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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第112回 『磯部磯兵衛物語』 仲間りょう(集英社)

『磯部磯兵衛物語』 仲間りょう(集英社)(c)仲間りょう/集英社 既刊1巻

 高校までは発売日を待ちわびてむさぼるように読んでいた少年マンガ誌を買わなくなり、興味のある作品だけ単行本で買うようになって幾星霜。……そんな私でも、噂は聴いていた。少年マンガの王道ど真ん中の『週刊少年ジャンプ』で、奇妙なギャグマンガの連載が始まった、と。

 なんでもこの21世紀に、絵柄は浮世絵(!)風なんだとか。そんなインパクト抜群の作品が、このたびめでたく単行本にまとまった。それが本作だ。


 言うまでもなく、ビジュアル表現であるマンガにとって、絵柄はとても重要な要素だ。だから、いま歴史物・時代物をマンガで描く場合は、風俗などは当時のものを踏襲しつつも、「現代を生きる読者に、自分にひきつけて読んでもらう」工夫として、「現代のマンガとして魅力的な絵柄で、当時の人物を描く」という手法が主流だろう。つまり、「いまのマンガの絵柄で、古い時代のものごとを描く」わけである。

 フランス革命前後の時代を描いた名作少女マンガ「ベルサイユのばら」や、三国志を独自の解釈で綴る「蒼天航路」、幕末の新選組をモチーフとしたマンガ作品などは特に数が多く、手塚治虫「新選組」や、いまも連載中の渡辺多恵子「風光る」まで、その例は枚挙にいとまがない。そんな中、本作の手法はまさかの逆転の発想である。「いまの絵柄で(歴史的に)古いものごとを描く」という歴史・時代ものマンガのセオリーを反転させ、本作ではなんと「古い(浮世絵風の)絵柄で、いまのメンタリティを描い」ているのだ。


 というわけで、本作の主人公たる磯部磯兵衛は、私たちがなんとなく「浮世絵といえばこういう感じ」と考えているあの絵柄(っぽい感じ)で描かれているのである。

 そんな磯兵衛は、花のお江戸で武士をめざして修行中……と言いつつ、やってることといえば親に隠れて春画を見ようとしたり、いかに学校をサボろうか苦心したり、ただただ畳に寝そべって楽な姿勢を追求したりとひたすらダラダラと日々を送っている若者だ。磯兵衛のグダグダ生活が成り立つのは、仮にも江戸という長く安定した時代の背景があればこそ(戦国時代のような厳しい環境では、こんなことはやりたくてもできないだろう)。

 そんな彼の生きる江戸という時代は、我々が今生きている現代――経済の成長がすっかり止まってしまった閉塞感や微妙なきな臭さはありつつも、「若者が親に寄生していれば、なんだかんだいって餓死はしないでそこそこ生きてはいける」という奇妙な豊かさをはらんでいるいまと、大きく見れば似ているのかもしれない。

 そして、立派な武士を目指すと口では言いつつ、春画とかモテとかダラダラすることしか考えてない磯兵衛の姿も、まったくもって私たちの周囲にいそうな人物像である。新しい酒を古い革袋に入れる、という言葉があるが、古い革袋(浮世絵風)に、安い発泡酒を入れてしまった、そんなかんじの作品とでもいおうか。しかしこれは「酒も袋も台無し」的な意味の言葉だった。たとえないほうがマシだったといえる。申し訳ない。


