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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第99回 『リバーサイド・ネイキッドブレッド』有間しのぶ(祥伝社)

有間しのぶ(祥伝社)(c)有間しのぶ/祥伝社

 昔から微妙に不調がちなせいか、「身体というのはままならないものだなあ」という意識が強い。暑さ寒さ、痛み、ストレスなどなどあらゆる小さな出来事からくるエラーをいやになるくらい律儀に反映するし、そもそも「生まれつき」の体質、という変更不可能な要素も大きい。だからといって脱ぎ捨てまーす、というわけにもいかず、だましだましつきあっている感じである。

 もちろん、自分のものながら「心」もまた、なかなか思うとおりにはならない。やらなきゃいけないことを好きになれなかったり、馬力をかけて集中したいときにへたれてみたり。まして、人を相手の場合はなおさら、近くにいなくてはならない相手に苦手意識をもってしまったり、障害の多い相手を好きになってしまったりもする。

 本作『リバーサイド・ネイキッドブレッド』は、そんな「身体」と「心」のままならなさに悩む中1の女子を中心とした四コマ形式の群像劇マンガだ。

 森泉いぶきは中学一年生。家族と同じように毛深さを増してくる身体が悩みの種の彼女は、近所にできたパン屋のきれいなお姉さん・リルにひそかに片想いしている。自分は子どもで相手は大人、しかも女同士、という望みの少ない恋なのにあきらめきれず、店に通い続けてしまういぶき。

 いぶきの中学の男友達・犬井は、ひょうひょうとしてつかみ所がないけどなんとなくいぶきと仲良し。そんな犬井も、これまた大人の女の人に片想い。犬井のアタックはすげなくかわされるが、彼はまったくめげない。

 一方、いぶきが思いを寄せるパン屋のリルは、大学の同級生で今はパン屋を一緒にやっている穂刈からずっと想われているが、リルは彼に友達以上の感情をもてず、これまた穂刈の片想い、という関係だ。…とまあ、本作ではいくつもの片想いが並行して描かれていく。

 そんなこの作品の特徴は、通常(特に女性向けの作品において)、「恋」を描く際、心と身体はあまり分化して描かれないことが多いが、大胆にも、心と身体を(言い換えれば「人間関係」と「性」を)分けて描いているところだ。

 いぶきは犬井と最初に出会ったとき、生々しく(性的に)相手を意識する。それなのにちょっと話をするとお互いに「あれ? なんか……ちがうかも」というかんじで友達に落ち着いてしまう。いぶきの友人の美少女・千毬は、ごつくて毛深いいぶきの兄の手を見て、彼のことを意識し始める。いぶきの兄はいかつい外見とは裏腹に中身は心優しいナイスガイだが、それは結果としてそういう人だった、ということで、かなりハッキリと千毬は「外見から入って、彼を好きになった」ことが描写されている。恋のいわゆる「生理的」な部分を、作者はおそらく意識的に描いているのだ。

 これはけっこう冒険で、描き方によっては嫌悪感をもたれてしまいかねない微妙な部分だと思う。だが、本作ではさりげないデリカシーとユーモアでたくみに「ああ〜そういうものかもね」と腑に落ちる描写になっているのだ。

 リルがやっているパン屋は、大学時代の同級生・穂刈が店長で資金も彼が出している。その資金は宝くじに当たったもので、穂刈はなんの見返りも期待せずにリルがやりたがっていたパン屋をやるために自身も会社を辞め、彼女を支え続けている。もどかしいくらいの純情一途な片想いっぷりなのだ。

 一方、学校ではなんとなく正体不明な人気者の犬井は、家庭に大きな問題を抱えていた。幼い妹は母親から放置され、その母親は絶えず中学生の犬井に自分の不安をぶつけてきて、自らの命すら絶ちかねない不安定さだ。父はそんな彼らを見て見ぬふりで、犬井は日記すら自宅には置いておけずに友人に預けている状態なのだ。一見マイペースな犬井だが、精神的には実はギリギリのところで危うい綱渡りをしている。

 犬井が思いを寄せる女性・伸子は、私生活では思い合って結婚した相手と半年で離婚といううまくいかなさだけど、犬井の危うさを敏感に感じ取っている。そしてギリギリの犬井が自分の家のかなり危機的な状況を淡々と語り「でもこんなの普通だろ?」と言うと、彼女はまったく動じず「うん普通」と返す。自分のヘビーな状況を彼女に特別扱いされなかったことで、犬井は状況は変わらないけれど少し救われたりするのだ。

