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おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』

第89回 大久保ヒロミ『エア彼』(講談社)

(c)大久保ヒロミ/講談社 既刊1巻

(c)大久保ヒロミ/講談社 既刊1巻

 園城寺・リア・不二子は長身のハーフ美女。高校卒業後、大阪で老人にお弁当を宅配する「すみれ宅配給食」で真面目に働いてきたのだが、会社の買収で一転、東京のIT企業へ。
 誰もが一目おく華やかな美女のリアだが、幼い頃から目立ちすぎるせいでいじめられ自分にまったく自信がもてず、29歳の現在まで彼氏なし。そのつらさから、自分の脳内に妄想の彼氏(エア彼)・ツトムくんをつくり、彼との会話で孤独を癒すのだった…!
 「すみれ宅配給食」の同僚女子・京ちゃんは、リアがすごい美女なのに「モテるはずない」と思いこみ、さらに「エア彼」をつくって名前までつけていることに感動。リアにはいっそ30歳まで純潔を貫いて妖精になって欲しい、と、リアに現実の彼ができないよう、密かに独自の方向にリアを応援(?)している。
 京ちゃんとともに東京の大手IT会社に配属されたリア。「仕事頑張らなっ…!!」と必死なのだが、空回りばかり。ハーフ美女のリアの発言は、本人の意図とことごとく逆に受け止られ「男に手の早い高飛車女」と誤解されてしまうのだ。
 さらに、さまざまな偶然からイケメン若社長の秘書に抜擢され、周囲の誤解はますますヒートアップ。若者だらけの東京の会社に「60歳以下の男の人と3メートル圏内に接近したなんて10年ぶりくらいな気がする…」と、これまでの環境とのあまりの違いにビビっていたリアだが、数々のピンチを乗り越えていくうちに、若社長に胸がときめくようになってしまい…!?

 必死に頑張っている純朴なハーフの女子が、まわりからは「高飛車な色気女」と誤解され冷たい目で見られ、追いつめられて脳内の彼氏にすがっては元気を取り戻し奮闘する……というこのお話。
 描きようによっては、重苦しい悲劇や、かなり怖いサイコ・サスペンス(!)にもなりうる題材だと思うが、本作はコメディ仕立て。作者のどこかほのぼのした、とぼけたユーモアのおかげで、面白く読めてしまう。

 さらに、「脳内彼氏に心慰められる、内気な女子」という構図は、普通に考えると「現実が地味だからこそ、妄想は現実離れにゴージャス」というのが一般的だと思う。そもそもゴージャスな現実を生きてる人より、地味〜な日々を送る人の方が圧倒的多数だし、もし華やかな現実を生きているのなら現実で充足しきって、妄想の必要さえないのでは? というのがわりと常識的な考え方ではないだろうか。ままならない現実と違い、エア(妄想)だったら、どんな素敵な彼氏も創作し放題。だからこそ、女子の夢が投影されるハーレクイン・ロマンスに登場する男性達は、リッチなイケメンぞろいなのだ。
 だが本作では、ヒロイン・リアのエア彼「ツトムくん」は、技術研究職の優しく誠実そうな、つまり、いたって地味なメガネ男子。そして、「内気な女子」のリアの方は、地味な内面と裏腹に、外見は華やかな美女。おまけに、現実でリアのもっとも近くにいるのは、ハンサムな若社長なのだ。
 つまり、本作では「現実のゴージャスさに中身がついていってないヒロイン・リアが、妙に地に足がついた素朴なエア彼で心を慰める」という、普通とは逆転した現象による悲喜劇が描かれる。そのちぐはぐ逆転状態も、なんだか面白いのだ。

 本作はコメディなので、リアルというよりはマンガらしい荒唐無稽な楽しさ、いわば「お約束」的な部分を楽しむ作品だと思う。私自身、読みながらヒロインに「リア、いくら天然とはいえ29年生きてたら、自分の美貌に気づくでしょ!」とつっこんだりもするのだが、それでも面白く読めるのは、細部に微妙なリアリティがあるからではないかと思う。

 たとえばリアの職場環境。おじちゃんおばちゃんや気心知れた高齢者を相手に、のんびりした地方で宅配給食の会社に勤めていたリアは、若者だらけの東京の会社で誤解されまくり、辛い立場になる。自分よりずっと年上の人たちからは、見た目の派手さに関係なく真面目な人柄を理解されていたリアなのに、いろんな利害や思惑をもった人がひしめく都会では、そうはいかない。特に若い女性だらけの秘書課には、目に見えないさまざまな「人間関係の地雷」が埋まっている。そんな中、リアは、なまじ天然で外見が目立つ美女なだけに、悪意のない言動がいろんな男女を刺激してしまい、地雷を踏みまくってしまうのだ。
 その「意図がことごとく誤解される姿」は、いわばコメディならではの「お約束」部分だ。でも、若い女子がひしめく職場環境の「人間関係の緊張感」自体は、けっこう「リアル」だと思うのだ。
 また、リアが成長過程で男の子には「エロリアー!!」とイジメられ、女の子からは仲間はずれにされた……というエピソードも「あるかも」と思わせる。子どもは自分の理解できない突出した存在を攻撃することがしばしばあるし、成長後のリアの美しさも、「ハーフ+長身+濃い美貌」という、親しみやすいと言うよりは見る側を圧倒する系のものだ。「人に距離をおかれる」ことに敏感だっただろうリアが、「リアが美しすぎて気後れしてしまう」ような相手の態度を「敬遠された」「嫌われた」と取り違えることは、ひょっとしたらあるかもなぁ、というリアリティがあるのだ。

 ネットまわりのスラングとして「リア充」という言葉が使われるようになって久しい。「リアル(=現実生活)が充実している人」という意味だ。
 本作のヒロインの名前・「リア」は、おそらくこの「リアル」の連想でつけられたのだと思う。美貌に恵まれ本来ならモテモテの「リア充」になってしかるべきリアが、運命のいたずらか現実の中では満たされず、脳内に「エア彼」を作り出し、「エア充」生活を送る悲喜劇。リアの「リアル」と「エア」が(言い換えれば「現実」と「内面」が)、しっくりと統合される日はやってくるのだろうか?

 著者は、育児エッセイマンガ『赤ちゃんのドレイ。』でも独特のユーモアで注目を集めてきた。そんな著者のフィクション・コメディである本作でも勿論、とぼけた笑いのセンスは健在だ。リアが、モデル女子にスーツをほめられ「どちらのブランドですか?」と尋ねられるも、地元商店街で買ったとは恥ずかしくて言えず、「ご存知ないブランドだと思いますので」と答えて、例によってリアが彼女を見下した発言としてとらえられてしまうエピソードがある。その地元商店街のお店の名前が「大きいサイズのお店 ブティック マサコデラックス」!この「ひょっとしたら……実在するかも?」的な絶妙のセンスがたまらない。
 荒唐無稽で楽しい「お約束」と、微妙な「リアリティ」が共存し、著者独特の笑いの感覚で面白く読ませてくれる本作。その匙加減が、この先も楽しみなのだ。



(川原和子)  

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