 絵柄の話でいうと、第2話に出てくる宮本武蔵の亡霊もすごい。なんと、今に伝わる有名な武蔵の肖像画そのまんまなのだ。

 現代マンガの魅力的な絵柄で(時代物としてタッチの工夫などもこらしつつ)、武蔵というキャラクターを描こうとした井上雄彦「バガボンド」とは、まさに逆の発想。

しかも、主人公の磯兵衛もそうだが、「浮世絵風」、「肖像画そっくり」と言いつつも、絵はなんというか、独特に…ゆるいのである。だが、その「ゆるさ」がほめ言葉になるのが、ギャグマンガというものの不思議さだ。仮に本作が、過去の浮世絵や肖像画を緻密でかっちりした絵柄で正確に描いてフィーチャーしたものだったとしたら、それはそれでどことなく読み手に「鑑賞させて頂きます」的な窮屈さを強いてしまうだろう。ギャグとして、この絵柄のゆるさは、とてもいい塩梅の「正解」なチョイスなのである。


 さらに、第十話「お犬様で候」に出てくる、「生類憐れみの令」のせいで城で多くのお付きの者にかしずかれる「お犬様」の姿には衝撃を受けた。ぜいたくだけど自由のない生活に、はりあいをなくし無感動(な犬)、というのを表現しているのだと思うが、うつろな目はともかくとして、犬をこんな風に(まったくかわいくなく)描く、というのは、ある種のすごいセンスの持ち主、としかいいようがない。一度見たら忘れられない造形なので、騙されたと思ってちらっと見てみて欲しい。


 ところで、この作品が話題になるとき、必ずふれられるのが作品内の、江戸の町で磯兵衛を見かけた徳川15兄弟将軍のこの台詞だ。


「アイツ…頭高くない?」
「どうする兄ちゃん 処す?処す?」


「頭が高い」は、もはや時代劇でしか耳にすることもない「無礼」の表現だが、これを「アイツ…調子こいてね?」と同じようなニュアンスで「アイツ、頭高くない?」と言い放ち、さらに「処す?処す?」という、権力者故の文字通り「上から目線」で、相手の命に関わりかねない深刻な提案のはずなのに超ライト口調。一応時代ものでありながら、登場人物の口調は思いっきり軽い現代調、というバランスが、えもいわれぬおかしさ。まさにこの台詞には、本作の面白さのエッセンスが凝縮されている。


 ところで、この相談をしている「徳川15兄弟将軍」。

 当たり前のように「15兄弟」と書いたのだが…そもそも、徳川15代って、15兄弟って意味じゃないから!

 兄弟じゃ、すぐ治世が終わっちゃうから! 200年以上続かないから!

 ……と、誰しもがつっこまずにいられないと思うのだが、15代を15兄弟に変換するのがザッツ磯部磯兵衛センス。

「ま、コレそおゆう世界なんで、目くじらたてずにひとつ」という作者からのメッセージとして、肩の力を抜いて楽しむのがお作法というものだろう。


 さらに、磯兵衛が春画好きなので、葛飾北斎の春画を描くときのペンネームが「鉄棒ぬらぬら」だとか、どこで披露していいのかわからない怪しい豆知識も身について、お得感もあるのもなんだか嬉しい部分だ(それにしても北斎先生のネーミングセンス、マジ200年早すぎる…!シビレました)。


 未来を思い煩うことなく、地元に密着して日常生活をそれなりに楽しんでいる磯兵衛の行動範囲はけっして広くないし、偉大な部分はかけらも(なさすぎるほど)ないのだが、「エッチな絵(春画)が見たい」とか「モテたい」とかいう卑近なことばかり考えてるボンクラ男子の日常を「絵柄を浮世絵風」にして時代と舞台を江戸にすると、こんなに新鮮なギャグマンガになってしまうとは、まったく嬉しい驚きである。いわば江戸版「地獄のミサワ」といったところだろうか。

 単行本にまとまった今が読み時である。脱臼するほど身体と脳の力を抜いて楽しんでみて欲しい。

 私も日常の中で腹に据えかねることがあったら、「どうするあいつ 処す?処す?」と将軍気取りでひそかに身近な人につぶやき鬱憤をはらすなどして、部分的に磯兵衛センスを取り入れつつ、ゆるく楽しんでいきたいと思う次第である。




(2014年3月6日更新)





(川原和子)  

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