えなかったという。
 「携帯電話はいつも持っているものです。それに対してPDAはわざわざ持つものです。知識も技術もある人が購入するのでエラーメッセージにテクニカルな用語が出てきても戸惑うユーザーは少ない。エンドユーザーが使うにはハードルが高いのです。携帯電話はPCさえ使ったことがない人が初めて持つ端末です。エラーメッセージの文言やメニューの作り方で重視したのは、わかりやすさです。いやにならない、アレルギーをもたれないような形を目指しました。」
 二種類の機器の間には、ユーザーへの配慮という点で大きな違いがあったわけだ。その上でメールやインターネット(当初はiモード用サイト)への接続機能で乗り換え案内などの各種サービスを使ってもらうことでiモード携帯電話は定着し、やがて他の携帯電話キャリアの競合製品の登場を促すことになっていく。iモード自体もサービス開始から半年を過ぎた99年8月にユーザー数が100万人を超える。
 開発当時の笹原氏の視野には、意外な形で手帳も含まれていた。
 「大手ドーナツチェーンの景品の一番人気は手帳です。付属のシールを使い分けて貼るのが楽しいですよね。これを携帯の中でどうやって実現できるかも考えていました。」
 現在の携帯電話には多彩な絵文字が内蔵されている。また異なるキャリア間でも文字化けがないような工夫も各社間の協力で実現している。これなどは、携帯電話のヘビーユーザーである女子高生の影響かもしれない。かくしてかわいらしい絵文字が内蔵されるようになった。これをスケジュール管理画面に使うことももちろん可能だ。
 彼女たちの愛用アイテムを研究した結果が、間接的とはいえ携帯電話が手帳として使われることにつながったとも言えるだろう。

・時系列でイベントを記録

 現在のiモード携帯電話は、より多機能な機器に成長した。スケジュール管理機能やアドレス帳など、手帳を代替しうる機能を持つ。それ以上に、カメラでありテレビであり、財布やクレジットカードですらある。これらの機能は、液晶ディスプレイとメモリーという基幹部分にFelicaチップ(※2)やCCD、ソフトウェアを積み重ねることで実現されている。それは、PDAがなしえなかった姿でもある。
 iモード携帯電話は手帳としてもより高機能な形を追求しつつある。
 その一つはサーバー上にユーザーのデータを管理する機能である。メールや内蔵デジタルカメラで撮影した画像、それにアドレス帳のデータなどを携帯電話本体に保存するだけではなく、インターネット上のディスクストレージに保存する。
 従来、デジタル機器のデータは水没すると読み出しは不可能だと言われていた。その点では、多少ぬれても文字が判読できる紙の手帳が勝っているとも言われていたのだ。
 ところがサーバーにデータを保存するこのサービスは、この問題をクリアしている。この点でも紙の手帳をしのいだと言える。

・時間軸をスクロールして過去と未来を見る

 また、内蔵のアプリケーションも進化している。NTTドコモのSONYの最近の機種では、時間軸を基準としてメール送受信、電話発着信の履歴を、画面上に表示できる。カレンダー上に内蔵デジタルカメラで撮影した画像のサムネイルが表示され、選択すると大きく表示される。
 まだ登場していない機能としては、内蔵スケジュール機能とWebとの連動がある。
 大手の検索エンジンが提供しているWeb上のスケジュール管理機能は、パソコンでも携帯電話でも見ることができる。この種のものが携帯電話の内蔵スケジュール機能と連動すれば便利だ。
 コンセプトは違うが、似たような機能はiアプリ(※3)として提供されている。レンタルビデオ店の会員向けiアプリでは返却日前日にスケジューラーに書き込む機能を持っている。また同じことをメールで教えてくれるサービスもある。一部の銀行でも、支払日や振込日をiアプリやメールで通知するサービスがあるという。
 これらは、サービスを提供する企業のiアプリへの対応姿勢によって機能が拡充する例だ。従来は手帳に自分で書き込んでいたことが、企業の提供するサービスとしてではあっても自動で携帯電話上に集約されていく。これも紙の手帳では決して実現できないことだろう。
 携帯電話は手のひらに収まるサイズと、簡単な操作性を武器とし、市場の大きさを直接の資金源としてきた。その上で内蔵のソフトウェアとインターネット接続機能によって、機能をどんどん拡充させてきた。それは、紙の手帳はおろかPDAすら及びもつかない次元に到達しているのである。

※1
小型の液晶ディスプレイにキーボードを組み合わせたメール専用の機
※2
SONYが開発した非接触型ICカード。当初はカードとして登場したが、同じ機能を持つチップを携帯電話に内蔵させることもできる。決済システムや定期券に利用されている。
※3
携帯電話内部にダウンロードして使うソフトウェアの一種。起動中に待ち受け画面に表示させ、通信圏内であれば情報を受信・表示できる。
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