おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』 タイトル画像

おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第96回 『君の天井は僕の床』鴨居まさね(集英社)

(c)鴨居まさね/集英社/既刊3巻(c)鴨居まさね/集英社/既刊3巻

 幼い頃、恋愛って、美男美女だけがするものと思っていた気がする。アホみたいな思い込みだが、要するに「世界中の異性のなかから一人を選ぶって……すごい!」「ってことは、すっごく優れてないと選んでもらえないから、美男美女じゃないと恋愛とか結婚とかできないのでは」と単純、かつ真面目に考えていたのだと思う。

 さすがに長じてからは、恋愛も結婚もそんな天下一武闘会の勝者(?)同士がするようなものではなく(そーゆー人もいるけれど)、もっといえば「容姿や性格が優れていれば優れているほどいい」ってもんでもなく(ハイスペック過ぎて疲れるってこともある)、一番大事なのはお互いの「相性」…なんていうこともわかってきて、「うまくできてるな〜」と感心した。

 そして、人同士の関係って、基準が「優劣」だけじゃないんだな〜と胸にすとんと落ちてから、世界が前より少し、自分にとってやさしく感じられるようになった気がする。

 本作は、私が生きてきて学んだ「恋は、美男美女だけがするものじゃない」というトーゼンの真理を、そしてさらに「恋は、若者だけがするんじゃない」ということを、「それってなかなか素敵なことだ」と感じさせてくれる作品だ。

 デザイナーのトリさんこと鳥田まりさん(42)は、ウシちゃんこと潮田茅子さん(30代)と一緒にちいさな雑居ビルに事務所を構えている。3階のオフィスからは直接屋上に出られるはしごがあり、近所のビルの飼い猫フミヤがそこからやってきたりする風通しの良さ。よく屋上にいる本間さん(41)はトリさんのことが好きみたいだけど、独身同士の二人の恋はなかなか進展しなくて、もどかしくもなんだかほほえましい大人の恋模様を中心にさまざまな人間関係が描かれていく。

 アラフォーのトリさんは老眼鏡愛用者だけど、特に老化を嘆き悲しむ風でもない。老眼鏡を家と会社両方に置いておけば便利、と自然な感じで受け入れているチャーミングな女の人だ。そして40代とはいえ、高所恐怖症なのに屋上にあがれるようになるとか、花粉症デビューとか、悲喜こもごもの「新しい体験」も描かれる。当たり前だけど大人はある日突然大人になるんじゃなくて、「そうそう、こういう日々を重ねて41歳になるんだよねぇ」と思わせてくれる。

 他にも魅力的なキャラクターが複数登場するが、なかでも、トリさんのオフィスがあるビルの1階のつけ麺屋さん、そこで働くぽっちゃり女子・星川さん(アラサー)の恋のお話も楽しい。働き者の星川さんのお相手は、23歳のおっとりしたイケメン大学院生の神田くん。星川さんは美容のためにダイエットする気はまったくなく、好きな高カロリーな丼やスイーツを食べる気まんまんなのだが、高脂血症と診断された彼女の身体を心配して食事に気をつけるようあれこれ助言するのは神田くんの方。「優しく気のまわるかわい子ちゃん」が男子で、「たくましく細かいことは気にしない」のが女子、と一般的な価値観からは役割が逆転したカップルなのだ。作者の代表作・「雲の上のキスケさん」でもこういう逆転が随所に描かれたけれど、こういったことを嫌味なく描けるのが、作者の素敵な持ち味だと思う。

 私自身(44歳)もマンガを読もうとすると「字ちっさ!!」とトリさんと同じようなことを叫んでしまうことが増えてきた。そんなとき、つい「老いは悲しいこと」として嘆いてみせる、というのがなんとなくのお作法のような気がして深く考えずそうしてきたけれど、歳を重ねるのは「当たり前」のことでそれ以上でもそれ以下でもないんだな、とこの作品を読んでいると思えてくる。

 美男美女でもなく、太りすぎだったり持病があったりいいトシだったりしつつも、仕事をしたり飲み会したり恋をしたりと「ちょっぴり嬉しいできごと」を大事にしながら生きている人たちの生活が描かれていて、それがつらそうだったりくたびれ過ぎていなくて、なんだかとても「いい感じ」なのだ。

 本作は、扱っている題材も登場する人々も基本的に「少女」はほとんどいないし「少女マンガ」っぽくはないはずだけど、なぜか私は本作を「少女マンガ」っぽいなぁ〜と感じる。それは、絵柄のかわいらしさはもちろんだが、気持ちを丁寧に描いていること、そして特に恋を含む「ときめき」の要素の入れ方がうまいからだと思う。

 たとえば、その人らしいモチーフを彫り込んでくれるはんこ屋さん。職人さんが手作りしてくれるサプライズにあふれた腕時計。強度バツグンの指輪、美形じゃないけど愛嬌のある猫…。こういう「わっ素敵だな」とか「ふふ、かわいい」とか「へぇ、いいかも」と思えるものの登場のさせ方が実に絶妙で、読み終えた後の「あ〜なんか、かわいくて素敵なものを見てときめいた!」という心の満足感が(アラフォーの人々が中心のお話なのに)まさに「少女マンガ」を読んだ充足感なのだ。

 ただ、「少女マンガ的美学」から逸脱せずに女の人の老いを描くのって、実はすごく難しいことだと思う。男性の老いは「男は、シワも魅力」という価値観がすでにあるのでそれほど問題はないけれど、残念ながら女性のそれは詭弁ぽく(ううう…)なってしまうのが現状だ。絵としては若い女子と同じように描いて年齢だけアラフォーです、という表現になりがちで、それがかえって「無理に老いを隠蔽してる」感じになることもあって難しいなあといつも思う。

 この難問に作者は、女性キャラのシワこそ描かないけれど、「老いを受け入れている行動」を自然に描くことで、緩やかに老いを肯定することに成功している気がする。いや、老いだけじゃなくて、今の世の中のスタンダードからちょっと外れた人たちを、なんだかいとおしいものとして描いて見せてくれるのだ。本作は、30代、40代にも読んでニマニマしてほしい、心が温かくなる、貴重な「おとなの少女マンガ」なのだ。




(川原和子)  

Copyrights NTT Publishing Co., Ltd. All Rights Reserved.