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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第108回 『プリンシパル』いくえみ綾 (集英社)

『プリンシパル』 いくえみ綾 (集英社)(c)いくえみ綾/集英社、全7巻

 う・ま・い・ぞ――!!!

 思わず往年のグルメマンガの台詞みたいな書き出しになってしまった。いや、本当にうまい!巧い!上手い!

 ベテラン作家・いくえみ綾の手腕にしみじみと感じ入ってしまう。そんな本作なのだ。


 ……と言うとひねった(難解な?)内容を想像されるかもしれないが、基本は、極めて少女マンガ的な王道設定。


 高校生の糸真(しま)は、「色々な事情」で東京から北海道へ転校してくることに。が、そこで出会ったのが和央(わお)と弦(ゲン)というタイプが違う二人のイケメン男子。家が近所だったりで二人と親しくなるうち、いままである理由から恋愛に距離をおいていたのに、糸真は和央を好きになってしまう。だが糸真は、和央や弦というモテ男子と親しげな彼女を快く思わない女子たちから不穏な扱いを受けることになる……。


 学校のモテ男子(いわばプリンス的存在)と仲良くなり、他の子の羨望のまなざしを一身に受ける……というのは、少女マンガ的にはよくある設定。しかもなんと、意中の和央と、ヒロイン・糸真は物語の中盤で「家族」になり一つ屋根の下に暮らすことになるのだ。作中でも言われているとおり「同い年の弟?」「なにそれマンガ?」というドラマティックな、だがある意味では超定番展開ともいえる。


 その一方で、本作には一筋縄ではいかない「ひねり」もいろいろと仕込まれている。

 もっとも大きな「ひねり」は、主人公の糸真の恋愛が、まったくうまくいかないことだ。

 いやもちろん、「恋がうまくいかない」こと自体は恋愛ものの王道なのだが(うまくいきすぎると話が終わってしまう)、本作ではなんと、気がつくと糸真は、主人公なのに作中の恋愛関係からはじき出されてしまうのだ!単行本5巻のオビには「主人公 青春傍観中!」というミもフタもないコピーがあるほどだ。ぼ、傍観中って……お、掟破りすぎる……!

 そもそも本作のタイトルは「プリンシパル」。プリンシパルとはバレエ団のトップ階級にいて、基本、演目の主役しか踊らないダンサーを意味する言葉……いわば「ザ・主役!」なタイトルなはず。なのにヒロインにこの仕打ち。完全に意図的な「ひねり」なのだ。

 しかも糸真は、東京の女子校でハブられ(=仲間はずれというイジメにあい)、家庭では3人目の継父とうまくいかず、札幌の実の父のところへ引っ越してきた、という経緯が語られる。恋多き母にふりまわされ、自分はそうなるまいと思っていた(これが彼女が恋に距離をおいていた「理由」だ)にも関わらず、恋に「落ちて」しまう糸真。

 でも、惚れっぽい母のことも、父の新たな恋も、糸真は(内心複雑ではあっても)拒否はしない。かつての少女マンガでは、子供にとって大問題だった「親ってのは子供のために親としてだけ生きてるんではない」こと、親が完璧でもなんでもない一人の人間であることは、本作ではもはや「そういうものだよね」という前提となっているのだ。つまり従来の価値観からいうと、大人がちょっと子供っぽく、子供がちょっと大人っぽい(大人っぽくならざるをえない)のだが、その感じはなんだかとても「イマの本当」っぽいなあ、……と感じる。

 糸真が一貫して女子同士のなかで「ハブられる恐怖」に強くとらわれ続けているのも、今のティーンを描いたマンガ作品に通底する部分で、とってもイマドキっぽい。だが、作者はなんと35年近く第一線で活躍しているベテランマンガ家なのだ。にも関わらず、台詞やキャラクターの服装、そして行動原理も不思議なほどちゃんと「今」な感じで、しかもそこに無理してる感じがない。その古びない感受性と描写力は驚異的なのだ。

 
 また、マンガ研究者のヤマダトモコ氏は「いくえみさんは、人の心の洒落にならない暗ーい部分をきちんと描く人」であると語っているが(『マンガ論争Vol.8』p.74)、本作でもその持ち味は健在だ。「親の再婚でステキ男子と同居することになってドキドキ!」な夢設定を用いつつ、嫉妬心からハブにされたり、貧富の問題もあったり、恋敵を知らず知らず値踏みしたり……そんな人の心理のドロドロした部分も避けないで織り込まれている。これが行き過ぎると人によっては読むのがつらいことになるのだが、その抑制のきかせ方もまた見事。終盤、恋愛のダークサイドに突っ走ってストーカー的行動に走ってしまう人物が描かれるが、そういう人物を切り捨てて終わりじゃないところもいい。


 そして全編を通して、作者のニュアンスを描く手腕にはただただ脱帽という心境になる。特筆すべきは絵柄。きちんとイマ風に更新しつつ、ときにヒロインが鼻水を出しちゃうくらい「写実的」な描写をしても破綻しないという希有な絵柄なのだ。さらに、「ふっくらした人が、やせる」みたいな描写も抜群にうまい。記号的に「やせてきれいになる」というのではなく、「これ7キロくらいやせた?」みたいなところまで感じさせる巧みさ。こんな絵が描ける人はなかなかいない。女子の「ちょっとさえない」とか「友達のほうがちょっと美人」みたいなニュアンスまで見事に表現しているのだ。うまい。うますぎる……!それでいてイケメンはイケメンとして魅力的にきっちり描き分ける。うっとりとシビア、この両方を併せ持つすごさ!

 物語の語り口にも工夫がたくさんあり、しかも読みにくくはない。複雑な糸真の家庭環境もすごろく風にさらりと説明してみたり、同時進行のドラマを上下で同時に進行させてみたり、ときに犬の視点(!)から語ってみたり、「変幻自在」と言いたくなる。ある意味でさんざん語り尽くされてきたような感情を表現するのに、シチュエーションと台詞でこんなに新鮮になるのかぁ!と何度目かの「うまいなあ!」というほめ言葉が脳裏をよぎる。長いキャリアに比してあまり作品が実写化・アニメ化されてこなかったいくえみ作品だが、理由の一つは「このニュアンスを、他のメディアで表現するのがとっても難しい」からでは、とさえ思えてくる。


 恥ずかしながら、私は長年、いくえみ作品のよい読者ではなかった。かつて作者が活躍した『別冊マーガレット』は、少女時代の私にとっては今で言う「リア充女子の読む雑誌」と感じられ、オタク(という言葉はなかったが)的嗜好の持ち主だった私にとってはちょっと気持ちとして遠巻きにしている雑誌で、そこで活躍されていた作者の作品も、あまり熱心に読んでこなかった。が、それはとってももったいないことだった、と改めて思う。

 本作は、甘〜い「少女マンガ的夢設定」を用いつつも、同時に、人間の明るい面も暗い面もまるごと描く、というビターな味わいとが、絶妙のハーモニーを奏でている。全7巻。私同様、これまでいくえみ作品と縁がなかった人も、手に取ってみて、さらっと楽しむもよし、さりげなく凝らされる技巧に「う・ま・い・な――!」と呟いてみるもよし。本作はそんな贅沢な作品なのである。

 さらにいくえみワールドを堪能したい方には、映画も公開中(2013年10月26日公開)の『潔(きよ)く柔(やわ)く』もぜひ。ダーク方面を味わいたい方は大人のW不倫というドロドロした関係を独特の筆致で鋭く描く『あなたのことはそれほど』もあります。

(2013年11月5日更新)





(川原和子)  

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