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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第107回 『三文未来の家庭訪問』 庄司 創(講談社)

『三文未来の家庭訪問』 庄司 創(講談社)(c)庄司 創/講談社

 サイエンス・フィクション、略称SF。
 小説はもちろん、映画・アニメ、そしてマンガにも傑作が多いジャンルだが、私のような頭の作りが雑な人間にとってはちょっと敷居が高くもある。というのは、あまりにも設定が作り込まれていたり、登場する細かな機械類(たとえば兵器など)の情報が多すぎたりすると、わが貧弱な脳みそは、型の古いパソコンのごとく情報の処理速度が遅くなり、ついにはフリーズして「うう…わからん…」と作品を読み進められなくなるのだ。そんな恥ずかしいSF音痴の私が、一読してあまりにも衝撃(それもさわやかな)を受け、気がつくと周囲の人にすすめまくってしまった希有なSF作品。それが本作だ。

 それぞれ設定の違う短編が収録された一冊である。一人の男が死の直前に宇宙人のつくった「人生完結センター」で地獄の苦痛を味あわせると告げられる「辺獄にて」、遺伝子操作され、子どもを産める男子が登場した未来を舞台にしたデビュー作「三文未来の家庭訪問」、はるか古代の生物を擬人化し、その争いと信仰を描いた「パンサラッサ連れ行く」の三作品だ。どれも面白いが、特に表題作「三文未来の家庭訪問」には、作者らしいエッセンスがぎゅっと詰まっている。そのエッセンスとは、非日常的なぶっとんだ設定を、日常的な描写で語ってくれるところだ。だから親しみやすく、それでいて提示された世界がもたらす「もし」は私たちの生の根幹とつながっていて、深く心にしみる。そのバランスがとてもいいのだ。

 この作品集の表題作は、「遺伝子操作で<子どもが産める男>が登場し、家庭相談員が個別に家庭を訪問し相談にのる未来社会」を舞台にしたお話だ。明らかに、いまの世の中とは違う社会である。こう聞くと、「どんな未来社会だろう?」「設定が複雑で物語についていけないのでは?」と私などはドキドキしてしまうのだが、作者の描くちょっと未来の世界は、私たちの知っているこの社会と一見、あんまり違わない。団地があり、大人は働き、子どもたちは学校に通う。ただ、社会を円滑に運営するために家庭相談員が家庭を訪問するところがいまとは違う。
 家庭相談員が担当する子どもの将来の納税額が、相談員の年金に反映されるので、このお話の主人公の<将来は子どもを産める男子>・リタ少年を担当するカノセさんは、高値のつかないリタの担当を最初はひそかに嫌がる。しかしそんなカノセさんも、直接接しているうちにリタやその両親の柔軟な適応力を評価するようになる。育児に優れた資質をもつ男性として生まれたリタという少年は、自己肯定的で心優しく、打ち解けづらい大人とも粘り強くコミュニケーションする聡明さ、そして人の危機的状況にはかなり大胆な行動をとる勇気もあわせもっている。要するに、「理屈と感情のバランスがとてもいい人間」なのだ。そもそも、リタたちが所属していた団体の代表が遺伝子操作で<産める男性>を作った理由も、社会の変化に追いつけない男性の身体能力の偏りが生み出す数々の社会問題を解決するためだったことが物語の終盤、明かされる。
 本来は気が遠くなるような長〜い時間をかけて自然に起こるような人類の変化(進化?)を、遺伝子操作という科学技術によって強引に起こした、という「設定」は、かなり大胆で過激だ。だが、リタが体現するヒトの<進化>した像は、うん、これはなかなか悪くない<進化>じゃない?と思わせてくれる。作者の、ハードな設定をドラマとしてソフトランディングさせる手腕がすばらしいのだ。
 そして庄司ワールドの人たちは、あたりは柔らかくても実はけっこう理屈っぽい。「三文未来…」でリタをいじめる男子たちも、「なぜ自分がこいつをいじめるのか」を理路整然と説明したりして、なんと大人っぽい小学生!と驚いたが、でも不自然というのとはちょっと違う。おそらくは世界のしくみを、人の感情も含めて適度に整理し、その先を描くための作劇法なのだろう。
 そして、作者のどの作品にも共通すると感じるテーマがある。それは、「人をこの世につなぎとめるものは何か?」という問いだ。このテーマが根底にあることによって、作者の作品はつねに(ときに人ではないような形をとったとしても)人間ドラマとして展開し、私のようなSF音痴でも、作者の提示する世界にすっと入っていけ、その物語を楽しめるのだ。
 絵柄はきわめてシンプル。そこに物足りなさを感じる人もいるかもしれないが、凝った絵柄のSFだと情報を処理しきれないタイプの読み手(つまり私)にはむしろ、ちょうどよい負荷のSFライドをさせてくれるありがたい新人作家の登場である。
 「三文世界…」のリタに象徴されるように、作者の提示する世界は理屈と感情のバランスがとてもいい。理屈っぽいと言っても、理屈で感情をねじふせるのではなく、いわば感情は感情として受け止めながらその先に進むために、「理」が存在する…という世界だと感じる。だから、一見過激な危機的状況が描かれたりもするのだが、「どう展開するのか?」とわくわくしながらも極度に暗い気分にならず読み進められるし、読み終えたときには、時空をこえた精神の旅を終え、遠い世界から帰ってきた開放感によって、自分が住む世界が前とは違って見えるような気分になれるのだ。
 話によっては数億年をとびこえることになるのだが、この「今いる現実世界からジャンプできる(時間・空間の)距離の大きさ」と、そのフィクションへの精神的ダイビングから戻ってくることによってもたらされる「読み終えたときの新鮮な気持ち」はまさに、SF作品の醍醐味じゃないかな、と感じられた。
 その旅の中の情報が多すぎると脱落しそうになる人にも、シンプルな絵柄と整理された語り口で読み手に過剰な負荷をかけることなく、SFの真髄を楽しませてくれるのが本作だと思う。私のように「あんまり絵として凝りすぎた印象のSFは苦手かも」「でも、目から鱗が落ちるような読書体験はしたい」というちょっとSF苦手な人にこそ、ぜひとも味わってみてほしい!と奨めたくなってしまう。これは、そんな1冊なのである。
(2013年10月7日更新)





(川原和子)  

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