 ほんわかとしたユートピアのような美味しいパンを売るパン屋、そして一方に絶望的な家庭でサバイバルしている中学生。物語的にみると、なんだかひどくつらい面を子どもが担当してポエム的な部分を大人がになっているようにも思える。

 が、一冊読み通してみるとこの話にこめられたのは「未来は選べる」というメッセージなのかも、と思えてくる。人にはいろんな面があり、家庭人としては失敗しがちな人が、実は別のスキルで他の人の大変な状況をを少しずつ変えてくれたりもすることが描かれるのだ。

 本作に登場するのは好感の持てる人ばかりではない。いぶきの母の友人である戸黒という女性は、悪意と自己中心的な部分をどんどん増長させていき、周囲を困惑させている。彼女のように自分の心がけ次第では、悪意のスパイラルに入っていく未来も選べてしまう、と思うとちょっと怖い。でもそんな彼女のことを他人が「あの人ブスですね」と断罪する発言を聞くと、戸黒の同僚である別の女性は「あの発言ちょっと怖かった」「悪口というより呪いの呪文みだいだった」と感じる。好きじゃない人のことでも他の人がばっさりと斬る発言を聞くとなぜか自分がダメージを負ってしまうこともたしかにある。そんな描写が登場する部分にも「アクの強い人、好きになれない人をどう見るか?」ということに関して、斬り捨てて終わりではないデリカシーを感じるし、その後、その女性が「心を温泉にいれよう」とネコカフェで「猫浴」状態になって、心を回復させる展開にも「あはは、ありそう」と、ちょっと笑ってしまった。

 あるとき、いぶきにとって聖域であるパン屋に、母の友人の戸黒がやってきて無神経にかきまわしていく。見るからにしょげているいぶきに、リルと一緒にパン屋をやっている真文という女性は「リルは他人に興味ないから 気にしなくても(大丈夫)」とフォローする。水のようにサラサラして涼しげなリルは、一方で誰とも深く関わらない人でもある。でも「それは欠点じゃなくていいところね」「いろんな人がいていいでしょ?」と真文は言うのだ。

 本作には、あまり一般的とは言えないさまざまな嗜好をもった人が登場するのだが、そのことを通して感じるのがまさにこの「いろんな人がいていいでしょ?」ということだ。苦手な人の悪意をどうかわし、大きく欠けた部分のある肉親とどう生きていくか。そういうことも含めて、「いろんな人がいていい」と大きく肯定して前を向いていきたいし、そうできる。そんな気持ちにさせてくれるのだ。

 いぶきの母は趣味が高じて雑貨店を経営している、肩に力の入っていない素敵な女性だが、思春期のいぶきにとってはどこか煙たく自分の世界に立ち入らせたくない存在でもある。同性のリルへの報われぬ恋心に悩むいぶきは、戸黒が自分の母に「同性愛は自然に背く」と言っているのを耳にするが、母は「自然界が異性愛も同性愛も創ってるってことは 自然は繁殖より愛を重要視してるのよ」とさらりと反論する。

 戸黒はいぶきの母の発言を「きれいごと」と言い、いぶき自身もそう感じるが「でも うちのお母さんが きれいごとや理想論をさらっと実現させるの たくさん見てきた」とも思うのだ。

 どんな母でも娘にとってはときに(その「素敵さ」すら)うざったかったりもするが、反抗されつつも適度にスルーするお母さんはさすがの大人力だし、肝心なところで「それでもいつかたどりつきたい理想論」を気負わず言ってくれるいぶきの母は、かなりかっこいいお母さんなのだ。

 後日談を含め、「完璧な人なんていないし、大人もそんなに立派なわけじゃない」ことや、でも「すべての事情をわかりきらなくても、存在が人を暖めてくれることもある」と感じさせてくれる。絵柄はどちらかというとシンプルだけれど、性を含めた人の本能や本質に踏み込みつつも、川沿いのお店の焼きたてのパンの香りが全編に漂う、そんなさわやかさとあたたかさをたたえた1冊だ。


(川原和子)  

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